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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(190)

 

 カリュウは、多少腰を落とした構えを取っていた。

「打撃は使わないつもりみたいね」

「防具があるからな。俺でもそうするさ」

 そうね、と綾香も、浩之の意見に賛成する。

 今までのカリュウを見る限り、打撃でも組み技でもどちらでも苦にしないように見える。しかし、今は完全に組み技だけを狙っている。

 さきほど金的を狙わなかったのもそうだが、ギザギザに向かって打撃を打つのは、あまり得策ではないとカリュウはふんだようだった。

 人間の身体から繰り出される打撃は、所詮は人間を打倒するには役不足なものだ。やわらかい急所や、物理的に理にかなかった攻撃、例えばあごを打って脳を揺らせるなど、でやっと人間は倒せるのだ。

 防具で急所を守っているギザギザは、人間に打倒されることは、ほとんどないと言える。

 しかし、組み技なら話は違う。

 投げは、特にコンクリートの上で行われるそれは、強い衝撃となり、内臓にダメージを与える。そして関節技は、防具があろうとも関係ない。

 関節技を防具で防ぐことは、不可能ではない。関節技は、つまり無理な方向にねじられることにより起こるのだから、防具をつけて、その方向に動けなくすればいいのだ。

 しかし、外を覆う部分でカバー出来る可動域の減少では、防ぎきれない関節技はあるし、そもそも、どうしても防具をつけた人間の行動は阻害されてしまう。

 動きを阻害されてしまえば、どんなに防具を固めたところで、大して意味はない。防具で完全に覆われた格闘家など、箱に入っているようなものだ。それは、ダメージはないかもしれないが、使い物にはならない。

 ギザギザも、同じように腰を落としていた。打撃系と同じ動きを必要とするわりには、組み技を狙っているようにすら見える。

 下の攻撃を、警戒しているのだろう、と浩之は予想した。

 横で、あまり試合には集中していない様子のランならば、おそらくはこういう状況、つまり、相手が組み技を狙っていると判断すれば、スピードで撹乱するだろう。

 なるべく距離を取って、近づいて来る相手にカウンターを合わせる。総合格闘で、組み技系の格闘家に対する、打撃系格闘家の対処の方法だ。

 打撃格闘家の打撃の威力が十分に高ければ、相手が警戒して、かなり近付き難いというのはある。しかし、だいたいはそれでも組み付かれる。総合格闘技でも強い打撃格闘家というのは、打撃で逃げ切れるのではなく、組み付かれた後も、うまく相手を制する者のことを言う。

 つまり、スピードで撹乱、というのは、あまり得策ではないのだ。

 それを言われれば、ランなら不満そうな顔をするだろう。ランは、確かにスピードで撹乱すべきだと、浩之も思っている。

 しかし、カリュウとギザギザの実力は伯仲している。今のところ、カリュウの方が少しばかり上回っているように見えるが、それはあくまで、相手に攻撃の意志がなかったからだ。これからは、簡単にはいかないだろう。

 じりっ、と金網に囲まれた試合場で、二人が距離を保ったまま、動き出す。

 これが打撃系格闘家同士なら、もう少し距離を近づいて、少しずつ手を出し合うだろう。これが組み技系格闘家同士なら、完全に組み割ってから相手を制そうとするだろう。

 二人の動きは、打撃系格闘家と組み技系格闘家の異種格闘家との距離に近い。少し近づくと、それは打撃の領分だし、さらに近づくと、それは組み技の領分だ。

 ギザギザは、トンファーによって普通よりも長いリーチを持つ。そのリーチの中に入ってしまえば、カリュウは打たれ続けることになる。

 しかし、近づかなければ、当然組み技を狙うなど無理だ。

 ギザギザの方はと言うと、確かにもう一歩近づけば、自分の攻撃の届く範囲になるが、それをカリュウは許さない。

 その結果、二人は遠い距離でにらみ合う結果となるのだ。

 だが、この状況は、ギザギザにとって有利と言えよう。

 それが証拠に、まず動いたのは、ギザギザの方だった。

 フハッ!!

 空を切る音が、歓声の中でも透き通るように響く。

 遠い間合いから、一本の線となり、ギザギザのトンファーが、カリュウの顔めがけて繰り出された。スピードも威力も申し分ない。当たれば、顔の骨をたたき割りそうな迫力がある。

 引き絞られ、放たれた矢のようなそれの先端のスピードは、カリュウであろうとも、反撃することは不可能。

 それが証拠に、カリュウは身体をそらしてその一撃を避けたが、しかし反撃はまったくしなかった。

 それでも、身体をスウェイさせただけと、一歩後ろに下がるのでは、大きな違いがある。後ろに下がれば、確かに相手の攻撃は届かなくなるだろうが、こちらが攻撃するときよりも、さらに距離が遠くなる。

 勝つつもりがあるのなら、下がっては駄目なのだ。最低でも、その場にとどまることが必要なのである。

 一歩下がったのなら、一歩前に出ればいい、と思われるかもしれない。しかし、そんな単純なものではないのだ。

 その一歩下がるか下がらないかは、むしろ無意識なものだ。ここで一歩下がってしまう人間に、勝ち目が生まれるほど、甘くないのだ。

 相手を怖がっている者ならば、無意識にそこで一歩下がってしまう。だが、カリュウは違った。勝つために、その場に無意識にとどまるだけの気迫があるのだ。

 そして、それを示すかのように、カリュウは、一歩、前に出た。攻撃するのではない、距離をつめるための行為だった。

 ぎりっ、とギザギザの歯ぎしりの音が聞こえそうなほどに、それを見たギザギザは顔をゆがめる。

 自分の攻撃にも、下がらなかったどころか、それを見て、一歩前に出る。

 逃げる必要はない、とカリュウが言っているようなものだった。ギザギザの、横から見ていても十分に怖いと思える一撃を見て、怖くないと判断したのだ。

 まだ近づいても、十分に反応できる。カリュウはそう判断したということだ。

 確かに、距離があると、いかにスピードがあろうとも、他の部位の動きで攻撃を予測するのは容易いし、身体をめいっぱい伸ばすことで、身体に余裕がなくなり、追撃はコンビネーションは出せない。

 もちろん、その一歩は、普通は生と死を分ける、怖い一歩。

 それをこんなに簡単に詰められたギザギザの心情は、いかなるものだろうか。

 しかし、それができるのが、カリュウの強さ。今はギザギザの方が順位は高いが、しかし、ギザギザとカリュウとの間には、それでは判断できない差がある。

 それが、経験の差だ。ここで距離を詰めることの出来るカリュウの、距離の読みと、それを上回る度胸。

 直接、叩き合ったなら、カリュウよりもギザギザの方が、最低武器分有利だろう。それを覆すのが、こういう試合の機微。たった一歩前に出るだけでも、相手へのプレッシャーになる。

 派手な撃ち合いはない。しかし、静かに、試合は進んでいるのだ。

 

続く

 

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