作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(202)

 

 浩之を、あんな小娘にまかせて帰るのは綾香としても非常に不本意だったのだが、次の日が早い、というのは嘘ではなかった。

 帰ると言ったときに、ランという少女が一応隠しているつもりなのだろうけれど、あからさまに嬉しそうな顔をしたときは、さすがに吹き出してしまいそうになった。

 別に悪い子じゃないと思うけどね。

 綾香は、ああいった真っ直ぐな性格の子が嫌いではない。葵はそのままだし、坂下もどちらかと言うと真っ直ぐな性格で、それに好感が持てる。

 まあ、浩之は真っ直ぐ、というには、けっこうひねてると思うけど。

 それでも、気に入るのと、ライバルになるのとでは大きく差がある。正直、ランという少女はライバルとしても綾香は見ていなかった。

 それぐらいであたふたしているようでは、浩之と付き合っていくのは無理だ。綾香も当然もてるが、浩之のそれは常軌を逸している。

 一緒にいても、女の子の影がいつも消えないのだ。綾香の見るところ、知り合いの中で、浩之に積極的に惚れていない、と言えるのは坂下ぐらいだろう。その坂下だって、何かあればくらっと転んでしまいそうだ。

 それだけ、浩之に魅力があるということなのだが、さて、あのランという子は、それでも耐えられるか?

 こと恋愛に関しては、今のところうまく行った経験もなく、あまり自信のない綾香だが、それでも浩之が女の子に人気があることを容認していた。むしろ、そうでもしないとやっていられない。

 私だって、一緒に遊びたくない訳じゃないんだけど。

 というより、普通なら、別に徹夜したところで、そんなに問題としない。明日が試合だ、というぐらいなら、一緒にそのまま遊んだろう。

 しかし、正直今回は、ちゃんと体調を万全にして戦いたい相手だったのだ。

 いや、戦いになるのかどうかはわからないが、それぐらい緊張感を持っていかなければならない状況なのだ。

 それなら、マスカレイドに行かずに家で休んでおけば、という話もあるが、綾香なりのモチベーション向上を狙ってのことだ。

 高揚する試合に、精神の高ぶりが押さえきれなくなって、浩之相手に組み手でもしなければ落ち着かない、そんな状態に、自分を持って行った。

 浩之などは、綾香が帰ると言ったら、露骨に嫌な顔をしたのだ。それは、失礼なことに、綾香と別れるのが嫌だった、というのではなく、綾香の中の高まりを敏感に察知したからだろう。

 私一人で街に繰り出して、そこらへんにたまってるバカでも血祭りにあげるとでも思ったんでしょうね。

 人様に、迷惑がかかるぐらいなら、俺が相手しようか、と表情に書いてあったので、間違いないだろう。

 しかし、あまり否定できないことを何度も繰り返してきた綾香には、返す言葉はないはずなのだが、綾香はちゃんと反論を持っていた。

 そこらへんのバカで、私が満足する訳ないじゃない。

 いつもならともかく、今回は、誰でこの気持ちを満たす、ということはしない。

 精神的なものに、強さというのは左右されやすい。だったら、思い切り高揚しておいた方が、実力を出せると判断したのだ。そのために、わざわざ昨日は精神的にたまるようなことをしておいて、発散しなかった。

 そして、肉体も精神も万全の状態で、綾香は道場の真ん中で正座していた。

 広い道場だった。いつもなら、ここで何十人という黒帯の空手家が練習をする場所だ。汗と、かすかな血の臭いが、鏡のように拭き上げられた床からも漂ってくるようだった。

 ここで行われている練習、いや、修練は、並大抵のものではないのだろうことが予想つく。まあ、それでもその中で、何人綾香の相手を出来るのかは怪しいものだが。

 人を呼んでおいたのだから、座布団ぐらい出したらどうよ、と綾香は心の中で思ったが、それは表に出さず、外から見れば、明鏡止水を体現したような自然体で相手を待つ。

 まあ、それでも勧められた訳でもないのに、真ん中に座る辺りが、綾香の綾香たる所以なのだろうが。

「いや、待たせたね、綾香君」

 道場に入って来た人物を表現するなら、まるで巨大な岩。

 身長は190センチに届こうかという巨体であるのに、横の厚みでずんぐりとして見える。そして、それは贅肉ではなく、びっしりとした筋肉だ。

 腕の太さで綾香の腰回りを超えそうなほどの肉体を持つ男。

 エクストリームの最高責任者であり、日本格闘連盟会長、かつ、超実戦派空手錬武館館長、そして何より、『鬼の拳』の名を持つ空手家。

 北條鬼一。

 親の敵とか、何かしら敵対する理由がある訳ではない。しかし、それでも綾香に万全の体勢で向かい合おうと思わせる、超人だ。

 牛を素手で殺しただの、熊を素手で殺しただの、眉唾ものの武勇伝もあるが、その肉厚の筋肉と、その凶器のような拳を見ると、あながちそれも嘘ではないのでは、と思わせるものが、この中年男にはある。

 すいっ、と綾香は立ち上がっていた。座ったままでも戦うことは出来るが、綾香はそもそも座った状態での攻防を極めたような達人ではない。不利は減らしておくべきだ。

「どうしたんですか、北條のおじ様。わざわざ改めて私を道場に呼び出したりして」

 綾香の住む街から、この道場まで新幹線が必要なほどは離れている。だから、綾香はわざわざ早起きして新幹線を使ってここまで来たのだ。

 今から果たし合いをしたい、と言われても、綾香は受けて立つ気でいた。

 知り合いに呼び出されただけで、果たし合いまで話が飛ぶ綾香がおかしいのだろうか?

 否、綾香はそれはおかしな部分があるが、しかし、これは相手が北條鬼一だからこそだ。

 この男に、常識が通じると思ったら駄目だ。常識がとことん通じない綾香が言うのだから間違いない。

 四十も過ぎた男と、十代の若すぎる少女が、決闘。

 何だそれは、と言われるかもしれないが、綾香はその可能性を捨てきれないどころか、けっこう多めに見積もっている。

 道場を選んだのは良い証拠だ。ここなら、何があっても隠し通せると思っていても不思議ではないし、実際それができる。

 北條鬼一は、何も考えていないようでいて、その実ちゃんと考えているのだ。少なくとも、後始末のことまで考えて、果たし合いをするぐらいには。

 そして、心のどこかでは、そうなることを望んでいる綾香がいるのも、否定できない。

 『鬼の拳』、それは、格闘界では伝説の一つであり、比べるもののないビックネームだ。エクストリームでちょっと優勝しただけの綾香など、それに比べればまだまだぽっと出の新人なのだ。

 何より、北條鬼一の戦う姿を見たことのある綾香が、『鬼の拳』を認める。

 世間一般では、年でもあるし、もう第一線の若いプロの選手には勝てないだろうと認識されているが、そんなぬるい常識が通じる相手ではない。

 事実、この道場で血をにじませて修練する誰も、北條鬼一に勝ったことが一度もないのを、綾香は知っている。

 錬武館の本部で、黒帯のみの稽古に出てくるというのは、つまり日本空手界の上位の人間ということだ。その中にあって、今だ負けることない。

 生涯現役、そう達筆で、力強く書かれた文字が、壁にかけてある。まさにそれを体現しているのだ。

 戦ってみたい、と思うのは、当然の欲求。

 修治と戦ったときよりも、さらに危ない戦いになるかもしれない。

 しかし、勝つのは、私だ。

 冷静な分析ではない。もうこの次元まで来たら、負けるなどという言葉は出て来ない。おそらく、北條鬼一の口からも出て来ないだろう。

 綾香は完璧に隠しているつもりなのだが、それでも隠しきれなかった殺気が漏れたのだろうか、北條鬼一は、顔にしわを寄せて笑って、綾香を手で制した。

「おっと、別に綾香君とやり合おう、という話ではないからね」

 先手を打たれた、と言っていいだろう。こうなってしまうと、もしやる気でも、綾香からは先制できない。

「まあ、やれば私が勝つだろうがね」

 綾香はひくりっ、とほほを歪ませたが、自分がからかわれているというのをすぐに理解して、肩をすくめた。

「それで、お話って何ですか? おかげで昨日は、彼氏とのデートを早めに切り上げないといけなかったんですよ?」

 綾香は、おかえしとばかりに皮肉をたっぷり込めて言ってやった。浩之が彼氏というのは、まあ間違っていないだろう、とその曖昧なところは、自分の中で無視する。

「おう、それそれ」

 しかし、北條鬼一は、まったく皮肉が応えた様子もなく、それどころか、その話に乗って来た。

「実は、綾香君の彼氏について、話があるんだよ」

 予期せぬ話題に、綾香は、いやがおうにも、緊張を高めた。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む