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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(203)

 

「実は、綾香君の彼氏について、話があるんだよ」

 綾香は、その言葉を聞いて、その意味を理解すると同時に、最大の警戒を持って北條鬼一を睨み付けた。

「……誰のこと?」

 一瞬、何のこと、と聞きそうになってしまったのを、綾香は思いとどまって、一応、意味が分からぬふりをする。

 

 いや、本気で意味はわからなかった。わかっているのは、彼氏というのが、浩之を指しているのだろうことぐらいだ。さっきも彼氏、と自分で言ってしまっている。冗談にしてごまかすには、綾香もそれなりにこだわりがあって出来ない。

 浩之が彼氏だ、というのを、緊急の事態だからって冗談にできない。綾香はそういう気持ちだった。

 なので、そこはいい。浩之を見られたこともあるし、そこはどう言いつくろっても仕方ないし、そもそも言いつくろう必要すらない。

 しかし、何故ここで浩之の話が出てくるのか、さっぱり分からなかった。

「藤田浩之君に決まっているだろう? それとも、もう別れて別の彼氏を作ったのかな? 今はそういう風潮かもしれないが、古い人間にとってみればそうころころと彼氏を変えるのもどうかと思う……」

「冗談」

 綾香は吐き捨てた。自分で浩之が彼氏ではない、と言う気はまったくなかったが、他人に言われてこうまで腹が立つとは思っていなかった。

 静まれ、と綾香は自分に言い聞かせる。

 綾香は飛び抜けている。もちろん、自分自身それを自覚している。唯一、時間をかけた経験だけが他に負けそうなことだが、それすら並でない相手でも、能力でどうにでもなる。

 しかし、目の前の男は、並どころか、特上、と言ってもまだ生ぬるい、生きた伝説だ。

 終始、北條鬼一にアドバンテージを取られているのはわかっている。これが生きた年数だけにとどまならない、質を重ねた年数というものだ。

 怒りに身を任せたままでは、それを覆すことなど無理だ。だから、綾香は自分に言い聞かせる。冷静になれば、完全に主導権を取れる訳ではないが、まだまし、というものだ。

 そして、そう自覚すれば、綾香は早かった。

 すっと、表情が落ち着いたかと思うと、にこり、と北條鬼一に笑いかけた。

「それで、浩之がどうかしましたか、北條のおじ様?」

 それを見て、北條鬼一は、にいっ、と嫌らしさのない、子供のような笑顔を作る。ただし、顔身体はいかついなど生ぬるいので、そのとがった犬歯などが、むしろ猛獣のようにしか見えないのだが、相手が猛獣であるのなら、まだ綾香の気は楽だった。

「まったく恥ずかしげもなく認められると、やはり悲しいものがあるな。赤くなった綾香君というのも、見てみたいものだが」

「残念ながら、それには応えることはできないわね」

 綾香は肩をすくめた。

 浩之の名前が出て来たことで、逆に度胸が据わった。浩之が関わっている、となると、下手な手を打って浩之に迷惑をかけるのは綾香の本意ではない。

 それを言うと、超昼行灯型と綾香が見積もる浩之のことだから、逆境に追い込まれた方が、むしろ格好良いのでは、と思わないでもないのだが、さすがに、目の前の鬼はちょっと彼氏の格好良い姿が見たいからと言ってつついていい藪ではない。

 それすらも、浩之ならどうにかするだろう、という信頼はあっても、けしかけるなど、信頼関係に関わる。何より、綾香の手でない逆境など、どこか許せない。

「話をはぐらかすのはいいから、さっさと用件を言ってよ」

「段々言葉がぞんざいになっている、いやいや、本性が見えていると言った方が……」

「おじ様はいつから口で戦うようになったの? それとも、その拳はかざり?」

 生ける伝説、「鬼の拳」を持つ男に向かって、そう言い切れる者は、この日本にはそう多くないだろう。どう見積もっても挑発だ。

 その双拳は、まさに日本格闘界の至宝の一つなのだ。もっとも、こんな無骨なものを至宝とするぐらいなら、同じく至宝である綾香の方を大事にしたいものだが。

 しかし、それを聞いて北條鬼一は、怒るどころか、くっくっく、と嬉しそうに笑う。

「失礼失礼、ではもったいぶらずに本題に入ろう。綾香君、君は、藤田浩之君を私に預ける気はないかい?」

「はあ?」

 綾香が聞き返したのは、その内容があまりにも、北條鬼一という伝説と、これから伝説を作るだろう来栖川綾香との間でかわされる内容としてはあまりにも、平凡だったからだ。

 練武館は、何と言っても、日本最大の格闘組織の一つだ。プロこそ、別に大きな大会、例えばエクストリームのような、ものでなければないが、他の格闘技とは、そもそも規模が違う。

 日本で規模で対抗できそうなのは柔道か少林寺拳法ぐらいしかないし、流派、という意味で言えば、一つの流派という形態とは実質離れてしまっている柔道と比べれば、練武館の規模は、少林寺拳法と比較しても負けない。

 そんな練武館に、入れ、というのは、浩之がどう選択するかは別にして、別段、格闘技をするのなら違和感のあるものではない。

「そんなの浩之に……」

 浩之に聞けばいい、と口に出そうとしたところで、綾香ははたと言葉を止めた。

 こんな平凡な会話を止めたのは、綾香に聞く意味を、考えたからだった。

「……」

 すぐには何の為にか理解できなかったが、とっさに言いよどむほどには、問題のある内容だった。

「どうしたね、綾香君?」

「黙ってよ、クソジジイ」

 にやけるおじ様を一言で黙らせると、綾香は頭をフル回転させる。

 浩之には、もちろん自由意志がある。格闘技を教えたのは、綾香が最初かもしれないが、それで浩之を縛る理由にはならない。それが証拠に、葵や綾香と練習する以外にも、浩之は修治のいる武原流柔術で鍛錬を重ねている。

 そう、綾香は頭の先から足の先まで浩之を自分のものとしたいし、自分のものだと密かに、浩之には十分伝わっていると思うが、思っている。しかし、言ったように、浩之は武原流柔術も練習している。

 そう、浩之の師匠、という位置づけなら、武原流の雄三の方がよほどそうだ。

 そもそも、武原流柔術を浩之が習っていることは、北條鬼一も知っているはず。

 なのに、自分に預けろ?

 今のご時世、色々な格闘技のかけもちぐらい普通にあることだし、総合格闘技ではそうでなければ勝てない。だから練武館に入るのは問題ではない。

 違う、違うのだ、問題がある。間違いなく問題がある。

 北條鬼一はどう言った? 練武館に入れと言ったか?

 否、「私に」預ける気がないか、と言った。

 北條鬼一に、練武館ではなく、「鬼の拳」の異名を持つ、生きた伝説に、浩之を預けろ。と。そういう意味なのだろう。

 まず最初に綾香に聞いたのは何故か?

 簡単だ、もし黙っていて、後で綾香が知ったら激怒するからだ。それこそ、力尽くで浩之を奪い返す可能性だって否定できない。

 浩之が武原流の門を叩いたのと、北條鬼一の下に行くのとでは、雲泥の差があるのだ。

 藤田浩之、が、北條鬼一、の教えで強くなるのではない。

 北條鬼一、が、藤田浩之、を強くしよう、と言っているのだ。

 ああ、それは綾香も激怒しようというものだ。理性とかそういうものではない。これは、格闘家としては、譲れない線だ。

「つまり、こんのクソおじ様は、浩之を、後継者として欲しい、と言いたい訳?」

「クソ呼ばわりは余計だろう、綾香君。まあ、その一人として、だがね」

 余計にむかつくセリフに、綾香は、それはもう静かに、ただし手のつけられないほど激しく激怒していた。

 

続く

 

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