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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(204)

 

 若くしてエクストリームチャンプとなった、驚異的な強さを誇る来栖川綾香に見出され。

 こんな世の中なのに本気で、素手で相手を打倒することを目的として技をつむぐ武原流柔術の教えを受け。

 今、生きた伝説、「鬼の拳」北條鬼一の後継者として選ばれようとしている。

 ついこの間までは、単なる高校生だった、藤田浩之。それが、またたく間に人に見出され、才能を開花し、無理矢理でも、天に手を伸ばさされている。

 ゾクゾク、と背を走るものを、綾香は感じた。

 何て、何てシンデレラ的ドラマチックなのだろう。

 人を倒したいのなら、人数をそろえるか武器を使った方がいい。その方が確実で効率的だ。

 それなのに、何故今この場所で、藤田浩之は素手の世界での最高峰に向かって引っ張られているのだろう?

 才能? ああ、それもあるだろう。

 努力? もちろん、それがなければ上にはいけない。

 しかし、そんな生ぬるいもので、北條鬼一と来栖川綾香との間で、取り合いをすることなんてない。

 そう、取り合いだ。

 綾香は、北條鬼一に浩之を任せることをドラマチックだとは思うが、しかし、それを容認するか、というと話はまったく違ってくる。

 綾香は、顔に笑顔を貼り付けた。今は、格闘家ではなく、交渉役としての実力が問われるときであり、綾香は何だってこなして見せる。

「北條のおじ様も人が悪いわね。おじ様には、ちゃんと北條桃矢っていう子供がいるじゃない。見たところ、十分才能にも身体にも性格にも恵まれていると思うけど?」

 どこか精神的に安定を欠いていたのは、もう前の話。

 一回の試合は、人を大きくも小さくもする。予選の決勝戦は、北條桃矢を確実に大きくした。もっと伸びれば、綾香とて戦ってみたい、と思えるほどには成長したのだ。

 欠点さえ克服してしまえば、北條桃矢は恵まれ過ぎている。どれを取っても超一級品だ。どのスポーツを選んだとしても、超高校生級と呼ばれ、すぐにプロになるだろう。

 数あるスポーツの中でも、特に格闘技には一番向いている体型と性格をしているのだ。実戦、という点においてはわからないが、エクストリームまでのスポーツ、という枠組みならば、誰でも北條桃矢にかけたくなるだろう。

 一番の欠点である、超えられない父親の壁を、受け入れたみたいだったしね。

 そんな北條桃矢を、一番伸び悩ませていたのは、やはり北條鬼一という生きた伝説だろう。その枷が、北條桃矢の強さを今まで押さえつけていたのだ。

 と言っても、それでも十分強いのだから、今まで試合で負けるようなことはなかったろう。そのメッキをはがした、浩之を倒した格闘バカ、寺町には親として感謝すべきだと綾香などは思うのだが。

 北條桃矢を鍛えていけば、いずれは高みに達するだろう。綾香や、北條鬼一のいる地点まで到達するのも、不可能ではない。

 わざわざ、格闘技を始めたばかりの素人を選ぶよりは、確実な話だ。

「それとも、中の一人、とか言ったけど、浩之を保険に使うつもり?」

 それこそ許されない話だ。浩之は唯一一人。それが保険程度で終わらされるなど、浩之が良しと言っても、綾香が力ずくで許さない。

「ああ、桃矢か」

 北條鬼一は、やはり親なのか、北條桃矢の話を先に持って来た。

 正直、綾香はまったくもって北條桃矢には興味がない。このまま強くなればまだしも、今はその段階ではないし、そもそも浩之の話をしているときに、別の男の話など興味を持てという方が難しい。

「桃矢は、私には教えをこわないそうだ」

「え?」

 しかし、興味はなくとも、さすがに北條鬼一の言葉には、意表を突かれた。

「何、あの男、格闘技止めるの?」

 北條鬼一から直接教えをこえると聞けば、何を置いても来るだろう格闘家は多い。はず、などという言葉を使うまでもない。

 それだけ格闘界に影響力を持つというのもあるのだが、誰にでもそう思わせるほどに、北條鬼一の実力が飛び抜けている所為だ。

 その教えをこわないどころか、教えてもらえる立場にいるのに、それを拒否するなど、格闘技に興味がないとしか思えなかった。

「いや、他の道場などをまわってやっていくようだな」

 しかし、格闘技を続けると言う。おかしな話だ。

「あれは、私とは格闘スタイルがまったく違うからな。芯になる部分はちゃんと教えてあるし、私の教育でなくとも問題ない、と私も思うよ」

 反発、ではないのだろう。反抗期で取る行動としては、あまりにも捨てるリターンが大きすぎる。ましてや、あの試合で見た北條桃矢が、そんな些細なことを気にするとは思えない。

「もっとも、言ったように、あれとは格闘スタイルがまったく違う。私も、あれを後継者には選ばないがね」

 息子に手をはたかれたいい訳、というものではなさそうだった。実に北條鬼一が楽しそうだったからだ。

「できれば、私と戦えるほどに強くなって欲しいものだが」

 勝てるぐらい強く、と言わないところが、親バカとは違う部分だ。

 血よりも、拳。

 ただ強い者を求める、格闘バカ。いや、格闘狂人。

「ま、どちらにしろ、その場合勝つのは私だがな」

 だから、実の息子に向かってすら、こんな言葉が出てくる。こんな言葉しか出て来ない。

 そうでなければ、その高みには到達できない。

 ほとんど何も捨てていないはずの綾香ですら、引きずられるようにその世界に足を踏み入れているのだから。

「おっと、桃矢の話は置いておこう。藤田浩之君の話だが、私も暇でないのでね、後継者として鍛えようと思うのは、藤田君を含めて三人だ。正直、五人ぐらい確保したかったんだが、目にかなうのも少なければ、OKしてくれる人間も少なかったのでね」

 つまり、最低でも、北條桃矢の手をはねのけるほどの実力を持つ人間をスカウトしているのだ。その中で言えば、浩之はダントツで弱いだろう。

 しかし、綾香だって、いい話だ、と思わないでもないのだ。

 今ですら悪魔的なスピードで実力をつける浩之に、さらに生きた伝説の教えまで加われば、そのスピードはまた加速的に上がるだろう。途中でつぶれる、なんて冗談、綾香は笑い話ですら思わない。

 そうやっていつか。

 到達、するだろう。

 私のいる、この高みへ。

 そして、私の手から。

「それで、どうだい? 悪い話では……」

「断るに決まってるでしょ、なめないでよ」

 綾香は、生きた伝説、「鬼の拳」の誘いを、一蹴してはねのけた。

 もう言葉はなかった。綾香はくるりと背を向けると、出口に向かって歩きだした。

 北條鬼一の殺気が、背中から綾香を襲う。自分の誘いを蹴った綾香に怒りを感じている、いや、そんな低い男ではない。立ち寄ったのでついでに戦っていかないか、そう思って殺気を放っているのだろう。救いがたい格闘狂人。

 ああ、しかし、バカと言うのなら、私の方が、よほどバカだ。

 綾香は、心の中で自分をののしった。

 北條鬼一の誘いを断るのは何も問題ない。それぐらい、北條鬼一だってわかっていたろう。

 しかし、断った理由が、駄目だ。

 綾香は、心の中で、何故か想像してしまったのだ。

 浩之が自分と同じ高みに到達して、自分の手から、離れていく、と。

 登らせない、と強く思った。自分の手から離れるのなら、その高みになんて登らせない。

 だから、綾香は断った。それでもいつか、浩之はその高みに登って来るとしても、それが目の前にあり、邪魔ができると思うと、我慢できなかった。

 何て、バカなんだろう。

 それでも、綾香は許せない。浩之が自分を超えることも、そして離れていくことも。どうして許せようものか。

 その高みに達しても、そして超えたとしても、それで浩之が離れている訳ではないのは分かるが、しかし、理屈ではなかった。

 もし、私から離れていくのなら。私と同じ位置に駆け上がるのなら。

 綾香は、ぎゅっと拳を握りしめた。この世あるものを、ことごとく破砕せしめる自分の手を使って。

 静かに、決心するのだ。

 私が、叩き落としてやる、と。

 

続く

 

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