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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(206)

 

 赤色のブルマから伸びる、健康的な脚が、浩之に迫っていた。

 これが誘惑なら、一も二もなく乗るのだろうが、残念ながら、そのまま突っ立っていれば、別の意味で昇天しかねない。浩之は、身体を大きくスウェイさせる。

 まだ余裕のある避けだった。こちらから手を出すつもりがないので、無理に近づく必要がないからの余裕と言える。

 まず、太ももと、膝がこちらを向く。そこから、跳ね上げるように、折りたたまれた膝から足先までが一気に伸びて来るのだ。

 健康的な脚、と言ったが、その股下の筋のラインなどは、どんなに健康的でも、エロい、としか表現できないのだが、さすがによく観察するような余裕はない。

 浩之の顔があった場所を、葵のハイキックが通過した。風を巻き込むようなそれに、もし少しでも引っかかっていれば、絶対無事には済まない、と思わせるものだ。

 とは言え、葵ちゃんも本気じゃなさそうだよなあ。

 浩之は、そう思ったが、すぐに考えを改めた。さっきのハイキックがいつものハイキックよりも遅いことに、浩之は気付いていたが、だからこそ、葵が本気だと判断したのだ。

 葵は、いつもと比べて、一瞬、膝を伸ばすタイミングを遅くしている。

 パワーというものは、腕力だけの問題ではない。どんな屈強な男でも、人差し指一本とスポーツをしている少女が両手の全力とやりあった場合、やり方にもよるのだが、単純な力、という点では少女に負ける。

 力は、使う部位も大切であるが、一番大切なのは、数なのだ。

 一箇所の筋肉では、そこが強い方が勝つ。しかし、複数箇所の筋肉と一箇所の筋肉とを比べれば、複数箇所を使った方が有利なのは明らか。

 問題は、複数箇所の力を、同時に発揮できるか、ということだ。

 決して腕力では負けない相手に、スピードで負けるのは、その所為。筋肉の質や体重の重さも関係はあるが、効率良く、一度に複数箇所の力を使うのがうまい方が、一瞬での力では勝るのだ。

 そういう意味では、葵が、一瞬膝を伸ばすのを遅らせているのは、スピード以上に致命的なのだ。せっかく身体を効率良く使って作った力を、一箇所のタイミングをずらすことによって、台無しにしてしまうのだから。

 が、それでもまだ葵には人間を打倒せしめるだけの威力を出して来るだろう。

 そして、いつもとタイミングが違うことで、葵のいつものタイミングを知っている浩之には、多少なりとも予測し難い技となる。

 浩之が知っているのは、葵のタイミングだけではない、リーチもそうだ。何度も何度も組み手をしている内に、浩之は葵のリーチをかなり理解している。

 もちろん、日進月歩で進化していく葵のことだから、一週間前のデータを信用するのはバカかもしれないが、昨日、二日前、その程度の間であれば、十分前のデータが役に立つ。

 リーチやタイミングを知られる、というのは、打撃格闘ではかなり厳しい。ギリギリの距離まで詰めることができるし、タイミングを計って、反撃できない瞬間を狙ったり、カウンターを合わせたりできる。

 葵と浩之の間にある実力差が、そんなものなどほとんどないようなものにしているが、それでも葵のリーチを知っているというのは大きい。

 相手の打撃をやり過ごして接近するのが、体格で優る浩之には断然有利だし、体格の小さい葵にとっては断然不利なのだ。その飛び込むぎりぎりの線を知っている、という利点は大きい。

 葵ちゃんの魂胆は、その目測を狂わせよう、ってことか。

 回避しながらよく観察すると、確かにいつもと比べて、タイミングがどこかおかしい。もし、これを意識的に出来ているのなら、大きな進歩と言えよう。

 さっぱり余裕なく避けながらも、それを見ただけで判断できる浩之という人間も、どこかおかしいのだが、そんなことを本人が自覚する訳もなく。

 葵三、浩之一の割合で手を出し合っていた二人だが、葵が、何か仕掛けてくる気配を感じて、浩之は素早く飛び込む判断をした。

 何かを狙っているのはわかる。つまり、それこそ最大の弱点。

 策士策に溺れると言うが、浩之はどちらかと言うと、溺れる策士であるからこそ、策を練った相手を倒すのは、その策をつぶすことだと、よく知っている。

 どう来るかまでは読めないが、回避をぎりぎりにして、飛び込む。接近したところで、そう勝たせてくれる相手ではないが、ロングレンジでやり合うことを思えば、ずっとましだ。

 右のハイキックが、来る。

 いつものタイミングに近い、スピードもキレも申し分ないハイキックだ。それが、ほとんどモーション無しで飛んでくるのを、浩之は、ぎりぎりの距離で止まる。

 ガードはしない。確かに避けるのだが、ぎりぎりの線で、止まるのだ。

 もし失敗すれば、直撃を受けるリスクはある。しかし、リスクは飲み込んでこそ、チャンスを生むのだ。

 浩之の目の前を、葵のハイキックが通過し、赤色の布に包まれた小さなかわいいお尻が、視線を下に向けていた浩之の目に入る。

 ここからは、ノンストップ。そのお尻、いやいや、太もも、はまあ間違っていない、正確には脚に向かって、タックルをかけようとして。

 とっさに、左腕を固めて、ガードを造る。タックルに行くはずだった右腕も添えて、完全なガードだった。

 バシィィィッ!!

 浩之のガードの上に、重い拳が入り、浩之は体勢が前のめりになっていた所為で、それを受け流すこともできなかった。

 ガードでダメージはほとんど消したが、しかし、攻撃に移ることは、それで不可能になった。

 そのガードのした、顎先めがけて、いつの間にか、さらに身体に回転をかけて正面を向いた葵のアッパーが、振り上げられようとしていた。

 避け……れないっ!!

 浩之がそう思ったときには、もう葵の拳は、浩之の顎先をかすめ、そして、その場所で止まった。

「一本、ですね」

 にこり、と葵が笑って拳を下ろす。浩之も、ふうっ、と脱力すると、無用になったガードを下ろした。

 また、浩之の完敗だった。

「ハイキックにバックハンドブローの連携か。葵ちゃん、最近綾香に似て来たんじゃないのか?」

「そんな、私なんてまだまだですよ」

 浩之が葵のハイキックを見切ったのではなく、葵が、浩之にハイキックを見切らせたのだ。ハイキックを囮にして、そのまま身体を回転、左腕のバックハンドブロー、つまり裏拳で、飛び込んでくる浩之を狙い打ちしたのだ。

 回転を殺さない、というのは、理にかなっているようにも見えるが、案外難しいし、アクロバティックではあるものの、威力はさほどのものではない。それに、隙が大きい。

 相手の意表を突く、という点以上に有効なものではないのだ。

 だが、葵のバックハンドブローの威力は、がっちりとガードしなければ、ガードがはじかれてしまいそうなほどの威力があった。

 さらにそこから回転して、真正面を向くついでにアッパーなど、初見で回避できる訳がない。

 しかし、そういう動きは、むしろ綾香が得意とすることだ。

 何度も一緒に練習して、葵も、綾香のいい部分をどんどん吸収しているということなのだろう。

「ますます、俺の立つ瀬ないよなあ」

 浩之がそう言うと、葵は慌てて首をぶんぶんと横に振る。

「そ、そんなことないですよ。センパイには、本当に感謝してます」

 そう言ってくれるのは浩之にとってもありがたかったが、しかし、それで完全に気が晴れるというものでもない。事実、葵は十分に成長してきている。

「何か、タイミングをずらす方法まで体得しているみたいだし」

「は?」

 しかし、葵はその言葉を聞いて、首をかしげた。

「ん、葵ちゃん、意識的に打撃のタイミングを遅らせてたんじゃないのか?」

 ぶんぶん、と今度は横に大きく首を振る葵。

 そういや、最後のハイキックも、いつもと比べればタイミングが遅かったような。と、浩之は振り返って見る。

 何より、もし葵のトップスピードがあれば、バックハンドブローにガードが間に合うとは、いや、よしんば間に合っても、あんなに綺麗に固める暇なんてなかったのでは。

「……葵ちゃん」

「は、はい」

 浩之が声を改めたので、葵は驚きながらも、何故か背筋を伸ばす。ちょっと顔が赤いのは、組み手の後だからだろうか。

「葵ちゃんが上達しているのは間違いないと思うけど……もしかして、調子悪い?」

「調子……ですか?」

 自覚がないのなら、ここで、脳天気な顔をして首をかしげたのだろうが、葵にも少しは自覚があったようで、一瞬、表情にかげりが見えた。

 人の調子など、あっさりと崩れるものだ。それはどんな強い人間でも起こりうることで、調子が悪いときに大事な試合があったりする場合は、運が悪いとしか言い様がない。

 が、その調子を落としているものが、人為的なもの、悩みならば、浩之にも手助け出来ることがあるはずだった。

 むしろ、こんなときに力になってやれずに、何がセンパイだろうか?

 浩之は、自分にできる最大限真面目な顔をして、葵の肩に手をやる。

「何かこまったことがあるなら、俺は葵ちゃんの、力になるぜ」

 それを聞いて、葵は少しの間、ぽうっとした。それが何を意味するのかは、浩之にはさっぱりわからないのだろうが。

「大丈夫です、困っていることはないです。調子が落ちることも、たまにはありますから。昔ならともかく、センパイがいてくれる今は、それぐらいでは焦りません」

 一応、浩之は葵をじろじろと観察するが、これと言って葵に強がっている様子は見えない。気をつけねばならないのは、葵が非常に強がりだ、ということだ。だから、それを見逃してはならない。

 が、今回は杞憂だったようだ。

「ならいいんだけどさ。何かあったら言ってくれよ?」

「はい、もちろんです。……さすがにこれは言えませんけど」

 後半部分は、あまりにも小さくて、浩之の耳には届かなかった。葵が届かせる気がないのだから、当たり前なのだが。

「じゃあ、もう一戦……」

 そこで、葵と浩之は、近づいてくる人影に気付いた。

 片方は、見知った相手で、ここに来るのも何ら珍しくもない、坂下で。

 もう一人とは、最近浩之がけっこう見慣れた、少女だった。

 

続く

 

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