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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(207)

 

「もしかして、調子悪い?」

 浩之にそう言われて、葵は一瞬何のことか、と思ったが、しかし、すぐに思い当たるふしがあった。

 言われるまでは気付けなかったものの、言われてしまえば、そうだろうと納得できるレベルだ。

 確かに、腕も脚もキレが悪い。どういう理屈かは分からないので、どう動かせばそれが直るのか、というのはわからなかったが、何が無くなれば調子が戻るかは、分かっていた。

 つまり、精神的なものが葵の調子を落としているのをわかっているのだ。

 最近は、色々とこの部活とも呼べない部活で練習する以外も、浩之がかなり無茶な練習をしているのを肌で感じていた。

 それは、問題ない。葵だって柔道道場に通ったり、形意拳を習ったり、自主トレをしている。そうでもしなければ、レベルアップなど望めないのだから、やるのが当然だ。

 葵が浩之の助けに、どれだけなっているのか、と言われると、葵だって大きくは出られない。自分がそれなりにやれる方であるだけの自信はあるが、しかし、格闘技の師匠としては、まったく未知数なのだ。自信を持てという方が無理である。

 だから、浩之がどこでどんな練習をしていても、葵が口を出すようなことではない。葵は浩之の師匠でなければ、恋人でもないのだ。

 しかし、それも、他での練習に、女の子が関わっていなければ、の話だ。

 浩之は、練習中も、色々と葵と会話をしてくるが、その中で出てくる女の子の名前に、最近、ランという名前が増えている。

 それまでは、共通の話題の綾香、次に親しいらしいあかりや志保、そして最近は関わることの多い坂下と続いていたのに、ランは、綾香の次に話題に出ることが多い。

 ただ単純に、ランが浩之に関わっていることが増えたからなのだが、葵は、他の意味でそれを取った。

 浩之の中で、ランの締める割合が増えた、と思ったのだ。

 嫉妬、というものからは一番縁の遠い葵であったので、ランの名前が出てきても、別段何も思っていない、と自分では思っていたのだが。

 さすがに、調子が落ちているのを指摘されると、認めざるを得ないと感じたのだ。

 ただ、それでも、自分の面倒をよく見てくれたセンパイ、まわりから見れば葵が面倒を見ているようにも見えるのだが、が他の女の子の面倒を見るようになったので、それで情がそちらに移ったと感じる、子供のような感情だろうと判断していた。

 正直、それを自分でも恥じる気持ちがある。

「大丈夫です、困っていることはないです。調子が落ちることも、たまにはありますから。昔ならともかく、センパイがいてくれる今は、それぐらいでは焦りません」

 その言葉に、嘘はない。浩之のおかげで、試合でもほとんどあがったりはしなかったのだ。一度うまく行ってしまえば、次はうまくいく、と単純な葵は考える。いつも浩之について来てもらう必要は、もうないのだ。

 もっとも、必要と、葵の希望とは大きな隔たりがあるのも事実。

 それを、甘えだと葵は思う。

 だいたい、センパイだって他人の面倒を見る余裕なんてないはず。それなのに、いつも私の練習につきあってくれているのだから、そんな子供みたいなことを言う訳には。

 しかし、自分が、浩之の口から他の子の名前が出たことで調子を落としているのは、まず間違いないことなのだ。

「ならいいんだけどさ。何かあったら言ってくれよ?」

 私も、センパイに頼ってばかりじゃなくて、自立しないと。

 そう気を使ってもらえばもらうほど、浩之には迷惑をかけられないと思うのだ。

「はい、もちろんです。……さすがにこれは言えませんけど」

 これ以上の甘えを、葵は許さない。冷静に言えば、葵と浩之との実力差はまだ十分に大きく、葵が浩之から習うことより、浩之が葵から習うことの方がはるかに大きいのだが、自分を恥じる葵がそこまで冷静に事を判断できる訳はなかった。

 だから、後半の言葉は小さくなって、浩之の耳にもとどかなかった。

 とりあえず、この二人で練習する時間を大切に使おう、と葵は思う。浩之の時間は、有限なのだ。その間に、葵の出来る最大限のことで、浩之の助けになろう、と思うのだ。

 そして、浩之のことだけではない。この時間を、葵としても大切にしようと思った。葵にだって、時間は有限で、葵にも残されている時間は短い。

 秋までに、エクストリーム本戦までに、どこまで自分のレベルを上げられるかにかかっているのだ。葵は、それは浩之の後輩であるが、それよりも以前に、格闘家なのだ。

 浩之との練習は、確実に自分のレベルを上げている、という確信はある。だから、一秒足りとも無駄にしたくはなかった。

 浩之と会話をすることを、無駄なんて少しも思わないけれど。

 拳で、身体ででも、会話は可能なのだ。

 拳はともかく、身体で、というのはけっこうエッチぽい表現だが、葵には自覚がない。だからこその葵とも言える。こんなに純真だからこそ、浩之としてはついついからかうのだろう。

「じゃあ、もう一戦……」

 時間を無駄にしない、という先ほどの思いを実戦すべく、休憩を終えた葵は、もう一度組み手を行おうと構えを取った。

 と、普通は誰も来ないそこに、誰かが近づいてくる気配に気付く。

 綾香さんか、好恵さんだろう、と葵は思った。人気のない神社のさらに裏など、山で遊ぶ子供ですら来ない。というか最近の子供は山で遊んだりしない。それ以外は考えられなかった。

 近づいてきたのは、二人。片方は、予想通り坂下だった。何か不機嫌なことがあったのか、それともよほど機嫌が良いのか、気配というかオーラというか、とにかく見えないのだけど、感じる何かは、かなり猛っているように見える。

 しかし、もう一人は、葵の予測とは違う人物だった。

「葵、藤田、やってる?」

 声を聞いて、ああ、上機嫌だけれど、どこか押さえきれないのだ、と坂下の状態を葵はけっこう正確に判断して。

「……どうも、浩之先輩」

 浩之に頭を下げて、それから一応という様子で葵に頭を下げたランを見て、そしてその呼び方を聞いて、さらにその視線を見て。

 自分が不調になるほどの不安が、やはり杞憂でなかったのだと、すぐに気付いた。

 こう見えてもかなり鈍感な部類に入る葵でも気付くほど、いや、今の葵ならば、女の勘と言っても許されるのかもしれないが、明らかだった。

 何せ、前までは、そこらにある石ころのように、浩之の存在を目に入れていなかったのに、今は、視線が浩之からまったく外れない。気付くな、という方が無理だ。

 ましてや、同じように、いや、葵の方は、それをあこがれだ、と思っているので、同じなのかは別にして、最低、同じ人間に好意を寄せている以上、気付かない訳がない。

 ……センパイ、もてるのは知っているけれど。

「よう、坂下、ラン。部活終わったのか?」

 その浩之は、いつも通り、まったく気付いた様子もなく、二人に手をあげて挨拶した。

「お疲れ様です、好恵さん、ランさん」

 それにつられるように、葵は自分でもびっくりするほどいつも通りに挨拶が出来た。正直、こういうときに態度に出さないでいられるほど、自分が嘘がうまいとは思っていなかったので、むしろ葵自身が驚いたほどだ。

 しかし、それでも葵の様子がおかしいことに気付いたのか、それとも、ただ単に浩之と練習していたのが気に喰わないのか、一瞬、ランがこちらを睨んだような気がした。

 だからと言って、当然、葵はにらみ返す、などということはしない。考えもしない。やはり、嫉妬というものからは、葵は遠いのだ。

 ただ、またライバルが増えたのだ、まあ、センパイみたいな優しくて格好いい人なら、好きになる女の子なんて沢山いるだろうけど、と思ったよりも冷静に、ランのことを受け入れていた。

 ただ、もしまわりから、事情を知って今の状況を見ていたら、修羅場になった、と誰もが思ったことだろう。それほど、危うい場面だった。

 

続く

 

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