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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(209)

 

 坂下に届くか届かないかはともかく、浩之は坂下の隙をうかがう。

 打撃は完全に坂下の方が上。手を出せば、あっさりと受けられて、その瞬間に反撃を喰らうだろう。

 だからと言って、近づけばどうにかなるという訳でもない。下手に組み付いても、坂下の拳は多少威力は損なっても、十分な威力を持って突き刺さってくるだろうし、肘などを受ければ、それこそ一発だ。

 そもそも、こっちから攻めるってのがかなり不利なんだよな、と浩之は心の中で不平をたらす。

 坂下の受けは、正直卑怯なのだ。こっちが攻撃しているはずなのに、それをあっさりと覆してくる。

 最近は特に、それが芸術気味て来ている。威力も、美しさも、綾香のカウンターと同じぐらいだと浩之は思っていた。

 そんな相手に、こちらから手を出さなければならない矛盾に、泣きたくなってくる。

 それでも、手を出さなけれは、今度は坂下からの猛攻が来るという結果になるのだから、手を出すしかないのだ。

 さっきのような牽制のジャブでは、坂下の思うつぼだ。

 キックは、いけるか?

 パンチよりもキックの方が、威力は高いので、受けるのに全身を使わなければならないが、反対に、受けられたときの隙は、パンチの比ではない。

 そう思った瞬間には、飛び込みざま、浩之は脚を出していた。

 バシッ!!

 浩之のローキックが、坂下の脚に当たって、打撃音を出す。

 あっさりと当たったことに、しかし浩之はまったく歓びなどせずに、反撃を恐れて距離を取った。臆病と言われても仕方のない動きだったが、それにはちゃんと訳があった。

「ったあ……」

 その後のコンビネーションになど入る余裕は、浩之にはなかった。

 浩之の足の方が、ジンとしびれる。まるで、浩之の方がローキックを受けたような傷みだ。

 拳をちゃんと握らずに人を殴れば拳は簡単にいかれる。キックでも同じだ。ヒットポイント、体力のことではなく、当てる場所のこと、がうまくいかなければ、自分が脚にダメージを受けることもある。

 拳というものは、バラバラの骨で出来ている為、もともとひ弱で、例え握力が百を超えるような鍛え方をしていても、一個の塊でない以上、けっこうもろい。

 しかし、脚というのは一つの塊であり、骨も一つ。拳と比べれば圧倒的に壊れ難い作りになっている。それがあっさり逆転するというのは、達人とも呼べる坂下の受け方を誉めるべきなのか、鋼のように硬質な、坂下の脛の硬さを誉めるべきなのか、その両方なのか。

 受け難い、という点でローキックを選んだ結果の攻撃だったのだが、その選択すらも坂下はまったく容赦なく叩き割った。

 ほとんど思考さえすることなく選択肢を広げ、中で打開策に躊躇なく手を伸ばす。浩之の「強さ」というのは、そういうところにある。ローキックの選択などは、まさにそんな浩之の持ち味を生かした攻撃だったはずなのだが、坂下相手では子供だまし程度にしかなっていない。

 くそっ、最近は綾香相手でも、もうちょっと何とかなってる感じがするんだけどな。

 綾香が手加減していない、とは浩之は思っていないが、綾香との練習が、確かに浩之に自信と、そして成長を与えているのは間違いない。

 だからこそ、こうも坂下に手が出せないことを、浩之は良しとしない。自分の小さなプライドもそうだが、自分が強いということは、綾香の強さの証明でもあるのだから。

 ただ、正直、実力の差という点を考えなかったとしても、坂下相手には、浩之は分が悪いのだ。

 浩之は知らないことだが、坂下はちゃんと考えてそういう方向に向かっている。浩之が苦手とする方向、ではなく、浩之が経験し難い方向へ、だ。

 綾香の真似は、誰にも出来ない。

 パワーでも、スピードでも、坂下は綾香に近付きこそすれ、追いつく、そして追い抜くことが出来ない。優っている点は体格のみ。それすら、かの怪物の前ではあっさりと消し飛ぶ。

 言ったように、綾香の真似は、誰にも出来ない。

 しかし、格闘スタイル、という点では、浩之は、綾香に似ている。それはそうだ、浩之は、葵と綾香、この二人と一番長く練習して来ているのだ。二人に似るのは当然。

 同じような戦い方では、綾香にはこれ以上近づけない。本当の素手ならば、高校生にあるまじき実力を自覚した瞬間に、坂下は悟った。

 いや、もっと昔から、綾香には勝てない、と悟ってはいるのだ。

 だが、絶対に、坂下はそれを認めない。浩之と同じだ。実力は十分に理解しているが、勝てないなどと、認める訳にはいかないのだ。

 だから、坂下は勝つ方法を模索し、出した答えは簡単なものだった。

 綾香とは方向性を変えて、さらに研鑽する。

 綾香は強いが、それでも何度も練習していれば、多少なりとも対処法を浩之は身につけている。それが綾香の手加減と相まって、それなりの組み手が出来ているのだ。

 だが、綾香、葵、坂下の三人の中で、一番一緒に練習する時間が短く、他と格闘スタイルが似ておらず、ほとんど手加減なし。

 浩之が、いい勝負を行える条件など、どこにもない。浩之の苦戦はむしろ当然のものだ。

 それを、真剣に見ている葵も、ハラハラしながら見ているランも、理屈はともかく、相手になっていない、ということを肌で感じている。

 まったく、俺のプライドがズタズタだよな。

 浩之は、苦笑を口元に浮かべる。そんな安っぽいプライドなど、葵や綾香を先生として練習している間に、とっくに捨てたのだから、そんなものは単なる軽口でしかないのだが。

 打つ手なし、と誰もが判断するだろう現状にも関わらず、浩之は、また坂下に向かって拳を突き出す。

 が、踏み込みが浅かったのか、今度はあまりにも遠すぎる。坂下が受けるまでもなく、単純に届かずに、空を切る。

 実力差を見せつけられて、浩之が気押されているのが、誰の目にも明らかだった。

 さらに言えば、パンチが届かないなりに近づいてきた浩之の立ち位置は、坂下が踏み込んで攻撃するには、丁度良い位置になっていた。

 坂下は、踏み込んで、拳を打ち出す。浩之が出したような、様子見や気後れしたようなパンチではなく、これ必殺、と言わしめるような、凶悪な突きだ。

 パ…シンッ

「っ!!」

 軽い音を立てて、その突きが、宙の有らぬ方向を向いて、空を切った。

 音としては軽かったが、浩之の腕に伝わったのは、非常に重く鈍い衝撃。普通なら、x軸のベクトルにy軸のベクトルをぶつければ、苦もなく方向を変化させられるのだが、そのx軸の力が強すぎた所為で、そらす距離が極端に短くなった。それをさらに軌道修正するために、浩之のアッパーには並々ならぬ力が込められたのだ。

 浩之の狙い澄ましたアッパーが、坂下の突きの軌道を変えた。

 相手の打撃を打撃ではじく。一発目のパンチが届かなかったのは、何も浩之が気後れた所為ではない。稚拙とも呼べる攻撃で、坂下の攻撃を誘ったのだ。

 届かない一撃は、しかしちゃんと坂下に届いたのだ。

 しかし、あまりにその突きの威力が高かった所為で、いつもは軽い打撃音が、妙に間延びしてしまった。

 が、軌道はそれた。それで浩之には十分だった。

 右を打ち上げられた坂下の脇に、決定的な隙間が生まれていた。

 浩之は、そこ目がけて、すでにコンビネーションに入っていた動きのまま、左のミドルキックを放つ。

 響いた打撃音は、ギュイン、だとか、ギィン、だとか、そんな金属音に似た音だ。人が出せるような音ではない。

 浩之の身体が、打撃音と共に後ろに跳ね飛んだ。バランスを崩しながらも、浩之は転倒だけは免れて、距離を取る。

 坂下は、一瞬、ひやりとした。が、実力が、坂下の方が上手だった。

 腕を上に打ち上げられた状態から、坂下はとっさに、右のミドルキックで浩之のミドルキックに合わせたのだ。

 二人のミドルキックは、正面からぶつかり合い、あっさりと浩之の方が打ち負けた。

 もし、もう少し実力が浩之の方に傾いていたなら、飛ばされているのは、さらに言えばミドルキックの直接を受けるのは、坂下の方だったかもしれない。

 実力は、確実に坂下の方が上だろう。

 だが、浩之は、坂下を脅かす何かを、ちゃんと持っている。それを実力と言わずして、何を実力と言うだろうか。

 まったく、という言葉を思い浮かべるのは、今度は坂下の方だった。

 まったく、私をこうも楽しませてくれるとは、やはり、藤田は、本物か。

 ただ、今は坂下の方が上で、その関係が変わることを、坂下は決して許さない。

 まあ、今はせいぜい楽しませて……

 ザワッ

 音がした訳ではなかった。それは、坂下の背筋が泡立つ感覚だった。

 そこにいた四人が四人とも、浩之どこではなく、ランまで、そちらを振り向いた。

 その、殺気の方向を。

 

続く

 

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