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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(211)

 

 日も暮れて、あの無茶とも思える練習が終わった帰り道。

 私は、ちらり、と少し離れて歩く浩之先輩に視線を向けた。

 ボロボロだ。誰がどう見てもボロボロである。それ以上の言葉が思いつかない。それぐらいボロボロである。普通に歩いているのが不思議なぐらいだ。

 原因は、浩之先輩の横に立つ楽しそうな来栖川綾香と、私の横で、やはり楽しそうなヨシエさんだ。松原さんは何も悪くないと思う。少なくとも、この二人を止められなかった、という点に置いては、私も同罪だ。

 あれから、浩之先輩はヨシエさんの相手をして、さらに松原さんがヨシエさんの相手をしている間に、来栖川綾香の相手をしていたのだ。

 何度か見て、あのエクストリーム部?の力関係はよく分かった。浩之先輩の立場が弱いのだ。無下に扱われている訳ではないが、わりを喰らっているのは間違いない。

 前年度、エクストリームチャンピオン来栖川綾香。今年度エクストリーム予選一位通過、松原葵。たまに一緒に練習するのは、ヨシエさん。錚々たるメンバーだ。

 その中で見れば、浩之先輩も、怖ろしいことに、際立った選手ではない、ということだ。

 私も練習に参加しようかとも思ったが、身体の調子は良かったが、相手がいないのもあって組み手には入らなかった。入ったとしても、この面子を相手に、練習になったかどうか。

 浩之先輩がボロボロになってしまうような練習だが、それよりも何より、と私は思ってしまう。何より、その後が圧巻だった。

 来栖川綾香とヨシエさんの組み手、あれは圧巻だった。

 単なる練習、と割り切れない迫力が、両方から放たれていたのだ。そして応酬される、技、技、技。

 ヨシエさんは組み技を使ったところは見たことがないが、来栖川綾香なら組み技を使えるだろう。それなのに、二人は申し合わせたように打撃しか使わない。

 いや、来栖川綾香をしても、下手な組み技など使えなかったのだろう。離れて見ている私でも、ヨシエさんの打撃が目で追えないのだ。組み技を入れ込む隙など生まれようはずがない。

 試合が近いということで、高ぶっているのは知っているが、それにしても、今日のそれはギアが違うと思う。

 しかし、来栖川綾香も、それに十二分についていっていた。というより、もうレベルが高すぎて、どちらが押していたのかすら分からない。

 冗談ではなく、二人の激突で地面が削られたかもしれない。

 ヨシエさんも凄いが、さすがは来栖川綾香としか言い様がない。

 来栖川綾香か……この女、危険だ。

 私は浩之先輩を盗み見ていた視線を、一瞬だけ来栖川綾香に向ける。それ以上見れば、気付かれるのでは、という根拠のない不安があったからだ。

 来栖川綾香が、遠くから私達の方に放った殺気、私はそれがまだ頭から離れなかった。

 というか、浩之先輩やヨシエさんは気にならないのだろうか?

 あれは、間違いなく人を殺したことのある人間の放つ殺気だ。いや、私だって殺人者と相対したことなどないが、それは的はずれではないと思う。

 あのとき、正直、もしまわりに誰もいなかったら、背を向けて逃げていただろう。戦うこともなく、だ。そして掴まって、殺されていただろう。

 あんな人を殺すことを平常としたような殺気に身をさらしておいて、それでも平気な他の人達の気が知れなかった。

 しかし、私以外は、慣れたもののようだった。ヨシエさんなんて、それにまったく動じることもなく近づくのだから、この人達の間では、普通のことなのかも知れない。

 ……いや、そんなこと、ありえない。

 来栖川綾香がどれほど非常識だって、あれはおかしい。

 だって、あれは、浩之先輩に向けられていたから。

 丁度、視線と来栖川綾香の間に、浩之先輩を挟んでいた位置に、私はいた。だから、一瞬、その殺気が私に向けられたものなのかと誤解してしまった。

 しかし、間に浩之先輩がいたということは、来栖川綾香は私が見えなかったはずなのだ。しかもけっこうな距離があった。来栖川綾香の目が良かったとしても、私が誰であるのか、予測はとくもかく確信する可能性は低いと思う。

 だから、状況から判断すると、あの殺気は、浩之先輩に向けられていたとしか考えられない。

 部活の帰り道、皆で並んで楽しそうに話をしながら歩いている様は、どこにでもいる高校生にしか見えない。

 でも、どこにでもいる高校生は、友達を、いや、違う関係であっても、あんな殺気を孕んだどころか、殺気そのものの視線で、見るだろうか?

 今も、仲が良さそうに歩く姿に、私は嫉妬している。それほどの間柄なのに、あんな目で見るものなのだろうか?

 まさか、ヨシエさんと戦っていることが気に食わなかっただけでもあるまい。

 仲良く話をしていたとか、私が見たように、膝枕をしていた、とか言えば、嫉妬で睨んだとしてもおかしくないと思うが、レベルは高くとも、どこからどう見ても、単なる練習だった。

 それに、もう一つ気になることがある。

 どういうつもりで、来栖川綾香があんな目で浩之先輩を見たのかを置いておくとして、納得できないことが、もう一つある。

 何かしらの理由で、来栖川綾香が怒りなり嫉妬なりを感じて、それで思わず浩之先輩を睨んだとして。

 ……駄目だ、思わず睨んだ、などという甘いものではとても表しきれない。考えれば考えるほど、納得いかないことばかりだ。

 殺気を、何で浩之先輩に放ったかは置いておいて、どうして、その後、ほんの数秒だったと思うけれど、来栖川綾香の方を皆が見た後も、そのままでいたのか。

 分からない。思わず殺気がこもったとしても、それなら、数秒とは言え、長い間それを解かなかったのか。

 脅迫以外で、相手に殺気を見せてもいいことなどないはずなのに。殺すなら、当然隠していた方がいいだろうし、つい思ってしまったなら、そんなに維持する必要もなかった。

 浩之先輩を、脅迫したかった?

 それでもやはり分からないことには変わりない。

 私が同じように、来栖川綾香から殺気を放たれて、目を向けた後でもそれを崩されなかった、自分を殺す気だ、と思ったろう。

 そして、殺気を向けられたのが浩之先輩なら、命を狙われているのは、浩之先輩なのだ。

 私は、浩之先輩に警告して仕方なかった。

 来栖川綾香は、浩之先輩を殺そうとしている。そう言ったら、浩之先輩は鼻で笑うだろうか。困った後輩だ、と苦笑するだろうか。それとも、私の想像を超えて、まあそうだろう、と納得するだろうか?

 とにかく、言って、浩之先輩に警戒して欲しかった。浩之先輩に笑われるのはいい。私だっておかしなことを考えていると思っている。それでも。

 そうしないと、浩之先輩が、殺される。

 今、笑顔でいる来栖川綾香が、いきなりその化けの皮をはがして浩之先輩に襲いかかったとしても、私は驚かない。

 私は、視線を感じて、一瞬、そちらを見ようかとして、何とか踏みとどまる。

 来栖川綾香の視線を、一瞬だけ感じたのだ。

 私の態度がおかしいのに、気付いている?

 私が、今浩之先輩に話しかければ、邪魔をする私を殺す、とでも言うつもりなのだろうか?

 殺気こそ感じなかったものの、しかし、それは単に横にいるヨシエさんと言う同等のレベルの重しがあるだけなのではないだろうか。

 とりあえず、家に帰ったら、電話をしよう。

 私にできることは、このまま浩之先輩が、どこにもよらず、すぐに家に帰ることを願うことだけだった。

 

続く

 

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