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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(212)

 

 坂下と綾香は、皆が別れた後も、しばらく一緒の道を歩いていた。

 同じ道場に通っていたことからも、分かるように、二人の家はけっこう近い場所にある。しかし、帰り道が同じ、例えば浩之とあかりのような、というほど近い訳でもなかった。

 坂下が、いくらか回り道をしているように思える。

 というより、案外この二人の組み合わせというのは珍しい。いや、一緒にいるのはよくある話なのだが、この二人だけ、というのは珍しいのだ。

 いつもは、葵が間に入っているし、最近はそれに浩之が追加されたり、葵の代わりに入ったりしている。

 仲は、良い方なのだ。お互い、というか坂下が一方的にわだかまりがあったこともあるが、それでも二人は親友と言ってもいいのではないだろうか。

 まあ、親友など、これほどこの二人に似合わない言葉もないものだが。おかしいと思っても、事実は事実として受け止めねばなるまい。

 しかし、仮に親友であるというのが本当のことであったとしても、坂下がわざわざ回り道をしたのは、綾香と仲良く話をしようとしたからではない。

 というか、この二人の場合、このまま決闘、と言われた方が、仲良くおしゃべりをするよりもしっくり来るのはどうしてだろうか?

 浩之ともランとも、十分離れた、と思ったのだろう、坂下が口を開く。ただ、口調は軽いものだ。これから修羅場になるような雰囲気はない。

「綾香、さっきのは何?」

「いきなり何の事?」

 綾香は、当然のことのようにとぼける。綾香のことだから、思わず、ということはないだろうから、どれも意識的にやっているのだろう。

 坂下は、あまり必要性も感じなかったが、綾香がとぼけるものだから、多少口をとがらせて指摘する。

「さっきのランに対する牽制の話」

「ほんと、何の話かわかんないんだけど」

 はっきりとぼけているのがわかるほどあからさまな綾香の態度を見て、坂下は大きくため息をついた。

「さっき、ランが警戒してるのに、わざわざ視線送ったのは何でかって言ってるんだよ」

「警戒? それこそ、お門違いじゃない。私は別に警戒されるようなことした覚えはないけど?」

 本気で知らないふりをするつもりもないのだろう。綾香は会話を楽しむかのように挑発的な表情を坂下に向ける。

 そう、そのランに警戒された理由こそ、坂下が回り道をして綾香に尋ねたかったことだ。

 ランが綾香を警戒する理由が、いわゆる恋のライバルだから、なんて理由なら、坂下は多少眉はひそめただろうが、自分が口を出すものではない、と判断したろう。例え、綾香が自分の彼氏に手を出そうとする後輩の女の子を睨んだとしても、それは仕方のないことだ。

 だが、ランが綾香を警戒したのは、単に浩之と仲の良い美少女だからではなく、その美少女が、肉体的な意味で危険だと判断したからだ。

 今日の綾香は、おかしかった。いや、おかしいと言うならば、綾香は一般人と比べれば、明らかにおかしい。そのおかしさが平常であるので、葵すらも気にしなかったようだし、浩之はむしろ実に慣れたもの、と表現できるほどだが。

 しかし、いくら非常識と言われる綾香でも、あれはおかしかった。

 綾香は、確かに、殺そうとした。

 殺気、だ。綾香が穏やかでない感情をあらわにするのは、別段珍しいことではないが、あれはその段階ではなかった。本気で、殺す気だったとしか、思えない。

 ただ、あの中の誰に、と言われると、坂下にもわからない。

 ランは浩之に対して、と判断していたからこそ、綾香を警戒して、浩之に気を配っていたようだが、ランの意識過剰というか、ひいき目というか、根拠なく、または主観だけで判断したのだろう、と坂下は思った。

 あれだけの激しい殺気だ。あの中の誰にぶつけられていたのか、坂下でも分からないのだ。わからないからこそ、坂下も気にしているのだが。

 これが、わかっていたら、話はもっと早かった。

 それが、坂下に対してのものなら、迷うことはない。綾香から殺気を受けたことに、ショックなど受けようはずがない。むしろ嬉しいぐらいだ。単純に戦えばいいだけなのだから。

 綾香にとってみれば、坂下はもうすでに戦い終えた人間なのだ。坂下にも、その自覚がある。あるだけに、綾香からの殺気が自分に向けられる理由はまったく思いつかないが、それは嬉しいことなのだ。

 綾香が本気だ、と感じながらも、それでも前に出た坂下は、どこか壊れているのだろうが。壊れているというのならば、綾香は完璧なまでに、芸術なまでに壊れているのだ。

「何を思って、あんなことしたのか私にはわからないけどね。事と次第によっては、相手になるよ?」

「違うわよ、好恵にじゃないわ」

 しらばっくれるつもりはまったくなかったのだろう、綾香はあっさりと認めた。そして、坂下に向けたのではないことも認めた。

 坂下は、表情にも言葉にも出さなかったが、正直に言って残念だった。

 ……もし、藤田に膝枕をしてやった、と言えば、あの半分は殺意を向けてくれるだろうか?

 綾香を怒らせる可能性があること、というので、とっさに思いついたのはそれだったが、どうなるのかは、言ってみなければ、坂下にも想像がつかない。

 綾香は、複雑でいるようで単純明快、行動自体は想像しやすいのだが、こと浩之がからむと、長年の付き合いの坂下でも、行動が読めなくなってくる。

 その天才のゆらぎに対して、坂下に思うことはない。どうせ、想像を出ないのだ。綾香がどういう行動を取るかも、坂下がわざと綾香を怒らせるようなことも。

「……ねえ、好恵?」

 珍しい、綾香の尋ねるような口調。坂下は、無言で先をうながす。

「浩之、強くなった?」

 また、藤田か。嫉妬してしまいそうだ。

 それが、綾香に対してなのか浩之に対してなのか葵に対してなのか、それこそ坂下には分からない。

「そうだね、強くなったと思うよ。打撃の打ち落としも、何度かやられたけど、今日の私のコンディションを考えれば、一回でもやれたのは凄いと思うね」

 まだまだ坂下は、浩之に負けるつもりはない。しかし、浩之が伸びているのは正しくて、間が縮まっているとも感じる。

 下から押し上げてくる相手に対する恐怖が浩之に対する判断を多少狂わせているかもしれないが、それでも、浩之が強くなってきているのは間違い様のないこと。

 負ける気はまったくない。それでも、客観的な判断なのか、弱音なのか、どちから判断つかない思いが、口から出る。

「そのうち、追いつくかもね」

 誰が、とも、誰に、とも言わない。

 しかし、それを聞いて、綾香はめきっ、と拳を握りしめた。

 坂下も、我が目を疑う光景。これほどまでに、綾香が誰かにこだわったことを、今まで見たことがない。

「私を超えるんなら……」

 どんなことがあっても、綾香の基準は、自分。標的も目標も指標も、全部自分。そんな綾香の、綾香としては、異常であるからこそ、異常な姿。

 殺気の正体は、他の何物でもない、殺意だった。

「そのときは、殺すから」

 

続く

 

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