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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(215)

 

「ぶほっ!」

 とても格好悪い声を出しながら、健介の身体が大きくはね飛ばされる。大したこともないのに、何大げさにしているのだか、という顔で苦笑した坂下が、先ほど健介をはね飛ばした足刀蹴りを放った脚を下ろす。

 ごろごろと転げ回った結果、べち、と壁にぶつかって、健介は動きを止めた。

 死んだか、と部員達が、恐る恐る健介をのぞき込む。

「っの野郎!!」

 しかし、健介はブリッジの力で身体を跳ねて、元気に立ち上がる。

「逃げるのうまくなったね、健介。ついでに、私は野郎じゃないよ」

 坂下の足刀蹴りの直撃を受けてすぐに立ち上がれる訳がない。健介は、後ろに飛んでダメージを殺したのだ。とは言え、勢いを殺しきれずに、転がって壁にぶつかるという醜態をさらしてしまった訳だが、今更健介の醜態の一つや二つで、部員も驚いたりしない。

「黙れ、この男女!! いい気になって人をぽんぽんと蹴り飛ばしやがって!!」

「何だ、拳の方が良かった?」

 そう言って、坂下はグローブを外そうとする。それには、いかな健介と言え、そのまま強がってはいられなかった。

「い、いや、まあ待て。てか、ここで俺を亡き者にするつもりか、てめえ」

「いいから、せっかく相手してやってるんだから、もっと真面目にしな。空手は礼に始まって礼に終わるんだよ」

 まだ何か言い足そうだったが、坂下に睨まれ、健介はすごすごと引き下がった。健介のふがいなさを責めるよりは、坂下の迫力を誉めるべきだろう。

 健介は、組み手と言っても、ほとんど試合形式で戦っている。しかも、寸止めなしだ。坂下も、さすがに抜き身の拳では危ないと思って、わざわざ大きめのグローブをはめているのだ。

 もっとも、このグローブ、健介のプライドを余計にズタズタにしているのだが、そもそも、健介にプライドが残っているのかどうかも怪しい。

 昨日よりは精神的に落ち着いたのか、坂下は、手加減して健介の相手が出来ているようだった。それでも、あっさりと健介が負けているあたりで、実力の差が分かろうというものだ。

 ビシッ!!

「ぐっ!!」

 健介のストレートが当たるよりも速く、坂下のローキックが入り、がくっ、と健介の膝が落ちる。

 太ももにローキックが決まれば、根性でどうこうできるものではない。試合ならば間違いなくKOだ。坂下の一撃なら、なおさらのこと。

「今日はここまでだね」

 膝を落としたまま、立ち上がれない健介を上から見下ろすようにして、坂下が言う。

「くっ、待ってろ、すぐ立ち上がる……」

 意識ははっきりしているし、やる気もあるのだろうが、いかんせん、ダメージは大き過ぎる。回復するまでは、その脚は動かないだろう。

「その強がる根性は認めてやってもいいけど……」

 坂下は、他の部員達を見回す。健介が戦闘不能になったのを、手ぐすね引いて待っていた田辺と目が合うが、坂下はわざとそれを無視した。

「ラン、ちょっとこいつ、外でアイシングしてやって」

「へ?!」

 驚いたのは、自分の役目だと思っていた田辺だ。ランの方が、何を言われているのか、まだ理解していないようだった。

「ち、ちょっと待って下さい、先輩。それは私の役目……」

「最近、いつも田辺にやらしているからね。雑用は公平に振り分けた方がいいだろ?」

「いや、雑用って、そりゃ雑用ですけど……」

 田辺も、確かに今まで自分がやっていた仕事だが、どうしても田辺がしなければならない理由が思いつかず、まごまごとしている。

「田辺、最近、集中できてないようだから、丁度いい。私が少し相手するよ」

「え?! いや、本気で勘弁して欲しいんですけど……」

 思い当たるふしもあるのだろう。しかし、まさか自分が標的にされるとは、ついぞ思っていなかったようで、かなり慌てている。

「ランも! どうも集中できてないようだからね。少し頭冷やして来な」

「……押忍」

 そう言われて、ランは一瞬、顔色が変わるが、すぐにポーカーフェイスを決め込む。

「ほら、田辺。ちゃんと手加減はするから、安心していいよ」

「そんな、健介のバカならともかく、私手加減されても殴られたら死んじゃいますよ!!」

 色々と不満どころか、身の危険まである田辺は、何とか抵抗しようとしたようだが、結局、坂下から逃れられる訳もなく、健介にまでかわいそうに、という顔で見られている。

「あ、こら健介、最下層の癖に私に同情できる立場とでも……ちょ、先輩、マジで構えてませんか。いや、私、単なる女子高生なんで、本気で死んじゃいますよ?」

 ランは、あせる田辺を置いて、健介に肩を貸して、水道のある場所まで健介を連れて行く。

「へ、いい気味だぜ。つっても、坂下の野郎なら、ちゃんと手加減ぐらいはするだろうけどな」

 いつもいじられていることに対するものだろう、健介がにやりとしながらそうつぶやくが、後半を聞くと、少しは心配しているようである。それとも、坂下に全面の信頼を置いているのか。

 水道のところまで連れて来られてから、健介は、初めて自分に肩を貸すランに目をやった。というより、会ってから、初めてランを見た、と言ってもいいかもしれない。

「そういや、お前もマスカの選手なんだってな」

「……そっちよりも順位はかなり低いけどね」

 ランも、口調がきつくなっている自覚はあった。しかし、仲も良くない、年上でもない、尊敬すべき点もない相手に、敬語を使う気にはなれなかった。

 空手部の健介であろうと、マスカのビレンであろうと、ランには仲良くなろうなどという気はない。しかし、不思議と、肩を貸すことには嫌悪感はなかった。

 しかし、健介は、それに気を悪くした様子はなかった。

「ま、女だてらにマスカに入れるんだ。それでも十分凄えだろ。上位にも三人しか……いや、坂下の野郎もいるということは、女も侮れないのか?」

 何故かランを擁護するようなことを言おうとして、それに失敗している。ただ、何故か悪意が感じられない。正直、ランとしては拍子抜けだった。

 ランも、悪意がない相手には、さすがに悪感情を向けることはできなかった。

「ヨシエさんと比べるのがそもそも間違ってる。ビレン……健介だって、それは良く分かってるでしょ?」

「ああ、嫌ってほどな」

 呼ばれ方には、何のこだわりもないようだった。言い直したランに、一言すら文句を言わない。

 健介とランの関わりは、マスカ、というものがあるだけで、後は何もないはずだった。だから、正直、ランは健介との距離が、案外近いことに驚いていた。

 そして、近しいと思うと、口も軽くなる。

「健介、私が言っていいことじゃないかもしれないけど……」

「ん?」

「田辺さん、泣かしたら許さないからね」

「ぶはっっ!?」

 水を飲もうとしていた健介は、坂下から足刀を喰らったときよりも派手な声を上げて、吹き出した。

「げほっ、ごほっ、て、てめえ、いきなり何を……」

 ランは、まったく健介の方を見ない。健介も、その話題をそのまま続けられても困ると思ったのだろう、それについては何も言わなかった。

「……あーあ、こりゃ見事にあざになってんな」

 多少わざとらしかったが、健介は、道着をめくって、太ももを冷やしだした。

「これは与太話だけど」

「うっ、な、何だよ」

 さっきのことがあったからだろう、健介は警戒しているようだった。

 しかし、その健介の様子を、ランはまったく見ていなかった。

「ヨシエさん……と同じぐらいの実力の相手に、どんな手を使ってもいいから、あんた、勝てる?」

 

続く

 

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