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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(217)

 

 自分がいらないところで敵を作っていることに気付いていない綾香は、同じ時間に、すでに友達と別れて、一人で河原にいた。

 セリオは最近、何かと検査が多く、あまり一緒にいることができないが、今の時期、一人で行動できるのは、綾香としてはありがたかった。

 この土手のあたりで、浩之とあの勝負をしたのだ。

 綾香は、珍しく、ふう、とため息をついた。

 考えてみたら、ここから始まったのか。まだそんなに経ってないはずなのに、なつかしいな。

 綾香は、非常識ではあってもバカではない。だから、昔のことを忘れることはないし、失敗や挫折があれば、それを次に生かすために、記憶に止めておくのは簡単なことだ。

 それでも、昔を思い出してなつかしむ、という感覚は、一度もなかった。

 あの、綾香を形成する出来事、とまわりからは見られるかもしれない、あこがれた人の誇りを壊してしまったことも、綾香にとってみれば、ああ、自分はこういう人間なんだ、という自己分析にはなったが、自己形成にはなりえなかった。

 目の前にある障害が、いいものであろうが悪いものであろうが、それを撃破する。それは、綾香の有り様。思考とか、そういうものすら必要としない、そういう存在。

 飛べるだけの、高みへ。

 そして、下から来る者が、自分の前に出るのを許さず、叩き落とす。

 浩之に勝負で負けたことは、綾香としては珍しいどころの話ではないのだ。実力で勝っている相手に負けたことなど、それまでなかったのだから。

 ううん、浩之なら、実力的にも、私と均衡してるかも。

 だからこそ、綾香は浩之を気に入った。俗な言い方をするならば、能力が高いからこそ、自分の横に置いておくのだ。

 友人には、そんなことは求めない。気さえ合えば、友達としてはまったく問題ない。

 しかし、自分の横、と言うと、話が違う。綾香は、自分が多才、言ってしまえば、天才なのをよくよく理解している。そして、隣にいるのならば、それを相手に要求することも。

 全部とは言わない、最低、一つでも自分をうならせるだけの才を、綾香は求める。

 葵にしても、そして坂下にしても、親友と言っていい距離に置いているのは、そのためだ。坂下など、一度その枠から漏れたのに、今一度戻って来たほどである。

 それでも分かるように、天性の才能を綾香は求めている訳ではない。努力だけでは天才には勝てないが、努力で覆せない訳でもないのだ。

 覆すだけのものが、どれほどのものか。それは才能のあるなしよりも、よほど難しい話なのだ。

 だからこそ、綾香自身も、わがままなのは分かっているのだ。せっかく集めた自分が実力を認めた相手を壊すなど、理にかなっていないことこの上ない。

 坂下にも、あきれられたのだ。たったあれだけの言葉で、付き合いの長い坂下は、綾香がどういう思いなのか、おおよそ分かったらしい。

 ただ、少しだけ、違う部分がある。

 綾香は、負けることを怖いと思っている。絶対に負けたくないと思っているし、負けるつもりなど、毛頭ない。

 でも、浩之になら、負けてもいいか、と思う気持ちもあるのだ。それは、恋、というには、あまりにも、話題自体が殺伐としたものなのかもしれないが。

 負けたいと思ったことはないけれど、負けてもいい、などと考えたこと自体が、綾香には初めてなのだ。

 負けてもいい、とは思うのだ。しかし、綾香は、負ける訳にはいかない。

 綾香を超えたとき、それが、浩之が自分から離れていくときなのだ、と綾香は感じていたからだ。

 意味がわからない、と綾香ですら思う。

 浩之とは、いい関係なのだ。確かに、浩之は女の子からもてるし、あまり女の子と一緒に行動することに抵抗がないようだが、それでも、綾香が一番なのは、綾香にはけっこう確信があった。

 恋愛事に関してだけは、あまり天才とも言えない綾香だが、根拠のない自信ではない。

 綾香は、ランと遊んでいる浩之に、馴れ馴れしく話しかけた。そのとき、綾香はランには何の弁解もせずに、綾香にだけいい訳をしていた。つまりそれは、綾香に誤解されるのが一番困る、と意識したのか無意識だったのかはわからないものの、浩之が選択したということだ。

 もっとも、知り合いになってまだ日の浅いランや、同じく一緒にいた初鹿などよりも、葵や浩之の幼なじみであるあかりの方が、綾香にとってはよほどライバルとなりうる相手なのだが。

 実のところ、ランが思うほど、綾香はランのことを気にしていない。いちいち気にしていられるほど、浩之は半端なモテ方をしていないのだから。

 未来の話はわからないが、今は、綾香が浩之の心を独占しているはずだ。浩之の性格から言って、気付けないことはあっても、自分から率先して二股をかけるということもないと言い切れる。キスをしている以上、綾香が浩之に彼女として認識されているのに疑問はない。

 よほどのことがない限り、別れたりもしない、と思っている。

 それでも、自分が負けてしまったら、と綾香は思うのだ。

 浩之は、多少なりとも、綾香に力を示したからこそ、綾香の横にいれるが、反対に、綾香は力を示したから、浩之の横にいれるのではない。

 格闘技の強さ云々は、浩之との関係に重要ではあっても、必須の項目ではないはずなのだ。

 それなのに、綾香は、負けてしまったら浩之が離れていくと感じていた。

 理屈では、ないのだろう。自分をかなり理解していると思っている綾香でさえ、その気持ちの中に、ただ負けたくないという気持ちが含まれていない、とは言い切れない。

 しかし、そう思うようになったのは、浩之の実力が、才能の面だけでなく、実際のものとして、綾香に近付いてきた、と綾香が感じている所為だろう。

 予定であれば、それはまだ何年か先の話のはずなのだ。

 ついこの間なら、冗談とは受け取らなかったものの、まだまだ笑い話のレベルでしかなかった。

 急激に、綾香が思っているよりも早く、浩之が近付いて来ていることに、あせりすら感じたのかもしれない。

 北條のクソおじ様が、あんなことを言わなければ、もう少し気付かないでいれたのに。

 そうは思うが、しかし、それも時間の問題であったのも事実。

 そう遠くない未来、綾香は同じ思いをかかえることになっただろう。

 しかし、今の気持ちを表現すれば、気分が悪い、という訳ではない。むしろ、楽しく感じている部分すらある。

 怒りに近いものが、綾香の胸の中をモヤモヤとさせている一方、浩之が強くなることに対する、素直な喜びを、綾香は忘れていない。

 最近は、色々なものが混ざってきてはいるが、浩之に格闘技のイロハを教えたのは綾香と葵であり、その葵も、昔から綾香と一緒にやって来た。

 自分色に、好きな相手が染まっていくのは、正直理屈抜きで嬉しかった。それで成果が出ているとなれば、なおさらだ。

 しかし、反対に、浩之との思い出の場所に一人で来るという行動自体は、決して前向きな行動ではないのも事実。

 こういうときは、身体を動かせば少しはすっきりするんだけど、と綾香は思った。

 一人でいれば、誰かが襲ってきてくれるかもしれないが、エクストリームでも極端に実力を示した以上、マスカでケンカを売られる可能性も低い。

 ここは、見通しはいいものの、あまり人が通らない。だからこそ、浩之との勝負をここでやったというのもあるのだが。

 つまり、ケンカが起こったとしても、まだ明るいうちでも、見つかり難いということだ。

 綾香は、自然に、くいっ、と腕を引きつけて、肩の柔軟をした。

 そして、振り返った。

 そこには、見たことのない人物が立っていた。正直、怪しさで言えば、かなり怪しい格好をしている。しかし、街中で見たとしても、マスカレイドのマスクほど、目立たないかもしれない。

 その、フルフェイスのヘルメットは。

 

続く

 

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