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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(222)

 

「チェーンソーの試合?」

 いつものファミレスで、坂下は聞き逃せない言葉を聞いた。

 今日もランは、ここに来ていない。しかし、レイカ達はそう気にしていないのか、いつも通りどうでもいい話をしているだけだったのだが、その中で出た話題だった。

「そ、チェーンソーの試合が、今度あるのさ」

 レイカは、ズズッ、とドリンクバーのコーラをすすりながら、前のカリュウとアリゲーターの試合のときとはうって変わって、関係ないという風に言った。

 坂下は、レイカ達がいるときに、チェーンソーに襲われているのだ。もっとも、実力のほとんどを見せずに、襲って来たくせに、あっさりとチェーンソーが引いてしまったので、欲求不満になった坂下に、浩之が色々やられそうになったりもしたのだが。

「……一位か」

 マスカレイドの順位にはまったく興味のない坂下だが、チェーンソーの強さは、少しじゃれあった程度のあの接触でも十分理解できている。興味がない訳がなかった。

 しかし、それにもまして、レイカ達の興味はなさそうだった。さすがにちょっとおかしいと思って、坂下は聞いてみる。

「一位の試合だろ、もっと騒いでもいいと思うんだが」

「あー、あんま興味でないよ。どうせ、チェーンソーが勝つって。それに、今回の相手はイチモンジって、最近六位になったばっかりの女で、人気は凄いけど、私達はあんまり興味はわかないんだよね」

 そこか、と坂下は苦笑した。

 前のカリュウとギザギザの戦いは、どちらかと言うとアイドル性の高い二人だからこそ、あそこまで盛り上がったということなのだろう。

 しかし、仮にも一位の試合だ。マスカレイドを見ている人間なら、見てみたいと思うのは当たり前のような気もするのだが。

「それに、今回はチケット手に入らなかったしね。ヨシエが戦う相手でもないし、赤目も今回は都合つけてくれなかったんだよ」

 多少は残念そうだが、前の試合よりは興味がないようだった。唯一、悔しそうにしているのは、前の試合とは反対に、このチームの情報役、ゼロの方だった。

「カリュウとギザギザの戦いよりも、よっぽど今回の方が見所があると思うんだけどねえ。これだからミーハーな人間は」

「そういうゼロは格闘オタクだろうに」

「ふふん、違いない」

 言い換えされたにもかかわらず、くっくっく、とゼロは嬉しそうに笑う。どうもゼロにとって、格闘オタクというのは誉め言葉らしい。

「しかし、おしいね、ほんと。ただでさえ上位のチケットは手に入り難いってのに、一位と、六位とはいえ、男にはかなり人気のイチモンジの試合だからねえ」

 坂下としては、もちろん一番戦いたいのはカリュウだが、それは途中のものを投げ捨てるというのを良しとしない気持ちがあるからこそ、だ。胸のひっかかりさえ無ければ、格闘家として興味があるのは、間違いなくチェーンソーの方にだ。

 ただ、その相手、というのにも興味はある。イチモンジは、名前は聞いたことがあるような気もするが、詳しくはまだ一度も聞いたことがないはずだ。

 丁度良いことに、一緒にいるのは、格闘オタク、もとい、マスカレイドの情報収集については、おそらくかなり詳しい部類に入る、ゼロだ。

「で、そっちのイチモンジって方は」

「ヨシエのことだから、そっちにも興味持つと思ってたよ」

 ゼロは、嬉しそうに話し出す。どうも、ゼロにしてみると、自分の知っているうんちくをしゃべるのがかなり楽しいらしい。そういえば、ランとタイタンとの戦い方を話し合っているときも、というか一方的にしゃべっているときも、楽しそうだったな、と坂下は思い出す。

 ランと言えば、今日の練習は、綾香の殺気に当てられて、調子を崩していたようだ。

 殺気が浩之に向けられていたことを、偶然か必然か気付いていた様子だったから、おそらくは浩之の心配をしているようだし、坂下が綾香本人に確認したので、それが杞憂ではないことを知っているが。

 坂下としては、ランには悪いが、いらないおせっかいだ、と思う。

 もちろん、そんなことは言ったりはしない。ランはランなりに考えて、または考えられずにそれを選択している以上、坂下が口を出すべきことではないと思っている。

 しかし、そういう言い方をするのなら、ランが、浩之と綾香の関係を心配する方が、むしろおせっかいなのだ。

 冷たい、と言われても仕方ないかもしれない。しかし、あれは二人の問題で、坂下には口出しは出来ない。

 正直、くやしい、と思う。

 二人の間に、坂下も、ランも、入る込むことなんて出来ない。

 嫉妬しているのだ。綾香にではなく、浩之に。それぐらいは自分の感情の動きを、坂下は理解している。

 私は、綾香から切り捨てられたのに。

 綾香が、空手から出たのは、結局、綾香が楽しめる相手がほとんどいなかったから。自分よりも強い、という意味で言えば、絶無だった。

 坂下の場合、それで荒れることはなかったが、その思いは、ずっと坂下の中でわだかまっていた。

 昔よりは、その思いも、大分薄れた。葵に負けたことが、坂下の、もとからある謙虚や穏やかな心を呼び起こしたのだ。

 それでも、こう見せつけられると、昔の気持ちが、またよみがえって来る。

 坂下には、綾香を空手に残しておくだけの強さがなかったのだ。成長する前ならば、葵にだってそれはなかった。

 そして、坂下は空手に残り、葵は綾香を追った。二人の行動は、まったく正反対にも見えるが、元は同じところから出ている。

 追ってくる後輩を、かわいくは思っても、綾香は葵のために自分のステージを変えたりしない。綾香は、自分の道を知っているし、それを曲げる必要を感じないだろう。

 実際、良かったのだと、坂下は思う。綾香は、空手の枠でおさまる人間ではなかった。空手の奥は、まだまだ深いが、その年齢で行ける部分は、綾香は行き尽くしていた。いや、年齢以上に行っていると言ってもいいだろう。

 そして、その自由度は、決められたルールが狭いよりも広い方が、良く、綾香が楽しめる。

 ルールで強弱が決まる、という次元では、綾香はすでにない。苦手と言われる組み技でさえ、さて、勝てる人間がどれほどいることか。

 綾香がエクストリームに行ったのは間違っていない、と今は悟っている。

 しかし、そんな綾香の選択を、浩之ならば、もしかすれば変えさせるのでは、という懸念があるのだ。

 浩之が、もし空手に行けば、綾香は、それを追うかもしれない。それほどに、浩之に傾倒している。

 言ってしまえば、ぽっと出のランが、坂下がずっと抱えてきた問題に、口を出すのを、なまいきだ、と思っているのだ。

 もっとも、今の坂下には、苦笑しながらそれを自覚できるぐらいには、冷静なのだが。

 それに、恋愛感情まで入ると、ほんと、私じゃ口を出せる問題じゃないよ。

 まあ、今回一番問題になるのは、その点な気もするのだが。

「イチモンジは……」

 ゼロがうきうきしながらしゃべり出したうんちくを、坂下は、どこか集中できずに、聞くこともなく聞いていた。

 

続く

 

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