作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(227)

 

「何……今の?」

 田辺は、一体どんなトリックがあったのか、理解できないようだった。まるで手品を見ているようなのだ。すぐに理論的に考えろ、という方が無理だろう。

「右手の剣を、左に持ち替えただけだろ」

 なるべくそっけなく、実はかなり優越感を持ちながら、健介は答えを言ってやる。

 剣の中腹を左手にそえた構えは、形だけではなかったのだ。

 まず、攻撃が来るだろうと予測された右手が放たれるが、そのときにはすでにイチモンジの右手には剣はない。

 イチモンジの右手は、剣から離され、ただ横に一閃されただけなのだ。

 ぎりぎりまで剣が右手にあるように見せかけ、それを打ち落とそうとしたチェーンソーの鎖の一撃を、空振りさせる。

 ただ避けるのとは、これが大きく違うのだ。

 避けるのならば、チェーンソーの方も、一瞬の話でも、少しは心の準備が出来て、空振りはしても、体勢を崩すことはない。

 しかし、当たると思ったものが当たらなかったというのは、それに無意識にそなえていた身体のバランスを、簡単に崩す。

 階段を登っているときに、もう階段がないのに、まだあると思いこんで足を踏み出したときを考えれば簡単だろう。

 ただ、そこにあるものがない。それだけで大きくバランスを崩すほど、人間は無意識に繊細な動きをしているのだ。

 そして、バランスを崩したところに、剣の背に左手滑らせ、柄の部分を器用に持つと、その左を、バランスを崩したチェーンソーに向かって振る。

 間一髪のところで、チェーンソーは避けることに成功したが、かなりギリギリだったと健介はふんでいる。余裕があれば、チェーンソーは残った右手の鎖で攻撃しているはずだからだ。

「持ち替えただけって……」

「スピードがあがれば、それもれっきとした技だろ」

 そう、何よりも凄いのは、右手をフェイントとして使い、左の本命を放ったイチモンジの、その一連の動きの素早さだ。

 動きに、まったくひっかかりがなかった。まるで決められたかのように、なめらかな動きだった。それはチェーンソーもただ逃げるので精一杯だろう。

 しかし、今まで、イチモンジがこんな技使うってのは聞いたことねえぞ?

 十番台の選手ならば、何とか見えるレベルだが、普通の観客には、何が起きたのかすらわからないかもしれない動き。もし使ったことがあっても、分析されなかった可能性もある。

 が、観客の中には、分析だけなら、健介もまったく歯がたたないような、格闘マニアが何人もいる。それに、後からの画像配信で、スローで確認することも出来る。

 マスカレイドでも、有名な選手は、やはり分析されているのだ。一桁台ならなおさらのこと。

 例え、その胸が人気の最大の理由であっても、だ。

 その胸の秘密の方がよほど知りたい者は多いだろうが、イチモンジが今まで分析されなかった、ということはありえない。

 つまり、ここまで、それを隠していたということだ。

 反射神経の凄い、そうと言うしかない、人間の限界を超えたような者も、素人の集団であるマスカレイドにはいる。だから、ただスピードのある攻撃は、あっさりと回避される可能性は高い。技を隠す意味など、そう多くはない。

 だが、フェイントを含んだ攻撃となれば、話も違って来る。

 多くのフェイントを含む技というのは、その反射神経を逆手に取ったものが多い。つい、反応してしまうことを、フェイントは利用しているのだ。

 しかし、来ると分かられた瞬間、フェイントはその多くを失う。

 だから、イチモンジが今までそれを隠し通して来た、というのは、一応、理由がないわけではない。それでも、驚くべきことなのだ。

 イチモンジが、今まで一桁台の選手と戦って来たのは、この試合を入れずに二回。

 さきほどのフェイントが、素晴らしい動きであればあるほど、イチモンジは、その得意の、そして効果の高い技を隠して、今まで戦って来たということになる。

 しかも、前の試合は、ギリギリの戦いで、相手もイチモンジもナース服を来た怪人達にタンカで運ばれるような試合だったのだ。

 久々の復帰戦で、チェーンソーと戦うことは、自殺行為にも見える。

 しかし、それなりの勝算を持って、イチモンジはここにいるということなのだ。一位と戦うまでは、例え入院するような怪我を負ってでも、技を封じるという、怖ろしいまでの我慢強さ。

 復帰一戦目だろうと、チェーンソーとの戦いを避ける理由はなし、か。

 胸がでかいだけではない、とは思っていたが、健介の思う以上に、骨のある選手のようだった。いや、そもそも、順位で言えば、健介などまったく歯の立たない相手なのだが。

 しかし、いかに隠していたとは言え、一度見せてしまっては、その効果も半減だ。というよりも、その一度目、一番効果の高い一打を、避けられたことを考えると、イチモンジの不利は間違いない。

 そのわりには、イチモンジはまったく悔しそうな様子を見せなかった。むしろ、不敵に笑っている。

 一歩、不用意とも取れる動きでイチモンジが前に出ると、チェーンソーは、一歩、後ろに下がった。

 不用意に見えるとは言え、構えを解いている訳でもなし、うかつに距離を縮めることはできないだろうが、それを差し引いても、チェーンソーが押されているように、誰の目にも見えた。

 チェーンソーの予測を上回る動き。先ほどのフェイントは、そうであった。マスカレイドの上位の選手ですら、何もさせてもらえずにただ一方的に倒されることも多い、チェーンソー相手に、一歩でも上回ることが出来たのだ。その効果は絶大。

 今の技は、避けることが出来た。しかし、次の、まだ知らない技があるかもしれない。

 イチモンジは、隠しに隠して来た技を見せて、それでもチェーンソーを捉えきれなかったが、効果がまったくなかった訳ではなかったのだ。

 まだ、技を持っているかもしれない、とチェーンソーに思わせること。それには成功していた。

 いや、それどころか。不敵な笑みで近付いていく姿を見ていたら、本当に、まだ出していない技を残しているのでは、と思わせる。

 ただでさえ、実力的にも高く、そして武器という面での不利も少ないイチモンジに、さらに予測不可能な技が入る。チェーンソーであろうとも、うかつには手を出せない。

 いや、はったりだ。そうそう技を隠しておくことなんて出来ない。技というのは、とっさに出るもんだ。

 健介はそう思っているが、それは、健介のレベルでの話。坂下に毎日ボコボコにされている、本当の強者とは言えない健介では出来なくとも、チェーンソーやイチモンジであれば、それが出来てもおかしくない。

 そして、相手を疑心暗鬼にさせること、それを出来るのも、健介では到達できないレベルなのだ。

 イチモンジは、左手にあった剣を、無造作に右手に持ち替えながら、また、右半身の構えを取る。

 それを見て、チェーンソーはあっさりと後ろに下がった。今まで保っていた一定の距離を崩して、一度仕切り直しをするつもりなのだろう。

 しかし、イチモンジは、それを許さない。

 剣を持ち替えた瞬間、イチモンジの左手が、動いた。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む