鎖をはじかれて、追撃すら出来なかったチェーンソーは、しかし悔しい顔一つしなかった。
いや、表情が読めないフルフェイスの下では、もしかしたら物凄い悔しそうな顔をしているのかもしれないが、当然それは見えないし、少なくとも態度には出ていない。
イチモンジが、チェーンソーをよく研究してきているのは間違いなく、今のところ、それはことごとく成功している。
だが、それでも、まだチェーンソーは一撃たりとも、攻撃を受けていないのだ。
イチモンジにしてみれば、鎖を武器で受けるという行為は、本当なら、そのまま攻撃に移るための布石だったはずだ。
だが、結局、イチモンジは、返す刀で攻撃するどころか、後ろに下がって、チェーンソーの追撃を打たせなくする程度のことしかできなかった。
そう考えると、イチモンジの方が不利なんじゃねえのか?
健介は、そう感じている。隠した技、チェーンソーに合わせた技、そういうものは、一回目に大きく効果が出るが、研究されて来たことを知っているチェーンソーにとってみれば、ある程度の対策は練っているものと思われる。二度目からはそんなに高い効果は得られないだろう。
そして、隠し技は、かならず有限。
一つ一つ、チェーンソーが対処して、または回避していくごとに、追いつめられているのは、イチモンジの方なのでは、と健介は思うのだ。
それが証拠、という訳ではないのかもしれないが、チェーンソーは、鎖を回転させながら、ゆっくりと間合いをつめる。
基本的なスペックでは、どっちが上、とはとても言えないレベルの戦いだが、それでも、チェーンソーの方が上なのでは、と思わせるほど、ただゆっくりと前に出るだけでも、プレッシャーがある。
チュインッ、とコンクリートの地面に鎖が当たり、やはり拳銃が跳ね返ったような音がする。しかし、鎖のスピードはその程度ではまったく衰えず、そのスピードを保ったまま、チェーンソーが、イチモンジに遅いかかった。
まず、上から、高速の鎖が、イチモンジの脳天めがけて放たれる。
イチモンジは、それを身体を横にかたむけて避ける。鎖の弱点とも言える、軌道を変えにくいということを考えれば、動きの軌道上から逃れれば、十分なのだ。
だが、その後に待つのは、今度は左の鎖の、横薙ぎの一撃。しかも、頭ではなく、胴体を狙った高さ。
十字に攻撃された以上、距離を保つというのは、イチモンジにも無理であり、彼女は後ろに下がってチェーンソーの攻撃を避ける。
そのときには、すでに振り抜けた右の鎖が、今度は斜めに放たれる。それを、再度イチモンジはかいくぐって避けると、その勢いを殺さないまま、転がってチェーンソーから斜めに向かって逃げる。
すでに狙っていたチェーンソーの左での、反対に斜めに振られた攻撃は、イチモンジが攻撃を完全にあきらめて逃げたことによって、空を切った。
しかし、逃げたイチモンジが体勢を立て直すよりも先に、チェーンソーがイチモンジに向かって突進しようとして、しかし、歩みを止めた。
カインッ!!
体勢を立て直すよりも先に放たれたイチモンジの棒手裏剣を、チェーンソーははじいていた。
そのまま攻撃を続けることもできたろうに、と思うには、一本だけのイチモンジの棒手裏剣のスピードが高かったのだ。
一回目の三本の攻撃が牽制だとすれば、さっきの一本の攻撃は、それでダメージを当てようとして放たれた一撃だった。
防具はあっても、イチモンジの攻撃は正確で、きっちりと、可動部であって、正面からは防具の薄い首を狙って放たれたものだった。
普通の状態では狙うのもままならない部位だが、飛び道具ならば、そして、転げるように逃げた、いや、言葉通りころげているイチモンジの位置は、あごを下から見る位置にあり、唯一狙える瞬間と言えた。
そして、前進を止めて受けにまわったチェーンソーが、再度前進を始める前に、イチモンジは体勢を整えていた。
時代劇の殺陣もかくや、という見栄のする攻防だ。健介の横で、田辺もずっと惚けたようにそれを見ている。うるさくない分、健介としては助かるのだが。
俺も、田辺のことなんか気にしてられねえな。
健介も、その二人の攻防に、魅せられていた。すでに、イチモンジの胸のことなど、頭から完全に除外されている。
あまりにレベルの高い攻防に、そして、この中でも、やはり異彩を放つチェーンソーの動きに、観客達は全員飲まれていた、と言ってもいいだろう。
チェーンソーがさきほどから執拗に狙っていた十字の攻撃。それがチェーンソーの基本であり、そして必殺の技でもあった。
防御が難しい鎖に、避ける場所をつぶすような十字の攻撃。しかも、いつも十字ならば読めそうなものだが、チェーンソーはたまに同方向からの攻撃も混ぜる。
分析されようが何をされようが、変わらない有効な技。それがチェーンソーの十字の攻撃だった。この攻撃を、攻略できたものは、まだいない。
そして、何より怖いのは、チェーンソーが、自分が優位に運べる技があるからこそ、余裕を保っている訳ではなく。
押し気味か、と思われたときでも、冷静に自分の技を出していける、そのゆらぎなさが、怖いのだ。
イチモンジが勝つためには、それをゆらがせるしかない。しかし、それがどれだけ難しいことかは言うまでもないだろう。
そう考えると、そんな危険な相手に対して、防御に回るわけでもなく、隠し技を駆使して攻撃につなげようとしているイチモンジの精神的な強さも、特記すべきものだ。
二人の戦いの中で、唯一、気にしなくてもいいだろうことは、スタミナだけだろう。おそらくは、鍛えに鍛えあげているであろう二人のスタミナが切れる前に、勝負は決するだろうから。
お互いが、お互いの武器を警戒しながらも、どちらもが攻撃の手を休めていないのだ。いつか、どちらかの攻撃が当たれば、それで勝敗は決まるだろう。
それが、まだ先の話なのか、それとも、次の瞬間なのか、健介のレベルでは読めない。読めるのなら、むしろ健介は、観客としてではなく、選手としてここにいただろう。
おそらくは、戦う二人も、いつ決着するかなど、わかっていない。もちろん、お互いに負ける気など、まったくないだろうが。
今度は、イチモンジの方が先に動く。ゆっくりと、チェーンソーから離れるように、後ろに下がる。
一瞬、それを追うか、それともこのまま様子を見るか、と躊躇したのだろう、チェーンソーの動きが、一瞬だけぎこちないものになった。
その一瞬を狙う訳でもなく、イチモンジはチェーンソーから十分な距離を取る。得意の棒手裏剣を使うにしても、あまりにも遠い距離だった。
距離を取る意味は、あまりないはずだった。何せ、助走などしなくとも、武器での攻撃は十分な威力を発揮できるし、金網に囲まれただけのここでは、助走を必要な跳躍が役に立つ場面は少ないからだ。
それをわかっているのかわかっていないのか、イチモンジは、背中に剣をかつぐように構えると、チェーンソーに向かって、駆けだした。
続く