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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(233)

 

 チェーンソーは、ゆっくりと持ち上げた右腕を、イチモンジに向ける。

 鎖は、動いていない状態では、あまり威力を発揮しない。全体が硬い武器よりも、力を伝える効率が悪いからだ。

 だから、鎖が浮き上がりもしない動きは、鎖にとっては攻撃の動きではない。

 言ってしまえば、それは隙だ。

 だが、隙、と一言で言っても、まだ左腕はチェーンソーに引きつけられた状態であり、右腕の動きだけを見て、隙だと思って飛び込むバカはいまい。

 そう、バカならば、この状況を、打破できたかも、しれないのに。

 手首につながれた右の鎖を、手の平から、人差し指と中指の間を通すようにして、たらす。

 ヒュン、と鎖が空を切り、回転する。右腕の鎖が、チェーンソーから見て内から外に向かって、地面に水平に、あまり速くないスピードで振られた。

 右の鎖が、チェーンソーの背中をまわり、用意していた左の手に握られる。

 準備は、そこまでだった。

 ギンッ!!!!

 一歩も動かないチェーンソーから、鎖が引きちぎれるのではないか、と思えるほどの激しい音が響いた。

 背中をまわされた鎖は、左手で強く引きつけられ、そして背中も同時に猫背になるようにして鎖を引き、振りかぶられた右腕が、さらに強く鎖を、引く。

 それは、まるで一体の弓。

 チェーンソーの身体は、左半身。鎖のつながった右腕は、後ろに回され、怖ろしいほど強く、引き絞られていた。

 ギリギリと、動きもしない鎖が、悲鳴をあげるような音をたてている。

 何をしようとしているのか、だいたいの者はすぐに分かった。

 言葉通り、弓矢を放とうとしているのだ。

 物が元に戻ろうとする方向と反対方向に力を入れ、それを瞬時に放すと、一瞬で強力な威力が得られる。弓矢やスリングは、それを利用して、人が投げたのでは届かないような場所に、簡単に物を届かせる。

 まあ、この場合は、弓矢というよりも、デコピンの原理と言った方がより近いだろう。パワーをああやってためることで、普通に指を動かすよりも、さらに強い力を得ることができるというわけだ。

 理屈は分かるが、しかし、それを鎖でやったとして、成功するだろうか?

 感覚的な話を言えば、止まったものとよどみなく勢いを殺さずに動くものならば、後者の方が強い力が出ると思う人の方が圧倒的多数だろう。

 デコピンなら分かるが、それを全身で、となると、理屈の話ではなく、現実の問題として、出来る気がしないだろう。

 イチモンジは、それでも、警戒を強める。

 そんな、デコピンの原理など、恐れるに足らない、と思っているのは、間違いなかった。よしんば、それで威力があがったとしても、その構えから放たれる一撃は、軌道がはっきりと予測出来る。

 つまり、この派手なパフォーマンスを入れた技は、何かしらの他の技を入れるための、目くらましに使われている、と判断したのだ。

 そのまま構え通りの技が来れば、避けるのは簡単。だが、他に何が来るかなど、まったく予測できない。知っている技もあるだろうが、知らない技が来ただけで負けるなど、今までイチモンジがしてきたことの意味を完全につぶすようなことは、避けたい。

 だから、イチモンジは警戒する。それがどれほどの効果を上げるかわからないが、最低、この後の攻防では、遅れを取るつもりなど、まったくなかった。

 じりっ、とチェーンソーが、イチモンジとの距離をつめる。下手に動く訳にはいかないイチモンジは、それをただ待っていた。

 ただ、いきなり攻撃されても対処できるように、剣は前に構えている。本当は、距離をかせぐために水平に構えたいのだが、それをたたき落とされる危険性を考慮したのだ。

 下手にチェーンソーが遅い技を出せば、先に当てるだけの自信が、イチモンジにはあった。

 チェーンソーがどう動くか、イチモンジがどう動くか。

 戦っている二人だけではない。観客達も、目をつむることも忘れて、試合に没頭していた。

 それなのに。

 キーーーーーーーーーーーンッ!!

 誰の目にすら、とまらなかった。目の肥えた観客はもちろん、マスカレイドで十番台の健介ですら、残像すら見えなかった。

 振り切られた、チェーンソーの鎖と、イチモンジの剣が、手からはじき飛ばされたのだけが、わずかに見え、次の瞬間には、チェーンソーの身体はさらに接近していた。

 何が起こったのかすら、イチモンジには理解出来なかっただろう。しかし、それでも躊躇するような時間は、残されていなかった。

 振り切られた右腕が、そのままフルフェイスの頭に巻き付き、頭の後ろを回されて、イチモンジの顔面を狙う。

 イチモンジは、とっさに腕の防具で鎖をガードした。振り抜けたはずの鎖が、身体を回転させてもいないのに同じ方向から襲ってくる、チェーンソーのスペシャル技。だが、それを今までの試合を見ることで知っていたイチモンジは、辛くもガードに成功したのだ。

 ジャリッ

 しかし、ガードしたその瞬間には、とっさにお腹を守るためにあげられたイチモンジの右足首に、チェーンソーの左の鎖がからまっていた。

 素手となったイチモンジは、至近距離まで近付いたチェーンソーをつかもうと手を伸ばしたが、顔面をガードした分、速度が遅くなった。

 チェーンソーは、後ろに飛び退く。と同時に、イチモンジの足首にからまった左の鎖を、引く。

 我慢など出来ようものではない。あっさりと、イチモンジの身体のバランスは崩された。

 後は、顔に巻き付いていた腕が戻ると同時に、バランスを崩したイチモンジに向かって放たれて、終わりだ。

 それでも、イチモンジはまったく終わる気はなかった。顔をガードしながら、イチモンジに引っ張られた右足を軸にして、腕が頭に巻き付いていることによって死角となったチェーンソーの右脇に、蹴りを叩き込むべく、脚を振り上げていた。

 しかし、このとき、一瞬、防御が早かった。それが、どちらにしろ、まず勝てはしないだろうが、それでも今回のフィニッシュにつながる、イチモンジの失敗だろう。

 ガードが早過ぎた。だから、例え軌道を変えにくい鎖でも、容易に目標変更出来た。

 ついでに言えば、守るべきは、頭ではなかっただろう。

 イチモンジの蹴りを避けられるほどに後ろに下がりながら、チェーンソーは、イチモンジの、その大きく出っ張った、豊かな胸に、容赦なく鎖を叩き込んでいた。

「っ!?」

 音は、大して大きくなかった。びしっ、とかばしっ、とかいう程度の音だ。感嘆符も、せいぜい一つぐらいだろう。

 だが、いかに一応は防具をつけているとは言っても、そこは筋肉も骨もない、弱点の塊。チェーンソーの鎖の一撃を受ける姿は、男が見ても、あまりのことに傷みを想像して、びくっ、と身体を震わせるぐらいだった。

 両足が宙に浮き、胸を打たれたイチモンジの身体が、ぐるりとスピンして、うつぶせの格好で倒れる。そのときには、すでにチェーンソーの左の鎖は、イチモンジから離れていた。

 倒れたイチモンジの上に、するりと入り込むと、チェーンソーは鎖を振るっていた。

 打撃音はなく、そのかわり、あっさりと右の鎖は、イチモンジの首にからまり、反対の先を、チェーンソーは左手で受け止めた。

 本当に、チェーンソーには容赦がなかった。

 イチモンジの後頭部を踏みつけると、ぐいっ、と無造作に、鎖を引いた。

 胸を打たれた激痛に、イチモンジはすぐには反撃が出来なかった。だが、それで倒された訳ではなかったのだが。

「ぐっ……」

 この試合で、初めて聞こえた、イチモンジの色気もない声。それで終わりだった。

 鎖は、ものの数秒で、イチモンジを落とした。

 だらん、と力が抜けるのを確認して、チェーンソーは、何事もなかったかのように、するりと鎖を首から引き抜いた。

「conclusion(決着)!!」

 赤目の決着のかけ声にも、誰も、反応できなかった。

 

続く

 

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