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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(234)

 

 試合は、明日。

 いつも通りというか、どちらかと言うとランについて、坂下は神社の裏に来て、葵と浩之と一緒に練習をしていた。

 練習、と言っても、今日の坂下は、流している程度で、本格的な組み手などはしていない。それでも、葵の相手は余裕で出来る辺りが、坂下の強者たる証拠だが。

 一位のチェーンソーと、六位のイチモンジの試合は、結局チェーンソーが勝ったらしい。ゼロがかなり悔しがるほど、いい試合だったそうだ。

 しかし、それにあまり興味がわかないほど、坂下の興味をそそるものが、目の前に置かれたのだ。

 とうとう、次の試合が、坂下対カリュウの試合なのだ。

 カリュウは、前の試合からまだそう時間が経っていないので、万全ではないのでは、という懸念もあったが、それも昨日赤目からの連絡で、問題ないことが分かっている。

「チケットはあるのか?」

 小休憩に入った浩之が、軽く感触を確かめる程度にサンドバックを打つ坂下に、尋ねる。

 パパパンッ!!

 人間を打倒する必要がない、スピードだけの軽い拳は、一瞬の間に左だけで三発繰り出させ、破裂音のような音をたてて、サンドバックに吸い込まれる。

「何だ、藤田、観たいのか?」

「ああ、まあな。チケットがあんまりないんなら、葵ちゃんだけでも連れて行ってやったらどうだ?」

 単純に試合を観てみたい、という浩之の気持ちよりも、葵に試合を観させて、経験をつませようという気持ちの方が優ったのだろう。浩之の言葉には、後輩を思いやる気持ちが感じられた。そういう気持ちは、坂下も嫌いではない。

 バスンッ

「うっ!!」

「だ、大丈夫ですか、ランさん?」

 葵の持つミットに向かって蹴りを放っていたランのリズムが崩れて、変な蹴りを放ってしまい、ランは反対に脚を変なところで当ててしまったようだった。

 試合では、打撃が外れて、変な箇所を当てて攻撃側が身体を痛めてしまうこともけっこうあるが、それを練習でやってしまう、というのはいただけない。

「ラン、集中集中!!」

 当然、そのように集中を切らせて練習をしているのを、鬼の坂下が許す訳がない。これが御木本相手だったら鉄拳制裁のところだ。もちろん、ランでも怒鳴る程度のことはやっておく。

「お、押忍……」

 ランは、しかしまだ調子を取り戻せないようで、ミットはあまり良い音をさせない。

 ランが集中力を乱したのは、浩之が葵を思いやるような言葉を口にしたから。普通に考えて、ランはランでまず間違いなく坂下の試合を観に行けるつてがあるだろうし、今までの流れから言って、坂下が連れて行くのはランの方だろう、と浩之は思っていたので、葵を優先順位的に上げたのだが、それが気に入らなかったのだろう。

 まったく、これだから色恋は格闘技をやる少女にとっては鬼門だ、と坂下は思う。

 全てが全てとは言わないが、好きな男が出来ると、汗くさい、そして野蛮と思われるような格闘技から、少女達は離れようとする可能性が高いのだ。

 そうでなくとも、このようにささいなこと、ランにしてみれば些細なことでは絶対ないのだろうが、坂下としては些細なこと、で集中を乱したりする。

 一方、葵としては、ランの調子が崩れているのはミットを受けて分かっているようだが、それが何の理由でなのか、が理解できないようで、何かしら有効な助言も出せないようだった。

 まあ、葵は自分が関わらない限り、まわりのことはけっこう鈍感だからね。

 まわりが見えなくなるからこそ、一人でエクストリームを目指すような無茶が出来たとも言えるので、どっちが悪い、とは言えないものだが。

 そんな後輩二人を、坂下は困ったものだという顔で見ている。

 とにかく、二人とも手がかかるのだ。強さには二人とも差があるし、葵になどは、坂下は一度負けているが、それでも、やはり手のかかる後輩達なのだ。

 まあ、もっと遅くに始めたはずなのに、手がかかるんだかどうか分からないようなやつも、約一名いたりするけれど。

 坂下としても、浩之のことだけは、どうもちゃんと把握できない。綾香でさえ、ついていけないとは思っても、把握ぐらいは出来ているのに。

 もっとも、それぐらいでなければ、綾香の気を引くことなど、無理だということなのだろうが。

 そう思ったとき、坂下の胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだが、坂下はそれを無視できるほどには、強靱な心身をしていた。

 だから坂下は、何もなかったように、話題を戻す。

「ちゃんと浩之のもランのも葵のも綾香のも、赤目は用意したみたいだね」

「へえ、太っ腹だな」

 ランはともかく、葵や浩之は実のところあまり関係ないのだ。綾香は、もちろん多いに関係ありそうだが、それが坂下の方から回ってくるというのも、どこか不自然ではある。

「まあ、試合としては楽しいかどうかは保証できないけどね」

「何だよ、しょっぱい試合するつもりか?」

 ズ……ン

 速くは、なかった。溜めもあったようには見えなかった。そもそも、坂下が力を入れたようにすら見えなかった。当たったサンドバックは、ほとんど揺れたようには見えなかった。

 しかし、坂下が放った右下段突きの音は、異様なほどに、重かった。

 浩之も、その音に顔を引きつらせる。浩之の重心が後ろに移動し、見た目にはまったく変わらないのに、いつでも逃げられる体勢に入っているのを、坂下はすぐに見抜いていた。

 逃げ腰と言うべきか、それとも慎重と言うべきか。

 おそらくは、綾香を相手するうちに身につけた、意識無意識に関わらない危機回避能力。頭で理解するよりも先に、危険を察知したときに、瞬時に反応できるように身につけた、防衛術。

 その高度な体術が、意識的なヒステリックだの確信的な八つ当たりだのを平気で繰り出してくる彼女に対することによって開花した、というのは、いささか、笑える話だ、と坂下は思う。

「冗談」

 坂下は、気を悪くした風もなく、さっき談笑をしていたままの笑顔を続ける。

 まあ、所詮笑顔でごまかせるような時代は、何年も前に終わっているのだろうが。

「ああ、冗談さ」

 命の惜しい浩之は、あっさりと坂下の発言を認める。情けないことこの上ない。

「……藤田、あんた情けなくないのか?」

「腕力で脅す方が口にしていい言葉じゃねえぞ、それ」

 そうやって、せっかく拾った命を、すぐに戦場に送り出す様を見ていると、この男はMなのでは、というらちもない戯言を思う。

 坂下は、仏の心を持って、浩之を見逃してやり、面白くはないだろう、という自分の予想の根拠を、教えてやる。

「正直、カリュウじゃあ、私を倒せるとは、とても思えないからね」

 坂下には珍しい、勝利だけでない、楽しむ暇すらないという、有利宣言だった。

 

続く

 

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