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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(235)

 

「おまたせ〜」

 ザワッ

 来栖川綾香の登場に、観客達がざわつく。

 通常、マスカの選手はマスクを被って顔を隠しているし、正体を知っていても、知らないふりをするのが、言わば暗黙のルールになっているのだが、来栖川綾香は、それに当てはまらない。。マスクのこともそうだが、芸能人並みの知名度を誇る美少女であり、かつ、マスカにしてみれば、外様の、言わば敵だ。

 そんなまわりの反応を分かっているのか分かっていないのか、いや、この女は、それをわかってやっているのだろう、平然とした顔で、私達に近付いてくる。

「綾香、遅かったな」

「色々と野暮用とかあったしね。ほら、私もけっこう多忙の身だから」

 浩之先輩は、すでにまわりの反応にも慣れてしまったのか、それとも、今更他人のふりをしても無駄だとわかっているのか、やはり平然と来栖川綾香に話しかける。

「それにしても、前見に来たときよりも、人が多いですね」

 松原さんも、まったく気にした様子はないが、こちらは単に気付いていないだけでは、と私は考えている。格闘技以外のことは、ちょっと天然な松原さんのことだから、不思議ではないが。

「ね、ねえ、来栖川綾香だよ。ほ、本物?」

 久しぶりに、姉のレイカも私の横にいるが、来栖川綾香を間近で見て、気後れしているようだった。いつものリーダーぶりから考えると想像できないが、仕方ないとも言える。

 それだけ、来栖川綾香の持つスター性とか、容姿とか、何より試合で見せる圧倒的な強さとかが、飛び抜けているのだ。

 姉とは違って、ゼロさんは興味津々のようだった。

「個人的に色々聞いてみたい気がするね」

 むしろ、こういうゼロさんのような人の方が少ないだろう。まあ、この人は格闘マニアで、だいたいのことよりも格闘技の話を優先させるのだが。

 私は、来栖川綾香に、なるべく視線を向けないように、試合場に目を向ける。

 それは、もちろん来栖川綾香と目が合えば、何を言われるか分かったものではない、いや、言わないまでも、目でどう言われるか分かったものではないと思ったのも否定できないが、単純に、試合場の方にも興味があったというのは本当だ。

 今日の試合場は、いつも通り高い金網に囲まれているが、地面は、普通の平たいコンクリートではなく、芝生だ。しかも、何故か、幅10〜30センチ、高さ5〜10センチの形の不規則な突起がいくつか飛び出していた。

 今まで、見たことのない試合場だった。水を浅く張った試合場や、砂を引いた試合場や、遮蔽物を置く、または夜の公園など、戦う場所のバリエーションはかなり変化するマスカでも、この試合場は見たことがない。

 突起の数は、せいぜいが20個ほど。地面を全部覆っているという訳ではなく、平たい部分の方が多い。

 これが、赤目の選んだ試合場だと思うと、いまいち理由が思いつかない。

 周知の事実になっているが、試合場は、赤目が独断と偏見で決めており、どちらか片方に有利になることが多い。

 地の利、というのは、マスカではけっこう重要だ。平坦なコンクリートの試合場では、例えばクログモとギザギザの、どちらの有利に働くかは明白。もちろん、その逆も十分にありうる。

 そして、今までのところ、赤目は来栖川綾香とヨシエさんに限って言えば、不利になるように試合場を選んでいる。

 今回も、当然、ヨシエさんに不利になり、カリュウに有利になるような試合場を選んできたのは間違いない。

 とは言え、今までマスカでこんな試合場を見たことがないのは、マスカの試合場としては、あまりにも地味だから、としか言い様がない。

 遮蔽物の多い、例えば来栖川綾香とバリスタが戦った試合場など、ああいうのが、マスカレイドの醍醐味とも言える。

 カリュウは、マスカでのキャリアも長いので、そういった方が慣れていて実力を発揮しやすいように思えるのだが。

 カリュウは、オールラウンダーで、奇襲や奇策を得意とするトリッキー系とは違って、正攻法で戦うことが多い。つまり、地の利の効果は少ない。

 そういう意味では、おそらくカリュウのベストの試合場は、何の変哲もないコンクリートの平坦な試合場だろう。

 しかし、今回は、酷く地味な試合場な上に、初めての試合場となれば、カリュウが有利になるはずのキャリアも生かせない。

 まさか、赤目がカリュウにとって不利になるようなことをするとも思えないが。

 そう勘ぐってしまうが、それも笑えない話だ。マスカに関わる誰もが思っていることだろうが、赤目が味方してくれることなど、まずないのだ。赤目と言えば、自分にとって不利になるようなことしかしてこない、というのが、選手の間では定評だ。

 今回は、私は当然ヨシエさんの応援だが、しかし、だからと言って、赤目が、もしマスカの選手でないヨシエさんの味方をするというのは、釈然としないものを感じない訳ではない。

 それとも、この試合場こそ、カリュウにとって非常に有利、それとも、ヨシエさんにとって非常に不利、なのだろうか?

 私には、判断がつかない。これが、ヨシエさんや来栖川綾香になれば、一瞬で判断がつくのだろうけど。

 もっとも、どちらもが不利であるはずの条件を、あっさりと覆して勝っているのだから、地の利がどれほどのものか、という話もある。

 そういう点で言えば、試合数が多いからなのだろうが、来栖川綾香の方が、どんな条件でもそれを利して戦うことに長けているように思える。

 高い木の多い暗い公園でクログモ、遮蔽物の多いコンクリートの試合場でバリスタ、砂で覆われた地面でリヴァイアサン、とその全てが不利な条件である。それを、ことごとく、最終的には圧倒して勝って来ている。

 まさに、化け物だ。くやしいが、私が勝とうと思うこと自体に無理がある。

 ぽんっ、と私は肩を叩かれる。その気易そうな感じに、私は浩之先輩かと思って、崩れそうになる顔を引き締めながら振り向いて。

「なっ……」

 一瞬で、表情が固まった。

 私の肩を叩いたのは、浩之先輩ではなかった。見たままで言えば、にこやかで、好意的にすら見える顔でいたのは、私が化け物と評価した、来栖川綾香だった。

「はーい」

「……どうも」

 からくも、いつもの無愛想を装うことに成功した私は、頭を下げる。

 しかし、何故来栖川綾香が私に?

 そう疑問に思ったのは、数瞬のこと。来栖川綾香の言葉で、私はあっさりとその理由に行き着いた。

「初鹿さんから、話は聞いてるわよ」

 それは、まるで獣が、獲物に今から襲うから、全力で逃げなよ、と遊びのように宣言しているような、普通はありえない不可思議な、しかし、獲物になった者になってみれば、せっぱ詰まった状況。

「ん、何の話だ?」

 そこに来たのは、来栖川綾香にとって、本当の、本命の獲物。

「浩之先輩には関係ありません」

 だから、私はぴしゃりと言い切った。ここで、もし浩之先輩に話が伝わり、可能性は低くとも、来栖川綾香が、ここで浩之先輩を仕留める気になったとしたら、と思うと、私は自分の身の危険など、気にならなかった。

「おいおい、俺はのけものかよ」

 冗談半分でそう言う浩之先輩の言葉は、私には何よりも痛いが、しかし、ここは我慢の場所だった。ここで、浩之先輩を会話に入れては、駄目なのだ。

 しかし、そんな私をあざ笑うかのように、来栖川綾香は浩之先輩に話かける。あからさまに、私に視線を向けて。

「こっちの話よ、こっちの話。何、浩之には先輩思いのいい後輩がいていいわねって、それだけの話よ」

 それは、いらないことを言えば、今から殺す、とも私には聞き取れる言葉だった。そんな言葉は、どこにも入っていないからと言って、安心できるものでは、ない。

 しかし、浩之先輩を巻き込まないのは、私にとっては命題。例え来栖川綾香に弄ばれているとしても、文句はなかった。

 とりあえず、今日ここでは、来栖川綾香は、浩之先輩を狙う気がない、それが分かっただけでも、私には十分だった。

 後は、試合に集中しようと思った。私としても、見たかった試合なのだが、集中出来るかどうかは、正直怪しいところだったが。

 

続く

 

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