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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(236)

 

 試合の開始を今か今かと待つ、そのとき、フッ、と試合場の照明が落ちた。

「長らくお待たせいたしました!!」

 響くのは、マイクなしでも観客のざわめきの中でも通る声。

 試合場の照明はつかない。まるで、本命はまだ後だ、と言っているようだった。

 暗闇の中に隠れたまま、赤目は朗々と語り出した。

「マスカレイドは、路上では最強を誇って来ました!!」

「口ではどうでも言えるしね」

 赤目の最初の言葉に、綾香はあっさりとつっこみを入れる。まわりの目とかどうとかより、最初からケンカを売っているようにしか思えなかった。

 綾香は、別にまわりに聞こえるような大きな声を出した訳ではなかったが、綾香の関係者以外のまわりの観客にも十分聞こえる音量だった。

 もっとも、それでも誰も綾香の方を見るような強者はいないが。この美少女の怖さは、マスカレイドのファンがかけるマスカレイドへの愛よりも、よほどに濃い。

「しかし、マスカレイド始まって以来の危機、そう言っても、誰も反論はないでしょう!!」

 無視したのか、聞こえなかったのか、赤目はセリフを続ける。今回は、単に後者だ。

 赤目までは届かなかったことに、別段綾香は不満な様子はなかった。独り言のつっこみ、だったのだろうが、それならもっと小声で言って欲しいものである。聞こえてしまった観客達の方が怖い目を見るなど、理不尽にもほどがあるだろう。

「何と、マスカレイドの十位以内の選手が、公式な試合でだけでも、すでに三人も部外者に倒されているのです!!」

 公式な試合だけ、と言ったのは、クログモのことを言っているのだから、実際には四回だと、観客達は思っている。しかし、実際のところは、十位のバタフライも完全非公式で綾香に戦いを挑んでいるので、それも含めれば五回になるのだ。

 もっとも、その内四人を撃破したのが、ここで腕をくんで平然と立って、赤目のセリフにつっこみを入れている綾香なのだから、それはまわりの観客は迷惑だろう。

「我々マスカレイドは、最強を認めさせねばならない。そのためには、マスカレイドの外から来た相手には、勝たねばならないのです!!」

 おおおぉぉぉぉ!!

 おなじく、綾香のまわりの観客以外は盛り上がる。つくづく運のない観客達である。何とかして距離を取りたいのだが、何せ今日は満員で、それもおぼつかない。

「今日の挑戦者は、九位、アリゲーターの鉄の拳を素手で破壊した傑女!!」

 ザワッ、とすでに分かっていることながら、観客がざわめく。それほどショッキングな試合であったのだ。

「我々にしてみれば、本命、来栖川綾香の前の前菜!! しかし、並どころか、一筋縄で行く相手でもないのは、皆様もよく知っているでしょう!!」

 坂下、怒ってねえか?

 綾香の前の前菜、と言われて怒らない坂下がいるとは、浩之などは想像できない。フォローを入れても、口にした赤目がカリュウよりも先に血祭りにあげられるのでは、と思った。

「鉄を砕く拳の空手家、坂下、好恵〜〜〜〜〜〜〜!!」

 カッ、とスポットライトが、金網に囲まれた花道に降り注ぐ。

 怖ろしいぐらいに静かに、いつもとまったく変わらぬ顔で平然と、坂下は空手着の姿で立っていた。

 構えも見せない、殺気もない。

 しかし、見ている者が、ごくりとつばを飲み込むほど、坂下には雰囲気がある。普通なら手を伸ばすはずの花道の近くの観客達も、思わず固まっているぐらいだ。

 坂下は、軽やかに、試合場に進む。

 野次や歓声は飛ぶのに、坂下が近くにいると、そこだけが静かに、動かなくなるのだ。まるで、動けば自分が襲われる、と観客達が思っているように。

 派手な登場が多かったここ最近の試合の中では、飛び抜けて地味な登場だったが、そうであるからこそ、その異質が目立つ。

 今の坂下は、どちらかと言えば……

 浩之が、らちもないことを考え出したころには、すでに坂下の入場は終わっていた。

 やはりどこにいるのか分からない赤目が、また声を張り上げる。

「マスカレイドが開催され、早三年が経とうとしています!!」

 それを長いか短いか、と言われると微妙な年月だが、しかし、その三年間の間に、それだけの選手が出て、どれだけの選手が消えていったかを思えば、やはり、短いとだけは言えないだろう。

「古い人間は、怪我で、そして実力で劣り消えていき、開催当時から残っている選手は僅か。その中で、開催当時から残り、さらに生え抜きとまで呼ばれる人間は、わずかに三人でしょう!!」

 一人!!

 まるで申し合わせていたかのように、観客達の声が響く。

「恵まれた巨体と、格闘センス。何より、華のあるキャラクター性!! 現八位、バリスタ!!」

 二人!!

「言わずもがな、開催当初から、長らく一位の座を譲らなかった、現二位!!」

 歓声の中に、まばらに、笑い声も入ったようにも思えた。が、それも一瞬。

 三人!!

「マスカレイド創立メンバーであり、長い年月をかけ、挫折し、成長し、そしてとうとう、後一歩のところまで登り詰めた!!」

 マスカレイドに関わっている期間が長ければ長いほど、その選手のことをひいきしたくなる。彼の歴は、まさにマスカレイドの歴史の一つなのだ。

「残りは、二人!! ここで立ち止まる訳にはいかない!!」

 こんな場所で長くやって、そして地道にでも順位の伸ばすことの凄さを、格闘技をやりはじめたからこそ、浩之もわかる。こんな、コンディションも計算できない、怪我も起きやすそうな場所で、三年も戦ってくる意味は、勝つよりも重い。

「マスカレイドの寡黙なアイドル、いや、ヒーロー!! 三位、カリュウ!!!!」

 坂下が入ってきた道とは九十度離れた花道に、スポットライトが集中する。

 引き締まった細身の身体に、赤いマスク。

 マスカレイドを代表するような、そのマスクには、「華」と書かれている。

 華竜、マスカレイド三位、カリュウ。

 ワアアアァァァァァァァ!!!

 歓声が、一気にふくれあがった。坂下の登場が雰囲気を思い知らされるものとすれば、カリュウのそれは、マスカレイドの有り様を示しているようだった。

 そして、いつもは寡黙というよりは、無感情に試合場に向かうカリュウが、今日は、ゆっくり、踏みしめるように試合場に歩を進めている。

 ファンサービスとしてはいいことで、金網から伸びた手が、カリュウの身体にひっきりなしに触れていく。黄色い声も、野太い声も、カリュウにさわれたことを喜んでいる声ばかりだった。

 いつもなら、それを避けるようにして試合場に向かうカリュウの行動としては、不可思議ですらあった。

 目の肥えた観客達は、それだけ、今日の相手を手強いものとカリュウが思っているのか、それとも、怒りを抑えるために、わざとゆっくりと動いているのか、そのどちらかだろう、と噂する。

 例え、外様として来ていても、そして、倒したのがまだ九位の一人だけでも、坂下を弱いと思う観客は、いない。武器を正面から撃破するような拳が、常人でありえる訳がないのだから。

 だから、カリュウが気合いを入れているというのも納得できるし。

 三年も、ずっと自分が関わって来たマスカレイドに、土足で入り込んで、好き勝手にやる坂下や綾香に怒りを覚えていない、とは、観客の誰も思わなかった。

 寡黙ではある。しかし、内に秘めた怒りは、そのマスクの赤よりも、濃い。それが、生え抜きのマスカレイド、カリュウであることを、観客達は、長く見て来たからこそ、知っているのだ。

 坂下が平然としていられるのは、それを知らないから、と、観客は誰しもが思うのだ。

 もちろん、坂下にとってみれば。

 そんなこと、どうでもいいぐらいに、問題としない。

 カリュウが坂下に対して、並々ならぬ怒りを覚えていたとしても。

 坂下は、そのカリュウをここでただ撃破するためだけに立っているのだから。

 

続く

 

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