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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(237)

 

 試合場に到達したカリュウに、坂下は視線すら向けなかった。リラックスした表情で、身体をほぐしている。

 しかし、鬼のリラックスした状態ってどうよ。

 浩之は、心の中でつっこみを入れる。試合場でストレッチを続ける坂下は、浩之から見れば、鬼そのものだ。怪物と言ってもいい。

 あれは、自分の横でにこにこ、というかにやにやしながら試合場に目をやる綾香と同じ生き物だ、と浩之の感覚が教えるのだ。

 試合が待ち遠しくて、ハイな状態になっていた坂下はそこにはいない。いるのは、我が家とでも言わんばかりにくつろいだ、完成も近い怪物だけだ。

 反対に、カリュウの方が気負っているようにすら思える。

 一試合も見れば、坂下の実力のほどもカリュウには伝わっているだろう。そう思えば、カリュウの気負いも分からないでもない。

 楽に勝てる相手、などと、心の端にも思えまい。むしろ、強敵、いや、勝てるのかすら分からない相手、と判断しているはずだ。

 話によれば、マスカレイド開催からずっと戦ってきた選手であるらしいし、三位まで来れたことは、まさに悲願だったはずだ。

 そして、上は後二人。それで、マスカレイドの頂点に立てる。もちろん、浩之の見た、あのチェーンソーなどがいるので、あと少しなどとは言えないが、それでも、道は見える。

 そんなときに、油断ならない、いや、脅威ですらある相手が、立ちはだかったのだ。カリュウの心境は、いかばかりなものか。

 絶対に負ける訳にはいかない相手。マスカレイドの選手同士であれば、次に勝てば、というものもあるかもしれないが、部外者に負ける訳にはいくまい。

 生え抜き、と言うことは、それだけファン達の期待が大きいということだ。それは、例えどんなに関係ないと口で言い張っても、頭から追い出すことは出来ない。

 もっとも、そういう次元からすでに遠く離れた怪物が、浩之の横にいるし、最近は坂下もそれに近付いてきているようにすら感じる。

 ……俺のまわりだけ、危険度上げなくてもいいだろうに。

「ん、浩之、何か言った?」

「いや、何も」

「そう」

 浩之は、心の動揺を隠して、何気なく返した。少しでも反応があろうものなら、殴られても不思議ではないのだ。

 殺気を微塵すら感じさせなかった綾香は、はたから見ればただ話しかけただけの綾香に、視線を向けることはなくとも、意識を向けているランのことを、気付きながらも、無視してやっておいた。

 何でもない浩之と綾香の会話、実際のところはかなり何でもあるのだが、を横で見ているだけで、ランは胸の奥がもやもやしているのだ。これは、綾香が危険だからとかそういう部類のものではなく、酷く単純な嫉妬なのだろう。

 もっとも、嫉妬している本人が、今嫉妬しているなどと冷静に考えられる訳はないので、綾香を警戒している、とラン本人は思っているのだが。

「マスカレイドの生え抜きが敵を撃破するのか、それとも外から着た激流がマスカレイドを飲み込むのか、今、決戦の時!!」

 赤目が、姿を見せないまま、声を張り上げた。

 審判のチェックすらない。刃物と一部の飛び道具以外は、何でも許された、それは、試合ではない、ケンカなのだ。

「Here is a ballroom(ここが舞踏場)!!

 危険な舞踏会の、合図。

「「「「「「「「「「「「「「「ballroom!!!!」」」」」」」」」」」」」」」

 半瞬ほど早いタイミングで、カリュウが構えを取る。坂下はそれに続くように構えを取るが、それが二人のこの試合に対する気持ちの表れなのかも知れない。

 カリュウが、左半身で腰を上げ、素早く打撃を放てる体勢に構える。腕は、かなり引き気味で、攻撃に特化しているのが見て取れる。

 坂下の方は、同じく左半身ではあるが、もっと自然体で、脇は締めてあるが、腕も思うよりは身体から離れている。速攻で決めようなどという気持ちはないのだろう。

 両者、構えたのを見計らって、合図はかけられた。

「Masquerade…Dance(踊れ)!!」

 一瞬すら躊躇はなかった。カリュウは、坂下に向かって芝生を蹴った。

 ドンッ!!

 と、ほぼ同時に、カリュウの身体が、後ろにはね飛ばされた。

 体格で言えば、坂下も女性にすれば大きい方であるが、細身とは言え、身長のあるカリュウと比べれば当然軽い。

 その中で、前蹴りという選択は、本来ない。体重の軽い方が、蹴ったとしても飛ばされるからだ。しかも、距離をかせげる中断では、一番打撃に強いとも言える腹筋を蹴ることになり、ダメージなど当てられるものではない。

 が、坂下の踏み込みとスピードと技の練度は、そんなものを全部一笑に付した。

 躊躇なく真っ直ぐ最短距離を飛び込んできたカリュウに向かって、気持ち前に出ていた腕を引きその反動、さらに自分が前に出るその勢いをつま先に集中して、坂下の芸術品とも言える軌道を描いた前蹴りは、カリュウの腹部、ではなく、腕にヒットした。

 腕を腹の前で十字に受けたカリュウは、ダメージこそまずなかったのだろうが、大きく後ろにはね飛ばされる。その軌道は、放物線ではなく、地面と水平に近い。それほどのスピードが出ていたのだ。

 そのまま、カリュウのかかとが、地面の飛び出た部分にひっかかり、くるり、とカリュウの身体はおもちゃのように回転する。

 意図せずバク転のようになりながらも、カリュウは手をついて素早く立ち上がる。

 が、そのときには、すでに坂下の身体はカリュウの射程内よりも内にいた。反対に、カリュウの身体が坂下の射程内に入れられていたのだ。

 坂下の左腕がうなりをあげてカリュウの顎に裏拳のように打ち出される。

 それをカリュウはスウェイしながら避けると、同時に距離をつめて、坂下の左側の死角から、肘で坂下の脇を狙う。

 それは、右であっさりと受け止められるが、前進が止まった以上、近付いている形は、身体の大きなカリュウの方が有利だった。

 大きく上から覆い被さるように坂下をつかもうと一瞬動きを見せたカリュウだったが、その腕はすぐに防御に回されていた。

 パパパンッ!

 カリュウの防御の上を叩くように、坂下の連打が放たれた。つまり、どこに当たってもKO必至の、急所に向けて全ての打撃が放たれていたのだ。

 坂下の打撃は、受けたからと言ってそれで終わるような生やさしいものではない。連打だったにも関わらず、その勢いを持って、カリュウの身体が後ろにずれる。

 しかし、そのパワーを読んでいたように、カリュウは無理をせずに、というよりも、無理矢理坂下から距離を取るように逃げる。

 一度は追撃をしようかと足を一歩出した坂下だったが、何を思ったのか、そこで止まって、カリュウの逃走を見逃す。

 おそらくは、強引に攻めたところで、これでは決まらない、と思ったのだろう。そして、今攻めなくとも、いつでも攻めることが、坂下にはいつでも出来る、とも。

 ワッと、まばたきするような僅かな間に繰り出されたハイレベルの攻防に、思い出したように一気に盛り上がる観客達。

 それも、この死闘の、ほんの序章に過ぎないことを、観客の誰しもが疑わなかった。浩之も、ランも、葵も、誰もしが。

 おそらく、違うことを考えているのは、ここではたった一人、綾香だけだっただろう。

 

続く

 

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