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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(238)

 

 坂下は、表情こそ出さなかったが、押し切れなかったことを苦々しく思っていた。

 むろん、ここで押し切らなくとも、まだ余裕はあるつもりだ。しかし、一応は仕留める気で攻撃を出したのに、結果逃げられたというのは、坂下にしても反省すべき点だった。

 この試合場で、ぽつぽつとある地面の凹凸は、今のところ坂下にはあまりうまく動いていない。二回も、それで逃したと言っていい。

 まず、一つ目はカリュウが足をひっかけてバク転したところだが、あれは、もしそのまま水平に動いただけならば、もっと近くで攻撃出来たのだ。バク転が入った分、距離が伸びた。

 そして二つ目は、追撃の手をあきらめたさっきのことだ。坂下の進行方法、坂下の足がつく場所が、丁度凹凸になっていた。そんなに問題になる差ではないが、とっさに足をつくには、あまり好ましくない場所だった。

 どこまで、カリュウがそれを読んで動いていたのかは知らないが、地味な試合場のわりに、坂下にとっては不利になることばかりだ。

 この芝生にしても、そうだ。

 坂下は完全に打撃系の選手であり、地面は固い方が有利。しかし、この芝生、さらに下は土で、極端に柔らかいとは言えないが、コンクリートの地面に比べれば、踏み込みの力はかなり弱まる。

 かつ、この芝生は、地面に身体をつけても、こすったりすることがない。組み技、それも倒れての組み技が、かなりやりやすいだろう。

 カリュウも打撃は使うが、組み技も使うオールラウンダー。状況に合わせて、どちらを使うとしてもさして問題にしない。

 今のところは打撃しか使っていないが、いつでも組み技に変えられるカリュウに、かなり有利な試合場だ。

 もっとも、試合場を見た瞬間に、その程度のことはわかっていた。凹凸の部分は、もう少し身体で覚えないといけないだろうが、地面の状態による不利は、すでに思考の中に入れてある。

 坂下の打撃の方が、かなり上なのは、さきほどの攻防だけでも分かろうというものだ。

 組まれると、まだ分からないが、打撃のやり合いである限り、坂下の勝ちは揺るぎないものだ。

 カリュウは、かなり離れたところから、構えを変える。上体を落として、両腕を前に出す。腰をあまり落とすと、素早いタックルが難しいからこその構えだ。

 打撃だけならば、坂下の方がかなり有利、ではあるが、カリュウにしてみれば、当然相手の有利な戦い方に付き合うぎりはない。

 それどころか、先ほどの攻防で、打撃で打ち合うのは不利と感じたのなら、当然、次は組み技を狙ってくるのは当然のこと。

 打撃なら坂下は断然有利の自信があるが、組み技は、正直自信がない。

 まず、坂下は空手着を着ており、つかむ場所には事欠かないことだ。ならば脱げばいいものを、という話もあるが、坂下はそんなものを作戦の内に入れるつもりはなかった。

 タックルに来る相手を、打撃でたたき落とすのはよくやっているが、純粋な組み技の練習は、最近浩之が覚えて来たので、ほんの少しやるだけだ。

 基礎能力が高くとも、組み技はどうしようもない部分がある。才能ももちろん大切だが、練習の量が、才能を上回る部分の要素が、打撃と比べて大きいのだ。

 反射神経がいかにあろうとも、それを反対に利用するような技も、組み技には多い。一瞬で強力な力を発揮しなければならない打撃は、才能によるところが大きいが、技をつないでいくことの方が有利な組み技は、練習によるところが大きい。

 カリュウは、当然組み技に関してはかなり練習して来ているだろう。

 坂下は直接に知らないことだが、カリュウと組み技で真っ向から勝負するマスカレイドの選手は、案外少ない。というよりも、実は、組み技をメインに戦う選手が、マスカレイドには少ないのだ。

 それは、マスカレイドの性質によるところも大きい。才能のあるケンカの強い人間が集まっているのだ。才能を生かせるのは、むしろ打撃。だから、ちまちまと練習を繰り返さなければならかない組み技の選手は、少なくなる。

 組み技を得意とする選手と戦う経験は、空手家の坂下は当然少なく、そして、打撃を得意とする選手を相手にすることは、当然カリュウは多い。

 それは、坂下の不利、と言っても良かった。奇襲で倒せなかったことは、坂下にとっては、思う以上に不利になるのだ。

 全力でカリュウに組み技を使われることの不利を。

「ふふん」

 坂下は、鼻で笑っうと、構えを、解いた。

 腕を下げ、半身の身体の中心を、カリュウに向ける。

 それを見て、おおおぉぉぉ、と観客達が一斉に声を出した。

 坂下の方から、カリュウを挑発しているのだ。組み技が使いやすい状況とは言え、坂下とカリュウの間は、さきほどカリュウが逃げたので、かなり開いている。

 それだけ距離が開いていれば、坂下にとっては構えていなくとも問題がない。

 それに、相手に中心を見せるのも、打撃相手ならばないが、組み技相手ならば、ありだ。半身になっているよりも、中心を見せていた方が、ふんばりが効く。

 だからと言って、正中線を見せているのだからと、打撃を狙っていけば、それこそ坂下の思うつぼ。しかしそもそも、組み付くために近付くだけでも、かなり難しいのだ。

 そして、坂下は、結局のところ、カリュウをそうやって迷わすためだけに、構えを解いて、挑発していた。

 こうなった以上、坂下は十分にカリュウ相手に楽しむつもりだった。そして、存分に力を発揮する、というのは、何も正面から戦うことだけを指すのではない。

 坂下が、今まで築いて来た、試合の機微だとか、戦略だとか、プレッシャーのかけ方だとか、そういうものも、坂下の強さの一つであり、それを存分にふるうことこそ、存分に力を発揮した、と言えるのではないだろうか?

 そもそも、こいつには、かなり待たされたしね。

 カリュウと戦いたい、と言ってから、もうけっこう時間が経っている。その間、たまに前菜のような相手はいたが、所詮それでは坂下は満足など出来なかった。

 せっかく待たされて、出てきたメインディッシュなのだ。存分にそれを味わいたい、と思っていればこそ。

 一見こそくにも見える、しかし、それを坂下がやるからこそ効果のある挑発を、坂下は選択した。

 当然、カリュウは、そんなものを目の前にすれば、躊躇する。構えを解いていること自体、坂下の実力をそぐものではない、とわかっている以上、結局待ちかまえられているのと、何ら変わらないことぐらい、重々承知なのだろう。

 さて、どう出て……

 すぐには来ない、と思う坂下の心の隙を、カリュウは、そのとき突いた。

 躊躇した、と見せた瞬間に、地面をすべるように坂下に向かって走り出したのだ。躊躇したことすら、フェイントとして使う、素早い決断が見える動きだった。

 だが、坂下もその程度でおたおたするような人間ではない。

 それでも、一瞬だけ、カリュウの動きは坂下の予想を超えた。それほどに、低空、いや、まさしく地面を這うタックルだった。

 足先から身体を使って、出来るだけ距離を稼ぎながら、カリュウの手だけが、坂下の足首に向かって、違う生き物のように伸びる。

 が、すでにそのときには坂下は反応していた。

 葵の試合で、超低空の倒れるようなタックルはもう見てるよ。

 他の選手の技とは言え、すでに見たことのある技は、坂下にとっては、反応するのではなく、対応するものだった。

 伸びてくる腕に向かって、坂下は拳を振り下ろした。この軌道で行けば、伸ばされた手に、坂下の拳が入る。ウレタンナックルは装備しているので、前のアリゲーターのように手を折るまではいかないだろうが、試合を決めるには十分な結果になるはずだった。

 ボスッ!!

 そして、坂下の拳は、カリュウの手にではなく、土に突き刺さっていた。

 

続く

 

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