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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(239)

 

 超低空、と言うよりも、倒れる様なタックルをカリュウが仕掛けていくのを見て、浩之は、決まった、とすら思った。

 浩之もタックルに関してはかなり練習を繰り返しているが、それでもまだあそこまでの低空タックルは出来ない。というよりも、倒れるようなタックル、というのは、浩之の作戦の中にない。立ち技相手でも、うつぶせに倒れるというのは、かなりリスクが高いからだ。

 だから、ギリギリ届く距離を測って仕掛けないといけないし、相手に動かれると、自分から隙を作っているようなものだ。そういう点で言えば、構えを解いて坂下が待ちに入った瞬間を狙うというのは、ベストと言える。

 しかし、いかにカリュウのタックルが決まった、と思ったのは、カリュウのタックルではなく、試合の方だった。その程度のタックルでは、坂下を捉えきれない、と思ったからだ。

 他の動きでフェイントをかけていたのならともかく、相手の意の裏を突いたとしても、距離が空きすぎているし、坂下は、それに似たタックルを、葵の試合で一度見ている。

 坂下ならば、十分迎え撃つことの可能なものだ。実際、坂下は伸びて来る手に向かって、拳を振り下ろしていた。身体の末端にあの拳が当たれば、ただでは済むまい。

 ボスッ!!

「え?!」

 しかし、浩之の予想に反して、坂下の拳はカリュウの腕には当たらずに、地面に突き刺さった。極端に硬い地面でもないし、坂下の鍛え上げられた拳は、それぐらいでは壊れはしないだろうが、攻撃が外れたのは間違いなかった。

 坂下の拳が打ち下ろされる前に、カリュウは伸ばした手を地面につき、そこを支点に、身体を横に逃がしていた。

 倒れるようなタックル、のはずが、一瞬で、横に滑り込む高速で、そしてリーチの長いタックルに変化する。攻撃にまわっていた分、坂下の反応が遅れたからこそ出来た動きだ。

 次の瞬間には、カリュウの身体は坂下の右横にまわっていた。そしてそのまま、坂下の右足を掴もうと両手を伸ばす。横にまわられ、片脚を取られれば、いかな坂下でも、不利だ。

 ドンッ!!

 重い打撃音と共に、カリュウの身体がさらに横にはじき飛ばされ、それでも伸ばそうとした手も、空を切った。

 バランスを取ることなどはなからあきらめていたカリュウは、ごろごろと転がって、それでも素早く立ち上がる。

「何、女の尻に抱きつこうとしてるのさ」

 僅かばかりの怒りと、大量の余裕を持って、坂下はカリュウをはね飛ばした体勢を、元に戻す。

 それは、丁度カリュウが片脚を掴めば、坂下のお尻あたりに顔が来るだろうが、もちろんそんなことを坂下が指摘したかった訳ではない。

 まるで作ったような挑発の言葉に、観客達もかなり満足そうに歓声をあげている。

 坂下って、あんな目立ちたがりの性格だったか?

 浩之などは、多少疑問にも思うが、確かに今の坂下は格好良いし、セリフも挑発には十分なものだ。

 カリュウが、怒りを押さえ込もうとしているのが、まわりから見ても分かるぐらいだ。まあ、だからこそ観客にもうけている、とも言える。

 坂下の下段突きはカリュウの機転なのか、最初からの作戦なのかわからないが、避けられた。それで今度は坂下の方が不利になるはずだったのだが、坂下はそれをあっさりと覆した。

 腰から脚にかけてを、組み付こうとして腰を落としたカリュウの身体にぶち当てたのだ。

 打撃が強い、というのは、ようするに踏み込みが強い、とも言える。坂下の踏み込みともなれば、それだけで人がはねとばせるぐらいの力を持つ。

 何より、腰は人間の重心近くであり、そこから生まれる力は、一般人でもかなりのものだ。それが、坂下となり、しかも、カリュウの方も、こちらから攻撃が来る、とは読んでいなかったのだから、効くのは当然。

 しかし、失敗すれば、自分からカリュウの腕に腰と片脚をさらす結果になったかもしれない、危険な方法でもあった。

 浩之は、それにすぐ気付いたし、綾香も葵も、そして相対するカリュウも、それは分かっているのだろう。挑発されたからではなく、その絶好のチャンスをみすみす逃したのだ。それは自分でも坂下にでもいいが、怒りを感じて当たり前だ。

 おそらく、組み付かれれば、肘や拳では遅すぎた。完全に密着されると、打撃というのはほとんど用をなさないのだ。

 この攻防だけ見れば、やはり坂下の方が一枚上手にも見えるが、それも薄氷の差だということが、本人達には分かっているだろう。

 僅かの差、されど、それは差。

 さきほど、坂下がカリュウを捉えきれなかったように、カリュウも、坂下を捉える最大のチャンスを逃してしまった。

 その中で、何よりも、一番大きいことは。

 坂下がカリュウを逃したのは、この試合場だったからこそであり、おそらくはある程度偶然を内包しているのに対して。

 カリュウが坂下を逃したことは、いや、坂下がカリュウから逃れたことは、どれを取っても実力で、ということだ。

 お互い、焦った場面だったろう。そして、攻防が終わって焦らなければならないのは、おそらくはカリュウの方。

 あー、分かる分かる、その気持ち。

 浩之は、一人うんうんとうなずいていた。

 実力も状況も全部最大限に使って戦っても、それでも実力で相手の方が上回る。そんな経験を、浩之は何度もしてきた、というか現在もよくやっている。

 だからそれが、どれほど神経を使うもので、苦しいものかをよく理解しているつもりだ。カリュウの苦しさも、我が事のように思える。

 まあ、俺の同情があったからって、カリュウが有利になる訳じゃねけど。

 それに、一応浩之は、坂下の方を応援しているつもりだ。

 しかし、こうまで坂下が言った通り、坂下の実力が勝っているのを、僅か数回の攻防で見せつけられると、カリュウのことも多少応援したくなる。

 判官贔屓、という訳ではなく、純粋に、同じ猛者達と戦う、弱者として。

「浩之先輩、どうかしましたか?」

 思うところが顔に出ていたのだろう、ランが小声で話しかけてくる。この歓声の中では、さらに横にいる綾香にすら聞こえないような小声だ。

 もっとも、綾香は反応はないものの、おそらくは聞こえているのだろう。まあ、そんなに興味を引く内容でもないと思って、浩之は気にしないことにした。

「いや、我が身を当てはめてな」

「は? カリュウにですか?」

 どちらに、とも言わなかったのだが、それでも、カリュウに当てはめているのは、浩之を坂下に当てはめることが、頭の中でもランには出来なかった証拠だ。

 いや、その考えも正解だよ。

 浩之は、そんな言葉には出なかったランの評価に苦笑しながら、答える。

「カリュウも立場辛いよなってな」

「それは、ヨシエさんの相手ですから……楽とは言えないですが。浩之先輩だって、いつも相手をしているじゃないですか」

 暗に、それは凄いことなんですよ、とランは言っているのだが、凄いこと、という認識はあっても、ランの言いたかったことは、浩之にはまったく通じていなかった。

 同じ凄いと言っても、それは辛いことではあって、立派なこと、などと、浩之が思う訳がないのだ。

「や、まあ、だからこそ、辛いよなと思う訳だが」

「まあ、この調子なら、すぐ決まると思いますよ」

「ああ、俺が相手の場合でも、同じようにあんまりもたないからなあ」

「そういうつもりで言った訳じゃないんですが……」

 ランは浩之の凄さを口外したいし、カリュウなど怖いとは思うが眼中にないのだが、そういう気持ちは、やはり変な風に鈍感な浩之には、届かないのだった。

「ぷっ」

 いきなり、横の綾香が吹き出す。本能的な怖さと直接的な恐怖を感じていても、ランはとっさに綾香を睨んだ。とは言え、間に浩之をはさんでなので、直接見える訳ではないが。

「ん、綾香、何か面白いことでもあったか?」

「いや、べっつに〜」

 何かありそうな口調だったが、言及しても仕方ないと感じた浩之は、肩をすくめて、ランと目配せした。

 ランとしては、目配せは嬉しかったのだが、おそらく自分が笑われたことが、どうしてもしゃくにさわる。もし浩之のことが笑われたとすれば、余計に腹がたつ。

 が、言い合いをしようにも、間に浩之をはさんでいることを考えて、大人の心で、ここはこらえることにした。

 もちろん、綾香はランのことも浩之のことも笑った訳だが。

 正確には、ランの位置に自分を当てはめて、浩之の鈍感さに、笑いがこみ上げて来たのだが、それは試合には関係ないことで。

 ギスギスしていたり楽しそうだったりする観客席の雰囲気などまったく気にもせずに、試合場の二人は向き合っていた。

 

続く

 

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