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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(242)

 

 カリュウが坂下を、一発ではなく、少しずつダメージを与えて、削り倒すつもりだ、と坂下が気付いたとき。

「ははっ」

 思わず、坂下は笑ってしまった。なげやりでもないし、楽しそうでもない。しいてあげるとすれば、嘲笑に近いものだ。

 この私を、削り倒す?

 元来、坂下はそんなに自信過剰な方ではない。格闘技に関しては、辛く長い練習がバックボーンとなっているので、大きなことを言ったりもするが、基本的には謙虚な人間だ。もっとも、基準が綾香相手なので、どこまで信じられたものか分かったものではないが。

 その坂下をして、嘲笑さしめる。それほど、カリュウの読みは甘いと言える。

 真っ正面から玉砕覚悟で攻めて来ても、ただの無駄死にかもしれないが、それにしても、削るとなると、それ以上の下策だ。

 カリュウが、坂下の隙をうかがうように、弧を描いて動く。隙を狙うというよりは、おそらくは坂下のタイミングを測っているのだろう。

 坂下の動きや間合いを、熟知していると言っていい。もちろん、それは十分なアドバンテージになる。

 タイミングを合わせたのか、カリュウがまたつっこんでくる。

 今度は、ローキックか。

 ぎりぎりの間合いで、坂下に反撃を許さないローキックだ。後ろにも前にも動けないように、綺麗にタイミングが取られている。

 すでに地面につきそうな足を、もう一度上げて前に出す、というのは正常な人間の動きならば、かなり違和感のある動きだ。タイミングというのは、前進した足が地面につく一瞬前の時間なのだ。人間である以上、そこから動くには、まず地面に足をつけてから、さらに一瞬なりともためがいる。

 そういう意味では、カリュウのタイミングの取り方は最高と誉めてもいい。事実、坂下は今度は、前にも後ろにも行けない状態だった。

 しかし、坂下はまったく動じなかった。

 ギッ!!

 一瞬、硬いものがぶつかり合う音がしたと思ったときには、カリュウの身体が宙を飛んでいた。腰を中心に、前転をするような体勢で、坂下から見れば左に、まるで枯れ葉のように飛ぶ。

 観客も、何があったのか理解できないまま、カリュウは宙で一回転、器用に着地すると、その勢いを殺さずに、蛙のように大きく横に飛び退く。

 ふん、逃がしたか。

 後一瞬、カリュウが身体ごと脚を逃がすのが遅ければ、坂下のローキックと正面衝突して、おそらくは坂下のローキックが勝っていただろう。

 カリュウがローキックを放ったのと同時に、坂下は何もないはずの場所にローキックを放っていたのだ。そこに、カリュウのローキックが来る、と知って。

 ぎりぎりの間合いは、確かに坂下の反撃を鈍らせる。しかし、そう何度も本当にぎりぎりの線を見せられれば、坂下がカリュウの打撃の間合いをつかむのは、そう難しいことではなかった。

 言うなれば、カリュウは安全な場所から攻めすぎたのだ。何度も自分の最大を見せていれば、相手がそれを解析して、間合いを読んでくる、とまでは考えられなかったのだろう。

 坂下は、最初から狙っていた。だから、例え地面につく瞬間の脚でも、ローキックを狙うことが出来たのだ。どうせ、そう遠くに出す必要はない。カリュウの方から勝手に近付いて来てくれるのだ。

 カリュウの読みは、なるほど凄い、と言わざるを得ないだろう。

 しかし、いくら読んだところで、限界がある。それが証拠に、ほとんど予備動作なしのローキックには、身体を後ろにそらして逃げるしか手がなかったではないか。

 だいたい、私にどれほどの動きの種類があるって思ってるんだ。

 それが、坂下が嘲笑に至った理由だった。読みは、初戦読み。百発百中とは絶対いかないし、何より、分かっていてもどうしようもない部類の攻撃だってあるのだ。

 ただ、普通の選手ならば、読まれていることに不安を感じ、どうしても精神的に押されるかもしれない。そうなれば、カリュウにとってはしめたものだっただろう。疑心暗鬼になった人間に、実力など出せる訳がない。

 今回のことを言えば、カリュウの失敗は、あからさま過ぎたことだ。もっと、幅広く攻撃の手を出せば、削りを狙っているというのを坂下に知られるのが遅くなり、その分、坂下が開き直るのが遅くなったかもしれないのに。

 相手が疑心暗鬼になる分、読む方はそれだけ精神的に苦痛が多いということだろう。だから、カリュウには方針を見せないための遊びをする余裕がなかった、ということだろう。

 さっきの必死の回避を見ても分かるように、真正面から激突すれば、坂下の方が強い、とカリュウ本人が言っているようなものだ。

 地形に多少は不利があるだろうが、所詮、坂下にとってみれば、多少の差。気をつけはしても、深刻になるほどのものではない。

 さあ、次はどう来る?

 嘲笑した後だが、それでも、坂下はカリュウに期待しているのだ。少なくとも、自分の間合いを読んで、削ろうなどと無茶をする選手は、坂下のメガネにかなう。

 もちろん、坂下から攻撃するのもありだ。だが、坂下はカリュウを甘く見ていない。先ほどの攻撃も、何のかんの言っても、後の先を取っている。

 勢いで押されるだけの連打なら、坂下にとっては脅威ではないのだから、坂下は守っていい。守りながら、慎重に攻めるのは、カリュウの実力を認めているからだ。

 大したことのない相手なら、さっさと蹴倒しているところなのだから。

 それに、いきなり間合いと読みの二段構えを崩されたカリュウの、次の攻撃が気になったのもある。正直、その作戦は本命と言ってもいい勝率を稼げたはずなのだ。それが崩されたとき、カリュウがどう出るのか。興味は尽きない。

 ここで、坂下は、カリュウを甘くは見ていなかったが、正直、自分よりも格下だと思っていた。

 守りを得意とする坂下だが、それでも、ただ相手が攻めてくるのを待つのは、坂下らしくなかった。それに、この場で何人気付けたか。

 いや、綾香の方を見ていれば、坂下は、自分でそれに気付いたかもしれない。しかし、そんなよそ見をするほど、坂下はカリュウをなめていなかった。だからこそ、それが災いした。

 綾香が、坂下と同じように浮かべる嘲笑が、何を意味しているのか、坂下ならば、すぐに気付いたかもしれないのに。

 カリュウは、マスクで表情を隠し、慎重に、また距離を測る。中腰で、打撃を狙っているのか組み技を狙っているのか、逃げ腰なのか分からない体勢だ。

 しかし、まだあきらめた様子はなかった。そのいきや良し、と坂下が偉そうなことを思っていた矢先に、カリュウはまた飛び込んできた。

 ただ、それは酷く中途半端な、打撃なのかタックルなのか、判断のつかない動き。ただし、の落ち方から言って、キックは可能静的に薄いし、来ても遅い、と坂下は判断。

 カリュウのギリギリの間合いまで、まだしばらくあったので、坂下はカリュウの出方を見る。あくまで、待つのは後の先。

 視界に、小さな丘が二つ、目に入る。これをカリュウが利用する可能性はあるが、どう使って来るのかは不明。使うにも、今度は丘と坂下との距離が離れすぎている。

 坂下が、迎撃のために、少し腰を落として、その場にとどまる。素早い動きは必要なかった。正面から来れば、坂下の受けや打撃の餌食だ。

 カリュウの足が、丘の上を踏む。ぐんっ、とカリュウの身体が上に持ち上がった。しかし、それは坂下の下半身を狙いにくくし、しかも上は坂下の鉄壁の防御に守られる。

 ここに来て、その地形は、カリュウにとっては不利な要因となった。

 のも、一瞬のことだった。

 カリュウの身体が、一瞬、坂下の視界から消える。いや、正確には消えたのではないが、坂下はそう錯覚した。

 しま……っ!

 すぐに上か下か、という選択肢が坂下の頭に出るが、その分、坂下の動きは遅れた。完璧に迎撃するつもりで、腰を落とし気味にしていたのも災いした。

 一瞬遅れて、坂下は身体を前に倒す。というより、倒れる、と言った方が正しい。

 シュバッ!!

 次の瞬間、坂下の後頭部を、カリュウのかかとがかすり、坂下の髪を跳ね上げていた。

 

続く

 

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