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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(246)

 

 チリチリ、と焦燥にも似た殺気を、坂下は肌で感じていた。

 カリュウが、まだ勝ちを狙っている。浩之が感じたことは、おそらく間違いではなかった。何故なら、坂下も、同じように感じていたからだ。

 ただ焦っているだけ、そして、恐れているだけ。見ている者のほとんどはそう思うのかもしれない。しかし、相対している坂下は、そんなことは少しも感じていなかった。

 時間が経てば経つほど、カリュウからのプレッシャーは大きくなっていっている。殺気にいたっては、まるで、坂下を殺してしまいかねないほどだ。

 もちろん、そう簡単に殺される坂下ではないが、今のところ、坂下の反撃は、ことごとくカリュウに避けられている。

 カリュウの動きが、段々速くなっていっているのだ。動きは大げさに見えても、その実必要なところは必要なだけ動けている。坂下の攻撃が当たらないのも当然だった。

 そして、さらに言えば、坂下の攻撃は、少しずつ、カリュウに近付いている。

 おそらく、カリュウのテンションはこれ以上ないぐらいに上がっているだろう。だからこそ出せるスピードなのだろうが。

 ほんの少しずつだが、坂下の方が押し始めていた。

 カリュウの動きが素早く、なめらかになっていくのと同じように、いや、それ以上に、坂下の動きも、速く、そしてなめらかになっていく。

 ああ、段々と、晴れていく。

 坂下はそれを身で感じていた。少しずつ、自分の中にあった違和感が、解けていくのを。カリュウが攻撃すればするほど、まるでそれが引き金になるように、坂下のピントが、カリュウの動きに合ってくる。

 カリュウの殺気の中に、わずかではあるが、焦りが混じる。焦燥ではない、純粋な、焦りだ。少しずつ、押されているのを理解したのだ。

 さあ、どうする?

 それでも、坂下の連打は当たらない。当てるだけならば、何よりも速いはずの相手の打撃を打ち落とした手をそのまま攻撃にまわす、交差法さえ、カリュウを捉えきれない。

 すでに、坂下の中では、ウレタンナックルのことなどどうでも良かった。当たらないのならば、剣を鞘から抜いたところで関係ない。

 それよりも、一発でも多く、一瞬でも速く攻撃した方がいい。そうしていれば、いつか、手が届くはずだから。

 連撃の撃ち合いに、観客達はごくり、と息を呑む。

 もう、それを一体いくら続けているだろうか? 二人の動きが、止まらないのだ。ジャブを避けたと思った瞬間には、今度は拳を打ち付けて、それをガードしたと思ったときには、脚が繰り出されている。それを身体をひねりながら避ける勢いを殺さないまま低い跳び蹴りをフェイントに使って、後ろ回し蹴りがあっさりと受け流され、その致命的と呼べる隙を突かれる前に、大きく飛び退くが、すぐに攻撃に転じる。

 動きに、ほとんど止まるところがない。カリュウが、どうしても仕方なく坂下の攻撃を避けるために飛び退くが、それもすぐに埋まる。カリュウが埋めなければ、今度は坂下から攻めるだけだ。

 すでに、一体どちらが攻めているのかすら分からない。

 しかし、どちらの攻撃も、当たらない。まるで決まった演舞を踊っているかのように、二人はとめどなく動くのに、まったく二人の攻撃は相手に致命傷を与えられない。

 高レベルの人間ならば、こんな連打の撃ち合いではなく、もっとシンプルな一撃、または一回のフェイントに合わせた一撃で決まるものだ。

 それなのに、この二人のレベルで、これだけの撃ち合い、普通は観ることなどできない。その前に、試合は決まっているはずだ。

 そう、二人とも、申し合わせたかのように、息がぴったりだ。八百長と言われても、反論出来ないほどに、二人の動きはシンクロしていた。

 だが、あくまでそれは、シンクロしているだけ。

 じりっ、とカリュウが、今までにない動きで後ろに下がる。坂下の猛攻に、耐えきれなくなった、という動きだった。

 耐えられる訳がない。いくら息が合おうとも、自力で、坂下に勝つのは、カリュウには無理なのだ。坂下が何度も何度も言った言葉は、ここに来て、現実として出る。

 カリュウは、坂下には勝てないのだ。最低、実力だけを考えれば。

 息が合っていたからこそ、それがぴったりとシンクロしていたからこそ、一度崩れると、後はダムが決壊するように、ぼろぼろと崩れていく。

 バシッ!!

 ガードの上からでもダメージがある、と分かるほど、坂下の強力なミドルキックが、カリュウのガードの上を叩く。

 カリュウが、体勢を整えるために、攻撃を仕掛けられなかったその一瞬で、坂下は力を入れたミドルキックを打つ準備を終わらせたのだ。

 カリュウの正しい回避方法は、後ろに飛んで逃げることだったのだろうが、そもそも体勢が崩れていては、それも出来ない。地形を活用しようにも、そんな余裕は、当然ない。

 それでも、すぐにカリュウは攻撃にまわるが、ダメージは蓄積されているはずだったし、何より、リズムが崩れだしていた。

 反対に、坂下は、違和感のほとんどを消化していた。つまり、坂下には、もう止まる理由は、何もなかったのだ。

 本当のことを言えば、倒れたところを蹴られたときに、違和感のほとんどは消え去っていた。いや、答えは出ていた、とでも言おうか。

 例え、カリュウがどんな手を使っていたとしても、あのチャンスには、何も出来なかった。自分の知っている、全力を出さなければならない、瞬間だった。

 そう、カリュウは自分の出せるもの全てを出したのだ。だからこそ、坂下は、あの攻撃を無効かすることが出来た。

 スピードは上がったとしても、タイミングというものは、そう簡単に変わるものではない。

 だから、坂下は、自分の覚えているタイミングで、横に飛んだのだ。例え体勢不十分だったとしても、横に飛ぶぐらい、出来る。

 あいつも、それぐらい昔から出来たではないか。

 体勢を立て直すためになのか、カリュウがとうとう、一歩下がる。しかし、その一歩はまずい。坂下の今打ちだそうとしている拳は、十分避けられるかもしれないが、その後、坂下のキックの射程に、丁度来る。

 どんなに身体を素早く動かしても無理なほど、カリュウのいる位置は、坂下のミドルキックの手の内、いや、脚の内だった。

 カリュウのガードにまわした手が、伸びきった坂下の拳を叩いてそらす。そんなことをしなくとも、その拳は届かない。

 しかし、それに続くコンビネーションのミドルキックは、確実に届く。どんなにうまく受けようとも、ダメージは逃れられない。いや、ガードする腕ごどへし折るつもりで、坂下は左ミドルを放とうと、拳を引こうとして。

 それが出来なかった。

 訳がわからないまま、坂下は前につんのめるような格好でバランスを崩す。

 本当なら、右拳を身体に引きつけると同時に放つはずだったのに、拳が引けないことにより、身体は完全に攻撃のタイミングを逃した。

 それは、坂下が経験したことのない、拳が固定された感覚。

 一瞬、何が起こったのかわからなかった坂下は、とっさに出すべきはずのガードを、一瞬遅らせた。

 まずい、とすら思う暇もなく、防御を上げようとする坂下の無防備な頭に向かって、本当なら坂下が蹴るはずだった方向から、カリュウの右ハイキックが、坂下に向かって放たれていた。

 それは、まるでそうであることが決まっていたかのように、坂下の頭に、吸い込まれた。

 

続く

 

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