ダメージを飛んで逃す、などという暇すら、なかった。車にでも正面からぶつかったかのように、カリュウの身体は暴力的な力で、はね飛ばされていた。
ズダンッ
受け身など出来るはずもなく、そのまま、カリュウは地面に倒れた。唯一、救いだったのは、丁度その場には地面の突起がなく、変な場所を打つことがなかったぐらいで、あまりの衝撃に、カリュウの息が止まる。
くるり、と、カリュウを一撃の下吹き飛ばした坂下は、その場で左足を軸に回転してから、倒れたカリュウを上からながめる。
ワンツーの後に、坂下はまだコンビネーションを続けたのだ。回し蹴り、坂下の必殺とも言えるミドルキックが、カリュウの身体を蹂躙したのだ。
カリュウは、ワンツーをさばくまではうまくやった。しかし、拳だけに気を取られすぎたのだ。坂下の武器は、その凶器たる拳だけではないことを、このとき、カリュウは忘れていたのだ。
だが、それをカリュウの一方的なミス、と言うのは酷いだろう。カリュウに、次に蹴りがあることを忘れさせた、坂下の拳のプレッシャーを誉めるべきなのだろう。
完全に、相手を振り抜くような回し蹴り。お手本として飾っていたいぐらいの綺麗な技だった。そして、技の綺麗さは、だいたいにおいて威力と比例する。
威力を飛んで殺す、など不可能。出来たとしても、それを上回る暴力で、カリュウはやはり刈り取られていただろう。
観客達は、シンとしている。
押していた、カリュウは、確かに坂下を押していたのだ。マスカレイドの三位は、それこそ冗談ではない強さを持っているはずなのだ。
しかし、倒れているのはカリュウの方で、最後の一撃は、運でも何でもなく、坂下の実力が出させた、そう、最後の一撃。
立てない、誰もがそう思ったとき。
ぐっ、と、カリュウの身体が持ち上がった。
オオオオォォォォォォォォッ!!
一気に盛り上がる観客達。決まった、と思ったところから、はい上がってくるのは、何も坂下の専売特許ではない。
負けることもあった。しかし、何度も逆転を繰り返して、カリュウがここまで登って来たことを、観客達は、その目で見て来たのだ。
だからこそ、今の状況がどれほど危険なことか、分かっている。
坂下とカリュウの間を遮るものは、何もないのだ。これが試合ならば、カウントがなっている間は休めるし、立ち上がるのに時間をかけられるかもしれない。
しかし、ここはマスカレイド。ほとんどのルールを削ることによって成り立つ、異端の場。ゆっくりと立ち上がるカリュウを守ってくれるものは、ないのだ。
坂下が手を出せば、終わる。いかにカリュウに期待しても、それだけは変わらない事実。
だが、それでも、希望もある。これで決まる、と思った状態から、目の前に立つカリュウの敵は、立ち直って来たではないのか。
坂下に出来ることを、カリュウに求める。それは、観客達からすれば当然の話で。
当事者の二人からしてみれば、話にならない、願望だった。
しかし、その願望を、まるで現実のものにしたかのように、チャンスは、まだカリュウに渡された。
坂下が、攻撃して来ないのだ。カリュウが立ち上がるのを、遠くから、悠長に見物している。
油断どころの話ではない。それは、試合放棄と言っても良かった。確かに、今坂下が押しているのは、誰しも認めるところで、そればかりか、もうカリュウに勝ち目が薄いことを、嫌々ながらも認めるこの状況でも。
観客から見れば、そんな状況を、坂下は何度も繰り返して来たではないか。
カリュウという、生粋のマスカレイドの選手であり、何度も逆転を見せて来た猛者を相手するには、あまりにもぬるい戦い方。
正直に言えば、坂下は、立ち上がろうとする相手に対して攻撃することを、想定に入れて鍛えていない。当たり前だ、そんなことを試合ですれば、一発で反則負けだ。
もちろん、出来ないことはない。しかし、それがあまりにも危険であることは重々承知しているからこそ、冗談でも使うことは少ない。
だが、そんなことは、今日ここ、このときでは問題ではないのだ。
そう、すでに、決着はついているのだ。
身体を引きずるようにして、それでも、カリュウは立ち上がって、坂下を、ただ見つめる。
どこか、思い詰めていたような目から、まるで、憑き物が落ちたかのように、すっきりとした目になって、坂下に視線を向けていた。
だから、試しに、坂下は聞いてみた。
「気は、済んだ?」
一瞬、カリュウは何のことを、という演技をしようとして、それに失敗して、そして、どこか自虐的な、しかし、軽率な笑みを浮かべると。
首を、横に振った。
「だよねえ」
坂下は、再度、構えを取る。当然、カリュウも、戦うために、腕を身体の前で十字に組む。
勝負は、決まっている。だから、これは言ってみれば、未練のようなものだ。
カリュウという、当初の目的はどうにすれ、今は、目の前の少女に勝ちたい、と思った男の、情けない、未練。
「ハァァァァァッ!!」
息吹は、坂下ではなく、カリュウの口からはき出された。十字に組んでいた腕を、ゆっくりと開きながらはき出されたそれは、最後のときを、無理にでも作る為の儀式。
空手の息吹で、カリュウは動かないであろう身体に気合いと、後一合打ち合えるだけの力を込める。
全身全霊の、未練。
坂下とカリュウ、どちらが先に動いただろう。
お互いに、はじけるように、距離をつめる。その前進の速度で当たれば、どちらもカウンターになり、それでもう、立ち上がれはしないだろう。
カリュウの足が、地面の丘に上がる。それでも、速度は落ちない。
坂下に、ぎりぎり腕が届く範囲で、カリュウは坂下よりも高い位置に身体を持ち上げていた。
高い位置から、低い位置へ。威力を上げるための、当たり前の話。
身体をあびせかけるように、カリュウの右の掌打が、坂下を上から襲う。
だが、正拳ではなく、掌打、しかも、それは上からフック気味に入っている。それでは、距離が短い。丁度、坂下と打ち合う距離に、カリュウはいた。
だが、頭部を狙った坂下の拳は、カリュウが上にいる所為で、上に向かって放たれた、不安定なものだった。これが、もしアッパーだったら、カリュウは避けきれなかっただろう。
そう、カリュウは、坂下の上に向けて放たれた正拳突きを、ぎりぎりで避け、クロスカウンターのように、坂下のあごを打ち抜こうと、腕を落とす。
シュッ
お互いの拳と掌打が、空を切った。カリュウの、この後におよんでも、地形を利用した、高さの変化による、ある意味かなり効くはずの策を、あっさりと坂下は避けたのだ。
しかし、これでカリュウは終わりではない。
地面に足がつくと同時に放たれる、左の、下段からのフック。
さっきまで上からかぶせた攻撃に目を行かせた後に、身体の反対側から来る一撃。
しかも、高さの幻惑を受けた坂下と違い、カリュウは最初からこれを狙っていた。その分、カリュウの方が有利。
下から、坂下のあごを狙って打ち出された掌打。
目の前にるのが、坂下だからなのだろうか。カリュウは、今までで一番、完璧に出せた一撃だと、感じ。
ガッ
スピードは、申し分なかった。狙いも、良かった。もう倒れる寸前の男が放つ一撃では、いや、連撃ではなかったはずだ。
それが、あっさりと坂下の右肘で受け止められる。
カリュウの下段からの左フック、それを肘に受け、はじき飛ばした結果、生まれた力を、そのまま前に向けて、坂下は、放った。
相手の打撃を、自分の打撃に上乗せする。失敗すれば、肘がどうにかなってしまうだろう。
もう、坂下はこの試合で、神技とも言える動きを、二回も見せていた。
だから、カリュウが負けたのは、仕方のない話。
スパ
坂下の拳は、もう可視の速度を超え、カリュウの顔面に入り。
ふれている時間は、驚くほど少なく、しかし、その瞬間に、力は、全てカリュウの身体に注がれた。
ンッ!!
響きのない、切って捨てたような打撃音と共に、カリュウの身体が、あっけなくその場で270度回転し、うつぶせに倒れる。
もう、誰が確認するまでもなく。
「conclusion(決着)!!」
赤目の試合終了の言葉すら、余分なものだった。
カリュウは、負けたのだ。
続く