ヨシエさんを迎えに行くために、私は選手の控え室まで来ていた。
普通は、十位以内の選手が使う場所なのだが、正規のマスカの選手である私は、そこに入る許可を持っている。
当然、来栖川綾香も入れるのだが、「別にさっきの相手ぐらいに勝つのは当然」と言い放って、来なかった。
まあ、それはいい、と私は思った。浩之先輩の近くに来栖川綾香がいるのは気にくわないが、私と来栖川綾香の二人きり、というのはもっとぞっとしない。あんな人間と二人きりになったら、影に連れて行かれて、殺される可能性すら否定できない。
私は、頭を振って意識を入れ替えた。今は、それよりもヨシエさんのことだった。
マスカには、それ専用の医者がいて、あのおかしいナース服の男達に連れていかれた選手は、手厚く治療されるのだ。
カリュウは、タンカで運ばれたが、ヨシエさんは自分の足で試合場を降りた。おそらくは、少し手当を受ければ、すぐに帰れるはずだ。
あの、カリュウが、ヨシエさんの前には、倒れた。
私は、自分が思うよりも、それにショックを受けていた。
マスカを長く見てきたから、予想と同じ結果になったとは言え、それでもマスカの選手が負けたことが、ひっかかると言うのだろうか?
そう、カリュウは三位だった。それは、マスカの選手の実力としては、飛び抜けている選手の一人、ということだ。
後二人を倒せるか、という部分に対しては、正直無理だろうと思うが、それはあくまで、一位、二位が例外なだけで、それを除けば、つまりマスカで一番強いのだ。
マスカで、例外を除けば一番強い選手が、マスカの選手でない、それも少女に負けた。
ヨシエさんをよく知る私でもショックがあるのだ。姉達も、かなりショックを受けていた。
カリュウは、長い間マスカで戦って来た選手で、勝ったり負けたりを繰り返して来た。だから、今回の負けだって、珍しいものではないのだ。
それでも、私もショックを感じている。それだけ、この試合の意味は、大きかったということだ。
マスカレイドという、まともではないが、それでも自分が一番強いと思って来た若者が集まって出来た、しかし、だからこそ実力主義の世界。
しかし、その鉄壁と思われた壁も、残すは、後二人。もう、マスカの中でも例外、他と一緒に考えるな、と言われる、二人。
その二人は、もうマスカレイドの選手であって、マスカレイドの選手ではない。あの二人が出なくてはいけなくなった時点で、つまり、カリュウが負けた時点で。
……ああ、そうか、マスカレイドは、負けたのだ。
それが、自分が一番ショックを受けていることなのに気付いた私は、歩みを止めた。犯罪に近い行為でも、それに多くの若者達が青春をかけてきた、私だって例外ではない、のに、それが負けたのだ。
ふいに、私は人の気配と、話し声に気付いた。
「で、話って?」
それは、ヨシエさんの声だった。
私は、別に隠れるつもりはなかったのだが、そっと、声のする方に近付く。不用心にも、いや、ここに用心の必要もないだろうが、扉が開いていて、中を覗くと丁度、二人は背を向けていた。
何故、自分が隠れたのかすら、私にはわからなかったが、しかし、一度隠れて見てしまえば、後は惰性のように、それを続ける。
「……」
無言のカリュウは、椅子に腰掛けていた。というよりも、ダメージがまだ残っていて、立ったままではふらつくからなのではないだろうか?
反対に、ヨシエさんは仁王立ちして、カリュウを上から見下ろしているようだった。
カリュウもヨシエさんも、こちらに背を向けるような位置だったので、二人の表情は見えない。
しかし、勝った人間と、負けた人間、この二人が、他に誰もいない部屋で会っているのは、正直まずいのでは、と思った。
もっとも、危険なのはヨシエさんに、カリュウを殺す気があったときだけだ。ここに入れる人間は限られているし、カリュウは、おそらくダメージでろくに戦うことなど出来ない。
というよりも、さっきKOされたカリュウが、何でここにいるのだろうか、とその方が疑問に思った。
ヨシエさんの拳を受けてKOされたのだ。素直に医者にかかって、全治何週間とか言われておくべきだ、と思うのだが。
さきほど、ヨシエさんが話は何か聞いたということは、つまり、この状況に持って行ったのは、カリュウの方になる。
正直、カリュウのことは嫌いなので、この状況を、私は快く歓迎は出来ない。今のカリュウなら、私でも倒せそうなので、相手がヨシエさんでなければ、こっちから出て行って蹴っているところだ。
もっとも、ヨシエさん相手だからこそ、私も嫌なのだろうけれど。
「……」
カリュウは、まだ無言だ。一応、意識はあるようで、視線はヨシエさんの方に向いているようだが、おそらくは、にらみつけているのだろう。
今、カリュウへの生死与奪権がヨシエさんにあるのを、カリュウは気付いていないのだろうか? もしそうなら、ダメージの所為だったとしても、バカな話だ。
しかし、無言のカリュウに、ヨシエさんは別に不快になったりはしていなさそうだった。まあ、すでに倒した相手なので、余裕があるのだろう。
そう思って、私は、ふいにそれを思い出した。
あれ、そう言えば、カリュウにこだわっていたのは、ヨシエさんであって、何でカリュウの方から話があるって?
その疑問は、それ以上深く考える時間を与えられなかった。
ゴンッ
「あでっ!!」
ヨシエさんの手加減に手加減を重ねたのは分かるが、それでも痛いだろうゲンコツが、カリュウの頭に落ちた。
というか、さすがにさっきKOを受けた人間にする仕打ちではない。相手がカリュウでなければ、私ですら突っ込んでいた場面だ。
「黙ってないで、さっさとその面白いマスク取りな」
え?
私は、その言葉に驚く。
マスカレイドの選手は、二種類に分かれる。
マスカレイドのマスクは、言わばユニフォームみたいなもので、それで選手を分かり易くしているのだ。
だから、マスカの中には、ギザギザのように、まったく正体を隠さないのに、マスクを着用している人間もけっこういる。私も、チームに属している以上、顔を隠す、という点においては、あまり役にたたない。
しかし、カリュウは、正体を隠す為にマスクをつけている。いや、ただ今まで外さなかっただけで、隠す必要があるのかどうかはわからないが、正体を隠したキャラ、というのは事実だ。
マスカでは、おそらくは、最大の不文律。顔を隠した相手のマスクは、故意にはがしてはならない。
あの性格の悪いアリゲーターですら、その機会があっても、正体を隠した相手のマスクを外そうとしたことはないのだ。
ヨシエさんはマスカレイドの選手ではないから、それを知らなくても不思議ではないが、さすがに、その仕打ちは酷い。
だが、そこでカリュウから返って来た言葉に、私は固まった。
「ったく、人をぽんぽん殴るなよな、鬼好恵」
友達に話しかけるように、カリュウはヨシエさんの名前を口にした。今までそんなカリュウの声は聞いたことがないほど、親しみを込めて、そして、軽薄な口調で。
カリュウは、何の躊躇もなく、自分のマスクに手をかけて。
マスカレイドが始まって、ずっと秘密であったそれを、あっさりと脱いだ。
いや、もう顔を見るまでもないのだ。声だけで、十分に私は気付いてしまった。こちらからは顔が見えないが、そんなもの、何の邪魔にもならない。
まさか。
そう、その、まさか、だった。
そこには、私の嫌いな男が、いた。
続く