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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(256)

 

 つい一時間ほど前に、マスカレイドの三位を倒し、さらにその正体がよく知っている人間で、おまけに告白もされたというのに、平然とした顔で、坂下は皆と歩いていた。

 レイカ達のいつものメンバーに、葵を加えた、ちょっと珍しい組み合わせだ。ランは、ランニングをして帰ると言って、別れている。

 あの態度を見ると、さっきのこと、見られたかな。

 坂下は、それに気付いていた。

 殺気のない人間が近くで隠れていても気付きはしないが、自分が皆の場所まで戻って来たときにランがそこにおらず、後から、選手の控え室の方から出て来たこと、そしてランの動揺している様子から推測することは難しくない。

 ただ、ランの様子は坂下のことを気にしている様子ではなかったので、そこが少し心配ではあるが、一人で帰るというものを、無理矢理一緒に帰ろうと言うほど、坂下は相手の気持ちが分からない人間ではない。

 しかし、自分がここまで動じない人間だ、というのを、坂下は初めて知った。

 御木本は、坂下にとっては仲の良い男友達であり、最近は浩之も同じ位置にいるが、一番親しい、と言ってもいい位置にいた。

 それから、いきなり告白されても、坂下はあまり動揺していない。いや、告白されたからこそ、動揺していない、とも言える。

 御木本には悪いと思ってはいるが、坂下としては、告白がどうか、というよりも、御木本が坂下を目標としてくれたことが嬉しかった。その理由が男の意地、であったとしてもだ。

 だからこそ、こんなに落ち着いて入れるとも言える。

 カリュウの正体など、最初から驚くに値しないとすら思っている。告白に比べれば大したことではないし、何より坂下が目標であった、ということに比べれば、議題にすら上げる必要がない。

 それで、坂下の中ではすとんと腑に落ちたのだろう。その場面をランに見られた、と思っても、まったく慌てることがない。せいぜい、盗み見とは、趣味が良くないだろう、と思うぐらいだ。

 ただ、ランは今、微妙な状態であるから、そういうことを見せるのはあまり良くはない気もしていた。浩之にべったりで、綾香と張り合おうとすらする勢いなのだ。

 正直、綾香に、色々な意味でランが勝てるとは、坂下は思っていない。男女の仲は勝ち負けではないかもしれないが、しかし、難しいと思うのだ。

 結果、御木本のように相手に断られるのは、問題ないとすら坂下は思っていた。男女間というものは、それはそれは難解なもので、こじれる可能性は高いのだ。

 そういう意味では、坂下だってそんなに楽観できる状況ではないことを、当の坂下は考えていない。断られたとは言え、いや、断られたこそ、御木本は坂下に告白してしまったのだから、次に会うときは、二人の位置は変化しているかもしれない。

 そうやって、何人もの男女の仲が悪くなって行ったことを、坂下は知っていても、自分がそうなるとは思っていなかった。

 甘い、と言ってしまえばそれまでだ。しかし、坂下は万能ではない。ランや葵などは、かなり坂下のことをかいかぶっているようだが、坂下は自分の程度を知っていた。

 綾香のように、化け物じみた能力がないことを、もう何年もかけて理解させられているのだ。

 しかし、それでも、坂下の中で、空手だけは負けない、という気持ちは消えていない。綾香に何度負けてさえ、それは消えていない。

 ある意味、御木本の男の意地など、坂下から見ればまだまだ甘いものなのかもしれない。

 もっと厳しい世界、綾香の強さ、という冗談にならないものを目の前にして、坂下の意地は、まだ折れていないのだ。

 そして、それは徐々に結果を出し始めている。

 手始めに、マスカレイドの三位、カリュウをKOした。一応、坂下にしてみれば、違和感の正体もはっきりして、これでマスカレイドで戦う理由はなくなった、はずだった。

 しかし、坂下になかろうとも、坂下の意地は芽吹き始めて、結果を出してしまったのだ。その結果が、また違うものを生むのは、致し方ないこと。

 何かを感じたのだろう、葵が半身で構えた。

 そういうところを見ると、やはり葵の才能にも負けている、と坂下は痛感するのだ。一瞬にも満たない時間だが、葵の方が反応が早かった。結局、それの積み重ねが強さなのだ。

 いちいち、そういう細かいところがひっかかるのも、まだ坂下が意地を捨てていない証明のようなものだ。

 何に対してなのか、坂下は大きくため息をついてから、しかし構えはしなかった。気付いてはいたが、そもそも来ると予測していたから、驚く必要がなかった、というだけなのだが。

「何か様かい、赤目?」

 すっ、と音もなく、路地裏の暗がりから現れたのは、マスカレイドのプロデューサーにしてコーディネイター、赤目だった。葵が構えを取ったのも、その不審な気配を感じたからだった。

「どうも、坂下さん。今日は素晴らしい試合でした」

 別に必要もなかろうに、わざわざ前置きを入れる。そもそも姿自体がうさんくさいので、その言葉も本気で言っているようには見えなかった。

 だいたい、マスカレイドの選手に有利なフィールドを選んでいるのは赤目なのだ。それをことごとく破っている坂下と綾香だが、それはあくまで二人が強かったからに過ぎない。

 そんな不利で文句を言うほど坂下は細かくないが、相手側を贔屓されるというのは、あまり気分の良いものではない。

「試合結果にいちゃもんでもつけに来たのかい?」

 つまり、坂下としては赤目に礼儀正しく接する必要はまったくなかったし、坂下もその気はなかった。

「いえ、勝敗に文句をつける気はないですよ。まあ、まさか、三位までも負けるとは、私も思っていませんでしたがね」

 その真意はどうだろう? と坂下は疑問に思っていた。

 来栖川綾香というビックネームは露出も多く、ある程度の強さの基準は見えていたような気もする。

 もちろん、見るとやるとでは大違いだし、そもそも露出した試合では、今の綾香の能力を全て見られる訳ではないので、役にたたないということも言える。この一年で、綾香はさらに成長しているのだし、赤目の想像を超える可能性は高い。

 だが、マスカレイドの人間が全員負ける覚悟は、綾香相手には必要なのだ。それが、この男には本当に見えていなかったのか、坂下には分からなかった。

 もっとも、坂下本人のことを言えば、まず間違いなく、赤目は予想外だった、と言い切れるのだが。

 露出もなく、綾香の知り合いというだけで、無理矢理坂下が試合をしてくれとねじ込んだようなものだ。ある程度目をつけられていた浩之や葵がいたからこそ、それも成立したのかもしれないが、今考えてみれば、いきなり十位レベルを当てるのは、坂下をつぶすつもりだったとしか思えないところはある。

 それが、今はマスカレイドの生え抜き、三位のカリュウすら、その無名の女に倒された。顔には作り物めいた笑顔を浮かべているが、心の奥はいかばかりのものだろう。

「それで、本題に入りたいのですが。坂下さんは、これでマスカレイドの試合を終わるつもりですか?」

「ああ、そのことね」

 言われてみれば、それは坂下の失念だった。一番最初に、カリュウとやらせろと言ってマスカレイドに参戦したのだ。それが済んだのだから、次の試合を考える必要は、実際ないのだ。

「私の方としては」

 坂下が何か言う前に、赤目の方がしゃべり出す。言わずにはおれない、という、多少なりとも感情が伺える、珍しい光景だった。

「三位を倒されたまま、坂下さんに逃げられるのは、マスカレイドとして許せませんがね」

 もっともな意見である。一方的に倒されて、一方的に逃げられたのでは、マスカレイドとしては立つ瀬がない。

 それを聞いて、少し坂下の中で悪戯心が生まれる。

「もし、もうマスカレイドでは戦わない、と言ったら、どうなる?」

 赤目の反応は、早かった。

「力ずくで」

 会話以上に、赤目の殺気を感じたのだろう、葵が、一瞬身体を緊張させる。今何かが不意に出てくれば、おそらくは葵の必殺の蹴りを喰らうことになるだろう。

 そこかしこに隠れている人間がいるのに、すでに坂下も気付いていたが、相手の身の安全の為に、出て来ないことを祈るばかりだった。

 だが、葵と違い、坂下は危機感を覚えなかった。赤目が、坂下に向かって明らかな敵意を放っていると分かっていてもだ。

 マスカレイドは、制裁において、手加減というものをしない。それは、前のアリゲーターのことを引き合いに出せばすぐに分かることだ。

 その暴力が、もし坂下に向くようなことがあれば。

「ふ、ふふふふふっ」

 しかし、坂下は、我慢できずに、笑い出していた。おかしさを、こらえきれないように。

「ヨシエ?」

「好恵さん?」

 レイカや葵が、戸惑った声で坂下に話しかけるが、坂下は答えない。笑いも止めない。

 次の瞬間、赤目の、そしてそこかしこに隠れている人間からも放たれている殺気が、一気に吹き払われた。

 より強い、坂下の殺気によって。

「私と、私と同じぐらい強い葵がいるこの場面で、暴力が通用すると思うの?」

 暴力は、より強い暴力に負ける。単純な理論。普通ならば、暴力で対抗するべきではない、という理論のはず。

 しかし、坂下の中にあるものは限りなく戦力であり、それは暴力と言い換えても通用するだけの強さを持っていた。

 多少の人数を集めたところで、今の二人で負けることは考えられない。それこそ、最低五位以内の人間を二人以上は集めないと無理だろう。

 強者達は、強さに比例して独特な性格をしている。制裁ならともかく、こんな私闘とも取れる戦いに出てくるとは、とても思えない。

 坂下の放つ殺気に皆気押されているのが良い証拠だった。

 戦力として、坂下はマスカレイドを恐れる必要はなかった。少なくとも、この場面に関しては、勝つのは坂下の方なのだ。

 そして何より。

「心配しなくても、私は私の理由で、まだマスカレイドで戦わせてもらうつもりだから」

 坂下の同意、それを赤目の交渉の結果勝ち取ったもの、だとは誰も思わなかっただろう。

 

続く

 

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