作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(259)

 

 腕を身体に折りたたんで、腰を丸めた浩之は、細身だったにもかかわらず、相手に迫ってくるような肉厚を感じさせる。

 いかに細身とは言え、今までの練習が絞り込まれた筋肉をつけ、それが結果として出た、言わば浩之の努力の成果だった。

 外見では判断出来ないとは言え、相手に対するプレッシャーはやはり重要である。ついこの間までは素人だった浩之は、すでに十分な雰囲気をその身に宿していた。

 一瞬、浩之の右の腕が動いたように見えた。しかし、それは実際に相手を攻撃する為ではない、フェイントの動き。

 次の瞬間には、浩之の身体は、忽然と姿を消す。対峙している者から見れば、消えたとしか思えない動き。

 が、それは本当に消えた訳ではもちろんない。上に相手の神経を集中させ、自分は足からすべるように相手との距離を稼ぎ、うつぶせにその場に倒れ込むのだ。

 シュパッ!

 倒れ込んだ瞬間、相手の足の小指目がけて、地面と水平で、かつ距離が5センチも離れていない水平蹴りが、空を切る。

 非常に不安定な体勢からも、風を切る音がはっきりと聞こえるスピードを出すのは、まさに驚異としか言い様がないだろう。

 浩之は蹴りの勢いを利用して素早く立ち上がり、隙を見せない。

「武原流、隠雪」

 パチパチと、二人の拍手が来る。

「格好いいです、浩之さん。まるで映画を見てるような動きですね」

 初鹿は無邪気に、浩之の見た目の凄い技に、惜しみない拍手を送っている。

「私も、あんな体勢からは出せません」

 方や、ランの方は目がキラキラしており、すでに盲信、と言ったところだ。鈍感な浩之でなければ誤解しているところである。というか気付け。

「や、どもども。まあ、技の名前を言う必要はまったくないんだけどな」

 浩之は照れながらも、まんざらでもない顔をしている。

 この技は、武器を持った相手と戦う方法として、雄三が手慰みに教えてくれた技だった。もちろん、出来るまで何度も練習させられているし、まだ自分のものになったとは言えないレベルで、こうやって人に見せるぐらいしか役に立つことはない。

 身体を小さくして、相手に自分の部位を小さく見せる。そこから、腕で上への攻撃を見せることにより、視野は狭いままで、一瞬、視界は上に向く。その視野の死角に、身体を滑り込ませる技だ。

 本当は、この一撃で前屈みになった相手へ、さらにあそこから身体を回転させて、踵蹴りを入れるはずなのだ。武器が邪魔ならば、もう一度、今度は膝を狙って踵が繰り出される。

 一応、形ぐらいは出来るが、浩之は見せないことを選んだ。誰にでも見せていい技ではないと思ったからだ。いくら雄三が、基本的にどんな技も人に見せるのは問題がない、と言っても、浩之の方が躊躇してしまう。

 それに、ランなどは、この技が使えるかどうか、自分で試してしまうのでは、という気持ちもあった。

 正直、浩之はこんな技で武器に対抗できるなど思っていない。雄三だって思っていないからこそ、手慰みと言ったのだと思っている。

 もちろん、武器相手に、下からの攻撃は悪くない。そういう意味では、相手をフェイントでふっておいて下を狙うのは、悪くはない。

 だが、所詮それまでの技だ。綾香なら、それこそローキック一発で解決するような技でしかないのだ。

 ただ、足から地面を滑るように近付き、地面を這うように蹴り足が動く様は、なかなか見ごたえがあるので、本当に浩之としても手慰みのつもりで披露したのだ。

 最低、地面すれすれの水平蹴りぐらいならば、ランも大して凄い技だとは思わないと思って。

 ただ、その点に関しては浩之は間違っている。今の浩之のやることなら、ランは大概凄いことだと思ってしまうことを、当の浩之は気付いていないのだ。

「まあ、曲芸だな。大道芸かダンスで食っていけるかもしれないな」

「浩之さんの運動神経なら、ダンスもいいかもしれませんね」

 初鹿の言葉に、ランも頷くが、しかし、すぐにランは顔をしかめる。

「でも、浩之先輩は、運動神経はいいですけど、やはり格闘技にこそ、才能があると思います」

「やー、どうだろうなあ?」

「他も凄いと思いますが、格闘技は別格です」

 煮え切らない浩之に業を煮やしたのか、ランは手放しで浩之の才能を別格とまで言い切った。浩之が困った顔をしたのを見かねたのか、初鹿が助け船を出す。

「ふふふ、麗しい師弟愛? ですね」

「なっ……初鹿さん、やめて下さい。そんなんじゃあ……」

 ランが顔を真っ赤にして初鹿に反論している。片方を助けるために片方を溺れさせる初鹿の選択はいかがなものだろう。

 しかし、浩之は、ランが初鹿にからかわれているなあ、とぐらいしか思わなかった。

 そのかわりに、少しだけ思いに沈む。

「……俺なんて、全然だ」

 浩之の前にある「才能」というものは、どうやって低く見積もっても、浩之が届くものではない。本当の、「才」を目の前にすれば、眠れる獅子など、子猫みたいなものだ。

 その一瞬で、場の雰囲気が変わる。それは、浩之が綾香のことを考えたから、だけではなさそうだった。

「それで、ランに言わなくちゃいけないんだけどさ」

 言い辛そうに、浩之は口を開く。

 そう言われれば、ランは緊張せずにはおれなかった。何より、浩之の表情を見る限り、あまり良いことのようには思えなかった。

 ランは、ちらりと横を見る。初鹿は、ランに見られたことには気付いただろうに、何の反応もせず、やわらかい笑顔を崩さない。

「夏休みが始まったら、ここには来れないと思うんだ」

「……え?」

 それは、浩之の立場から考えれば、ごく自然な流れ、と言っても差し支えない内容だった。

「一応、エクストリームの端っこには引っかかったけど、このままじゃ本戦だと苦戦すら出来そうにないから、夏休みはずっと合宿で、夜もここに来れなくなると思うんだ」

「そ、そうですか。でも、そうですよね、エクストリームは、厳しそうですし」

 ランは、一応は冷静に受け答えしているようにも見えるが、しかし、声にまったく抑揚がなかった。それを、浩之は怒っているのだろう、と勝手に解釈する。

 実情はまったく違うのだが、鈍感な浩之が、怒っていると誤解するだけでも、よくやったものだと言わざるを得ないだろう。ただし、まったく実利はないが。

「ほんとに、悪い。でもさ、俺も、勝ちたいんだよ」

「ということは、私などはまったく接点が無くなりますね。それは、寂しいです」

 初鹿は、本当に寂しいのか、とりあえず表情は寂しそうになり、言っていることも残念がっているように聞こえるが、今のランには、作り物めいて聞こえた。

「いや、エクストリームの本戦が終われば、また遊びにでも行けると思うんだけどさ。エクストリームが終わるまで、秋は学校も自主休校にするつもりだし」

 それは、すでに前から決めていたことだった。一ヶ月程度ならば、何とか出席日数も足りるだろうし、足りない分は補習をしてもらうことで、すでに先生に掛け合っていた。

 テレビにも映る有名な大会、ということで、案外あっさりと認可は下りた。それに、超のつく放任主義の両親を説得するなど、赤子の手をひねるようなものだった。

 何事にもそこそこでやれるし、そこそこしかしない浩之だったが、しかし、今回だけは本気だった。だから、本気で動いていた。

 今ですら、本当ならば学校を休んで練習に明け暮れたいのだ。しかし、さすがに学校の許可は出なかったし、浩之自身も、夏休みまでは、と考えていた。

 まるで、急いて思い出を作るかのような、厳しい練習はしているとは言え、空白にも近い日々。

 綾香は、そんな浩之の気持ちを、少しは気付いているのか、忙しい中、それでも時間を作ろうとしている。時間がないのは綾香も同じ。いかな最強と言われたエクストリームチャンプでも、厳しい練習なしでは、強くはなれないのだから。

 だから、言ってしまえば、ランも初鹿も、浩之にとっては切り捨てていく人間なのだ。それは、怒られても仕方ない、と浩之は思っていた。

 しかし、ランは、浩之の予想とは違って、まったく怒ってなどいなかった。

 数秒、黙っていた後は、前までは絶対に見せなかったような、かわいらしい笑顔を浩之に向ける。

「浩之先輩、がんばって下さい。私、応援していますから」

 端から見れば、痛々しいぐらいの笑顔で、ランは浩之にエールを送ったのだった。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む