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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(260)

 

 浩之先輩が、今どういう位置にいるのかなんて、私はよく分かっていたはずなのに。

「夏休みが始まったら、ここには来れないと思うんだ」

「……え?」

 その言葉を聞いたとき、私は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。

 いや、多少なりとも状況を理解しているからこそ、私はその言葉の意味を一瞬で理解して、衝撃を受けたのだ。

 いつかはそうなる、と思っていた。浩之先輩と私の関係など、そもそも先輩後輩の関係ですらなく、酷く薄いものなのだ。いつ切れてもおかしくなかった。

 そもそも、ここの公園が、浩之先輩のランニングの通路だっただけなのだ。部活という関係もないし、そもそも個人的に知り合う要素は、こちらがケンカを売った、という部分でしかない。

 浩之先輩の状況を考えれば、むしろよくこんなにも長くつきあってくれた、と感謝の言葉を述べなければならないはずだ。

 エクストリームという、大きな大会を前にして、私のような人間を相手している時間など、本当はないなずなのだ。

 泣いてしまうほど悔しいが、私は、浩之先輩に何かを与えたり出来ないのだから。

 しかも、浩之先輩はエクストリームの予選通過三位。決して楽な状況ではない。本戦では、浩之先輩に勝った相手よりも強い人間がごろごろいるはずなのだ。一秒だって、本当は無駄にしたくないはずだ。

 それを、練習に付き合うのならまだしも、私が勝ったお祝いに遊びに連れていってくれたり、正直、よくしてもらい過ぎていた。

 だから、浩之先輩がここに来られなくなっても、浩之先輩は何も後ろめたいことはないはずなのに、私に申し訳なさそうな顔をしている。

 そんな顔を、浩之先輩にさせることこそ、私の本意ではないし、前からこういうことはあるだろう、と予測していたのに。

 私は、一瞬では立ち直れないほどの衝撃を受けていた。

 浩之先輩が、ここに来なくなる、ということは、そのまま私と浩之先輩の縁がなくなる、ということなのに、今更気付いて、私はうろたえている。

 学校でたまたま会う、ということは学年が違うので、極端に少ないし、そもそもあまり浩之先輩に学校で付きまとうのは、まわりの友達の目もあって出来ない。

 しかし、夏休みに入ると、その少ない可能性すらなくなるのだ。秋になっても、学校を休校するのなら、なおさら。

 期間にすれば、3ヶ月程度、浩之先輩との縁が切れる。

 そう、僅か3ヶ月のはずだ。一年の4分の1ぐらいでしかない。浩之先輩にとってエクストリームがどれだけ重要なものかを考えれば、その程度は仕方ないと思える短さだ。

 でも、想像して思った。私は、そんな短い時間、浩之先輩に会えないことが、耐えきれない、と。

 自分でも笑ってしまう。これでは、単なる欲深い普通の女の子ではないか。

 むしろ、自分は淡泊な方なので、長距離恋愛でも平気だとすら思っていたのに、3ヶ月程度のことが我慢できないなんて、まったく思っていなかったのに。

 だが、いくら考えても無理だった。3ヶ月も浩之先輩がいない生活なんて、耐えきれない。長距離恋愛ならば、まだ連絡を取ることは出来るからいい。でも。

 ずきり、とカリュウの、あのいけ好かない御木本の声が、耳の裏に残っている。

 『ふられるとかふられないとかで、お前は、告白するしないを変えるのかよ?』

 あの言葉は聞いては駄目だった。私にとって、それは致死量だ。

 出来ることなら、あの場に戻って、しゃべる前に御木本の息の根を止めてやりたい、とすら思う。ダメージを追って、動くのもままならなかったはずのあのときなら、もしかすれば倒せたのだから。

 わかっては、いるのだ。あの言葉に関しては、御木本は悪くない。悪いのは、全部私だ。あのとき、調子に乗って御木本に話しかけたのも含めて。

 長距離恋愛ならば、我慢も出来たかもしれない。

 でも、これは、長距離恋愛ですらない。そもそも、まったくもって私の気持ちは、浩之先輩に知られていないのだから。

 恋愛ではあるのかもしれないが、それも、私の単なる片思いでしかないのだ。

 ずきり、と胸が痛む。

 その言葉は、考えるべきではなかったのだ。自分で自分に致命傷を与えるバカがどこにいるのだ。

 しかし、私は考えてしまったのだ。

 これは、片思い、だと。

 恋人同士なら、お互いが会うために努力もしよう。しかし、私の一方的な思いである以上、私がどんなに努力して浩之先輩と会おうとしても、浩之先輩は努力してくれない。

 してくれない、なんて言葉を使うべきではない。だって、浩之先輩は私に対してそういう気を使う必要は、まったくないのだから。

 慕ってくれている後輩、程度の立ち位置にしか、自分が立てていないことは、言われるまでもない、わかっているのだ。

 ああ、それでも、私には出来ない。

 御木本を殺してやりたい。あの言葉を聞かなければ、私は心の奥では気付いていても、気付かないふりができたはずなのに。

 私は、変える、当たり前だ。

 ふられると分かっていて告白するような神経、私は持っていない。

 玉砕覚悟なんて言葉、私はまったく理解出来ない。勝ってこそだ。負ける戦いなんてしたくない。それの何が悪い。

 私が告白したって、浩之先輩は私になびいてくれなんてしない。それどころか、今の関係すら壊れるかもしれない。

 あの鈍感な御木本には、その機微すら分かっていないのだ。おそらく、ヨシエさんが部活を休んだのだって、気まずさがあったのではないだろうか?

 いっそ壊れるぐらいなら、何もせずにそのままでいた方が。

 でも、浩之先輩は言うのだ。ここには来れなくなると。私とは、しばらく会えないと。

 駄々をこねて、浩之先輩に無視してでも来てもらう手も考えた。私がついて行くことだって、練習に集中するためには雑用を片付ける人手が必要だろうといういい訳すら考えた。

「……ぁ」

 二人は気付かなかったかもしれないが、喉の奥からは、色々と考えたいい訳を含めて、嫌ですという言葉がでかかったのだ。

 でも、ああ、私はやはりバカなのだ。

 申し訳なさそうにしている浩之先輩が、それでも学校を休んでまで練習をする、と、何かに向かって真っ直ぐ走っているのを見て、格好いいと思ってしまった。

 その足を、私の所為で止めたくない、と思ってしまったのだ。

 3ヶ月も会えないなんて絶対に我慢できない。そんなことがあったらどうにかなってしまいそうなのに。

 ひび割れそうな表情が作ったのは、何故か笑顔で。

「浩之先輩、がんばって下さい。私、応援していますから」

 喉から出たのは、あろうことか、私のことなんてまったく気にしないでいい、どころか、話題にすらふれなかった、応援の言葉。

 不器用不器用と思っていた私は、自分の本心を、こんなに完璧に隠すことが出来るなんて、思ってもいなかった。

 いや、違う。それも、本心の一つだったからだ。

 浩之先輩の邪魔をしたくない、浩之先輩にこのまま走って欲しい、と思うのは、まったくの私の本心だったから。

 でも、間違えてはいけない。いや、その間違いが正しかったら、いくらかは楽だったのに。

 私は、もう一つの本心を、押さえ切れた訳ではなかったのだ。

 離れたくない、という気持ちは、何があっても、押さえ切れそうになかったのだから。

 

続く

 

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