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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(262)

 

 すぐに返事をするでもないチェーンソーを、坂下は遠慮なく観察する。

 身体は……そんなに大きくないね。葵や綾香ほど非常識じゃないけど。

 葵のあの背や、綾香のあの身体の細さは、あれだけの実力を持っていると思うと非常識の部類に入るが、それに比べれば十分身体の容量はありそうだった。

 それでも、おそらくは坂下の方が大きい。身長はともかく、体格的に坂下の方が大きい、ということは、大柄とは決して言えないということだ。

 とは言え、一度見た斬撃、いや、鎖の一撃だから切れることはないので斬撃というのはまちがっているのかもしれないが、あれは驚異的なスピードを誇っていた。

 これは、葵や綾香達と一緒の人種だと思っていいかもね。

 筋力の量と強さは比例する。もちろん、一定以上ではそうとも言い切れないのだが、綾香達のそれは確実に足りていないはずのものなのだ。そういう、非常識な人間と同じ、と坂下はチェーンソーのことを判断した。

 外見で見れば、坂下に勝っていそうなのは、せいぜい胸の大きさぐらいで、それはそこはかとなく坂下も敗北感を感じなくもなかったが、大勢には影響ない。

 ちなみに、胸のことは置いておいて、坂下も十分非常識なのだが、それに関しては、残念ながらここにはつっこみを入れる人間がいない。

 しかし、何の為に来た?

 坂下が御木本を、カリュウを破ったことに関係している、と思っていいと思うのだが、そもそも、前に坂下の前に出てきたこと自体、何の理由で来たのかよく分からないのだ。

 もし、強い相手と戦いたいとか、そういう部類のどこかのバカなヤツと同じならば、最初に会ったときに、退いた意味が分からない。あのとき、一応他の人間もいたが、二人の戦いを邪魔する要因にはならなかったはずだ。

 そして、今回も分からない。薄暗いとは言え、時間が経てば少しずつ明るくなっていくし、夜と比べれば今でもかなり明るいのだ。

 暗がりでは見えなかったものが、今見れば分かる部分もある。そうまでして坂下の前に出てくる意味がわからない。

 いや、これが倒すつもり、というのならわかる。しかし、チェーンソーには殺気が決定的に足りてない。ここで決着をつけようと思っているとは、到底思えない。

「……に……」

「え?」

 返って来る訳がない、と思って話しかけていた坂下は、チェーンソーから声が発せられたので、驚いて一瞬、目の前にる相手の怖さを忘れた。

 しかし、その決定的な隙を、チェーンソーは役立てようとはしなかった。まあ、その隙を狙ったとしても、間合いがまだ遠いのもあるから、坂下はギリギリ避けていただろうが。

「何の為に」

 さっきはかすれて聞こえなかった声だったが、今度は、はっきり聞こえるようにチェーンソーは、言葉をはき出す。

 とは言え、それは明らかに機械か何かを通した声で、それで人の判断は出来ないものだった。おそらくはフルフェイスのヘルメットの中にそういうものが組み込まれているのだろうが、そこまでして、正体を隠したいものなのだろうか?

 女である以上、マスカレイドという危険な場所で正体がばれるのはまずい、と言えるのは、所詮は下の話だ。

 マスカレイド一位、チェーンソー。彼女が、もし美人でも、ちょっかいをかけようなどと誰が思うだろう?

 すでにチェーンソーの鎖を受けている坂下には分かる。それは、男の欲望などあっさりと食い破る破邪の鎖だ。もっとも、欲望だろうが誠意だろうが、まったく関係なく破壊する威力があるだけの話だが。

 あのしつこかったアリゲーターすら、彼女を目の前にして、まだ悪態をついていられるとは思えない。

 まあ、正体を隠すのは、身の危険というよりはアイドル視されてまわりがうっとおしい、という可能性の方が高いとも考えられる。坂下も、そういう経験が皆無ではないのでよく分かる。

「何の為に、まだマスカで戦う」

 作られた音で言われた言葉に、すぐに答えなかったのは、間を持たせた為ではない。坂下は、しばらく、素で言った意味がわからなかった。

 そして、坂下は思わず笑ってしまった。

「あはは、そんな、今更のこと、聞かれるとは思ってなかったよ」

 時期を逸した質問だった。それは、マスカに参戦したときに聞かれる話で、今はもうどっぷりとつかって、すでに終わりも近い状態で聞かれるべきものではなかった。

「強い相手が目の前にいれば、戦いたいと思うのは、別に不思議じゃないと思うけど? てか、あんたもその口じゃないと、そこには立ってないと思うけど」

 強い相手を倒して強さの証明をしたいのか、ただ強い相手と戦うのが楽しいのか、そういう細部の差はあれど、結局はそういう人間がそこに立つのだ。

 もっとも、坂下はいくら強い相手がいたとしても、エクストリームに出る気はない。それは、坂下の舞台ではないからだ。

 だから、坂下はけっこう驚いてもいるのだ。その点を、何も知らないはずのチェーンソーが突いてくる点に。

「もう、カリュウは、倒したはず」

 そう、坂下がマスカレイドに参戦したのは、カリュウという、何かひっかかりを持った相手に出会ったから。結局、カリュウの正体が御木本であり、それにひっかかりを感じていたのが分かったのだが。

 赤目がこのまま坂下が勝ち逃げするのでは、と危惧したように、すでに坂下はマスカレイドでしたいと思ったことをやり終えている。

 勝ち逃げ、という気が坂下にはまったくなくとも、マスカレイドから興味を無くして戦わなくなればまわりから見れば同じだ。

 坂下も考えているように、エクストリームは、坂下の舞台ではない。それと同じく、マスカレイドもまた、坂下の舞台ではないのだ。

 強い相手がいれば、そこがどこでも平気で参戦する綾香とは、坂下は違うのだ。もう、違和感の正体もわかり、マスカレイドで戦う理由もなくなった。

「私がこのままマスカレイドで戦うと、まずいことでもあるの?」

「ある」

 わざわざ姿をさらして言ってくるのだから、もちろん理由はあるのだろうが、はっきりとそう答えられるとは思っていなかった坂下は、あっけに取られた。

 なるほど、その理由がどういう理由であるにしろ、部外者の坂下の方が邪魔者であるのは、言われても仕方ないだろう。

 しかし、坂下は、坂下なりの理由で、自分の舞台でもない、マスカレイドで戦う決心をつけたのだ。

「理由は?」

「……」

 今度は、返事は返って来ない。

 まさか、坂下に勝てないから、などという話はないだろう。正直、実力は拮抗していると坂下はふんでいるのだ。終わったとき、どちらが立っているのか分からない、そういう部類の相手だと、はっきりと坂下は感じているのだから。

 これだけの相手を前にして、負けるかもしれないから戦いたくない、などという理由はないだろう。おそらくは、やむにやまれぬ事情があるのだろう、が。

「残念ながら、私もまだマスカレイドでの戦いを終わらせる気はないんだよね」

「……どうしても?」

「どうしても、何故なら」

 坂下は、チェーンソーに向かって、自分が戦う理由を、告げた。

 

続く

 

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