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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(264)

 

 一日だけ空手部を休んだ坂下だったが、二日目の放課後には、すでに部活に行こうとしていた。身体は完全に回復したとまでは言い辛いが、動く分には問題ないほど回復していたからだ。

 それに、ここで弛める訳にはいかなかった。一般人ならばそれでもいいが、坂下は高校生と言うよりは格闘家なのだ。一日の遅れも、今は痛い。

 授業が終わって、坂下はすぐに部活に向かおうとして、歩き出したのだが。

 しばらくも進まないうちに、ぴたりと歩みを止めた。

 ホールルームが早めに終わったので、今はまわりに他の生徒はいない。しかし、坂下は後ろに気配を感じて、大きくため息をついた。

「……人の後ろを追ってくるって、どういう趣味してるんだか」

 坂下がそれに気付けたのは、後ろから追って来る、しかし自分に追いついたりしない人間を気にしていたからだ。

「御木本、人の後ろおっかけて、何か用?」

 くるり、と振り返ったが、そこには誰もいない。ただし、その角に隠れているのはすでにばれていた。

 三秒ほど、そちらを坂下が睨んでいると、いつもの軽薄な笑みとは違った、いたずらのばれた子供のような笑みをした御木本が、隠れていた場所から出て来る。

「ちっ、殺気さえなけりゃ好恵は気付かないと思ったんだけどな」

「まあ、ランには気付けなかったけどね」

 うっ、と御木本は、それを聞いてうなる。

「……何だ、あの野郎、好恵にも言ったのか?」

「というか、私はランが御木本に覗いてたのを言った方がかなりびっくりだけどね。あんた、ランには嫌われてなかった?」

 坂下は、ランが覗いていたのでは、と予想はしていたが、それをランに直に言われた訳でもないし、実際に気付いていた訳でもない。しかし、御木本の言い方は、ランから直にそれを聞いたとしか思えない言葉だった。

 空手部では、ゴミのように扱われてはいるが、それでも慕われているのは確かなのだ。しかし、ランは完璧に御木本のことを嫌っていた。どういう理由なのかは分からないとも言えるし、ランの性格を考えれば、浩之になついたことの方が珍しいとも言える。

「……あの野郎、ふられた俺をきっちりなじっていきやがった」

「へえ、やるねえ、ランも」

 まあ、その方が御木本とランが仲良くしゃべっているよりも想像がしやすいので、坂下はすぐに納得したが、御木本は納得出来ないだろう、というのは無視だ。

 それに、御木本自身は気付いていないが、ちゃんと御木本はやりかえしているのだ。いや、わざとならば、そんなことを、御木本はしないのかもしれない。

「で、わざわざ隠れて、何か用?」

「用というか……」

 御木本は顔をそらすが、坂下はまっすぐに御木本を見ている。どう見ても心にやましいことがあるのは御木本の方に見える。もっとも、この場合、どちらもやましいことはないはずなのだが。

「……好恵、お前、一応気まずいとか思わないのかよ?」

「何で?」

 坂下は、はっきりと言い切った。まったく気まずいどころか、心に少しもひっかかることのない言葉だった。

「う……」

 いつもなら、軽薄ではあれこそすれ、自分に自信のある態度を取るはずの御木本だったが、今日は明らかにおかしかった。

 いや、この場合、おかしくない坂下の方が、一般的に言っておかしいのだろうが。

「あのなあ、ふられた男と、ふった女の会話か、今の?」

「何だ、御木本はそういう気まずい青春の1ページがしたかったの?」

「いや、したい訳じゃねえんだが……」

 坂下の気持ちがどこにあるかは置いておいて、御木本は坂下と気まずい会話をしたい訳ではなかった。出来ることなら、今まで通りのバカ話をしていたいし、もっと出来るのなら、さらに親しい間柄の話をしたい。

 御木本を見ていると忘れてしまいそうだが、御木本も単なる高校生なのだ。好きな女の子と気まずくなるのを喜ぶような特殊な趣味はない。多少M気はあるのかもしれないが。

 だが、こうも坂下がまったく気にした様子がないというのは、納得できないものがあるのだろう。一応、本気で告白したのだ。それを、まるでなかったように話をされると、御木本としても痛い。

 いや、なかったことにはされていない。それが証拠に、坂下はその話題にふれている。しかし、横から見ていてさえ、二人の間にそんなことがあったのに気付けないのでは、と思うほど坂下が堂々としているだけだ。

「はあ、この男女に、ウブな反応を求める俺が間違ってたか」

「その男女に惚れる人間の気もしれないけどね」

「ぬぐぐ……」

 いつもだいたい一方的に御木本がやられているのだが、今日のは酷い。御木本は、軽口すら言い返せないぐらいだ。

 しかし、ここまで坂下が気にしないとは、いくら坂下をよく分かっている御木本でも思っていなかったろう。

 いや、それどころか、それをネタに御木本をからかうなど、端にも想像できなかっただろう。これは本当に坂下か、と御木本が疑っても、何ら不思議がない。

 しかし、坂下としては、むしろ恥ずかしいのは御木本のことを友達と言ってしまったことだったりするのだ。相手がどう言おうと恥ずかしくはないが、自分の気持ちというのは、やはり恥ずかしいものなのだ。

 もっとも、そんな気持ちを悟らせるほど、坂下は甘くない。

 もしかすると、綾香よりも、恋愛事の方面ではよほど坂下の方がしっかりしているのかもしれない。それに坂下自身、気付けなかったのは不幸なのか幸いなのか。

「ほれ、そこでへこんでないで、部活行くよ。私は真面目に練習する男の方が好きなんだけど、どうする?」

「く、畜生、何か前よりもさらに立場が……」

 そう、御木本は間違っていた。坂下ならば、恋愛事には気を使いこそすれ、ここまではっきりと割り切る人間だとは思わなかったのだろう。

 いや、そもそも、こんな割り切りは、一般人から見たっておかしい。最低、彼氏が一度もいなかった、空手に青春をかけて来た女子高生の反応ではない。

 坂下が部活に行こうとする後から、御木本はしぶしぶついていく。これなら殴られて無理矢理連れて行かれる方が千倍ましだ、と本気で思うあたり、重傷なのかもしれない。色々と。

「あ、そうそう、言おうと思ってたんだけど」

「あ、何だ? もう今は何を言われても生気無くゆるせちまいそうだが」

 すでにKOされた後、という御木本は、いつもよりもさらにやる気なく答える。もうこれは生きる屍と同じだ。

「アリゲーター、覚えてる?」

「ああ、あのクソ野郎がどうした?」

 坂下に負けたはらいせに、人質を取って坂下をいたぶろうと「計画」した男だ。カリュウとリヴァイアサンと言う、マスカレイドでは考え得る限り最大級の戦力を持って、「計画」の咎で、見せしめも含めて完膚なきまでにカリュウに、御木本にやられた男だ。

 もちろん、御木本は手加減なくやった。殺してもいいとすら思う力を込めたのだ。結果、死ななかった、というだけである。

 しかし、クソ野郎ではあっても、すでに坂下に手負いにされていた上、アリゲーターの味方も戦うのをやめた圧倒的に不利な状況であったので、大して強くもなかった。

「あのとき、あんた、怒ってたろ? やらなくてもいいぐらい力込めてたろ?」

「……そりゃな。仮にも、俺の居場所に手ぇ出そうなんて考えたんだ。正直、あの程度で済ましたのはぬるいと思ってるぜ」

 何より、自分の好きな女に手を出そうとしたのだ。許せる訳がない。だが、御木本は思い出そうとしただけで吹き出る怒りを、胸に納める。

 正直、怒りなどという感情を、御木本は女の前では出したくなかった。これは、軽い性格の御木本の、しかし譲れない美学のようなものだ。それが好きな女の前なら、なおさらである。

「何だ、ちゃんと手加減しろってか?」

 確かに、一般的に言えばやりすぎだろう。例えそれが坂下達を守る為にやったことで、それを坂下から言われても、御木本は怒らない。むしろ、やはり坂下だ、と納得しただろう。

 しかし、坂下は御木本の予想を、今日はそれこそことごとく、裏切る。

「ありがとう、私達の為に怒ってくれて、うれしかったよ」

 ひまわりのような、などというかわいい表現は、さっぱり似合わない、男のような笑みで、坂下はお礼を言う。

「……」

 御木本、完全に硬直。

 固まった御木本を置いて、坂下は部活に向かう。足取りにはまだまだ余裕があった。恥ずかしがっている様子など、微塵もない。

 もしかすると、綾香などよりもよほど、坂下は小悪魔となる要素をかねそなえているのでは、と第三者がいたら思うのだろうが。

 御木本は、怒濤のように起きた出来事に頭がついていかず、それから数分間、きっちりかたまっていたので、その危険性を考える余裕がなかったことは。

 さて、不幸なのか、ある意味幸福なことなのか。

 

続く

 

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