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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(266)

 

 煌々と照らされたジム、空調は最低限しかつけられておらず、締め切られたそこは、初夏のこの時期、温度は不快を通り越して、危険な状態にまで上がっていた。

 その中を、二つの人影が、まるでその暑さをものともせずに激しく動いていた。

 片方は、小柄で、まるで小動物のように、片方は、大柄で、これは地球上のどの動物にも当てはまらないような巨体を俊敏に動かして、お互いにからみあう。

「ふんっ!!」

 ブワッ、と熱気が渦になって風を起こす。

 この暑い、というよりも脱水症状を起こしても不思議ではないような場所で、それでもタキシードを着た、巨体の初老の男から、気合いの声が入ったと思った瞬間、丸太のような脚が、小柄の少女の横を通過していた。

 前蹴り、と言っていいのだろうか? 普通、前蹴りは必殺にはなりえない技であり、牽制に使うのがせいぜいだが、その前蹴りは、目の前にある全てを粉砕する威力が、見ただけでもうかがい知れる。表現だけではない、まさに丸太が高速で突き出されているようなものだ。

 それを横に避けた少女は、地面を横走りするように動きながら、初老の男の横に回り込みながら、牽制の拳を打ち込むが、それは初老の男の、本当に初老なのか、その前に人間なのか、と疑いたくなってくる男の肩の筋肉によって、あっさりとはじかれる。

 が、それはあくまえで牽制であるし、もし初老の男が肩をすくめて防御をしなければ、相手の側頭部に入っていた拳だった。

 少女は、そのまままるでコーナーをまわるバイクのような動きを持って、相手の後ろに回り込む、と同時に、床に転がるようにして距離を取る。

 ドリュッ、とありえない音が響く。

 すでに回避のモーションに入った少女の頭のあった箇所を、初老の男の振り向きざまの裏拳が通過する。

 その拳が上を通過した瞬間、がりっ、と後転した少女の手が地面を掴んだ。

 ドンッ!!

 手をついた状態から、無理矢理回転を止め、身体のバネを使って、裏拳を放った後で隙だらけの男のあごを蹴り上げた、と思った。

 が、あごと脚の間に、初老の男の、やはり丸太のような太すぎる腕が入り込んでいて、少女の下からの蹴りを受け止めていた。

 少女が脚を引っ込めるよりも先に、初老の男の手が、少女の細い足首を掴んでいた。

 が、それも一瞬のこと、初老の男は手を放して、逆立ちというよりも斜め四十五度にかたむいた少女の身体に、横から蹴りを入れる。

 ゴッ!!

 少女の身体が、あっさりとはね飛ばされるが、しかし、はね飛ばされながらも、少女はうまくバランスを取って、器用に立ち上がる。

 蹴られる瞬間に、空いた脚で、相手の脚に乗って、衝撃を飛んで逃がしたのだ。

 それを言うのなら、初老の男がせっかくつかんだ足首を放したのは、空いたもう片方の少女のつま先が、男のつかんだ指を狙っていると気付いたからだ。

 手を放していなければ、初老の男の指は、少女の蹴りで粉砕されていただろうし、反対に、少女は脚が空かずに、初老の男の蹴りに乗ることも出来なかった。

 初老の男の身体は、しかし、動きを止めない。距離をつめるまでもない、一瞬で少女との距離を無くすと、回し蹴りが少女の身体を横薙ぎに狙う。

 少女は、ぺたっ、と股を開いて地面に腰を落とし、それの下をかいくぐる、と思った瞬間に、少女の得意とする後ろ回し蹴りが股を開いて動きの取れない少女の頭を狙って連続で繰り出される。

 ゴウッ!!

 それを、少女はさらに身体を床につけるようにして避ける。柔軟さととっさの判断とスピードがなければできない動きだった。

 しゅるり、とその動きが取れない状態であるはずの少女の身体が、床を這うように動く。

 シパッ!!

 やはり下から跳ね上げられた、肩が床についた状態でのサマーソルトを、初老の男がのけぞってよける、と同時に、少女はその勢いで立ち上がった。

 少女のそれは、大道芸、というよりも中国雑伎団の動きだ。まず、予想していないような動きで、人体の神秘を思い知らされる。

 それ以上に、初老の男の動きも異常だった。初老という年齢にもかかわらず、まったく動きに老いが感じられない、というより、その巨体で少女に追いつくほど機敏に動くのは、すでに地球外生物のようだった。それに、その巨体から繰り出される打撃は、身体の大きさ以上の迫力を持って繰り出される。

 言わずもがな、少女の方は来栖川綾香、そして初老の男の方は、セバスチャンだ。

 二人が戦っている場所は、綾香のトレーニングルーム。綾香がお金にまかせて作った、最新鋭のトレーニングマシーンどころかお風呂さえ完備した、いたせりつくせりの施設。

 しかし、その暑さは異常だった。もちろん、空調が壊れている訳ではない。空調から何から、設備は完璧なのだ。

 そう、この煌々とつけられた複数のスポットライトすら、綾香がわざわざ用意した設備の一つなのだ。

 エクストリームは、八百長はないが、あくまでショースポーツである。その理由は、テレビというメディアを使用するから、に尽きる。

 そして、テレビを入れるときは、素人が思う以上に証明が使われるのだ。何万人も観客がいるようなドームでやるときは、それこそ貧弱な人間なら立っているだけで熱中症になりかねないほどの照明がつけられる。

 倒れなくとも、その暑さで、スタミナを削られる選手は、思う以上に多い。

 だから、綾香はその過酷な状態をいつも演出しているのだ。しかも、たまに室温を零下にまで下げて練習することもある。

 綾香は、練習するならば、とことん効率の良い方法を取る。そして、綾香にとっての練習というのは、「経験」しておくことなのだ。

 極端な状況を幾度も経験しておくこと。そうやって、綾香は隙を無くしていくのだ。

 綾香もそうだが、それに付き合わされるセバスチャンも不幸だろう。ただでさえ暑苦しいのに、タキシード姿など、普通に死ぬつもりとしか考えられない。

 しかし、お互いに汗だくになりながらも、二人の動きは衰えない。すでに何度も繰り返した状況だ。いつものことに、いちいち何かを感じてはいられない。

 そう、残念ながら、綾香はすでに一つに特化して強くなる段階を超えてしまっている。またはもっともっと長期的に見たときの話になってしまう。

 邪魔なものを削り取って、競技用だけの強さで終わるには、綾香は強すぎるのだ。

 そして、どんなに特化しようとも、それを超える強さで戦えば、恐るるに足らない。まさに、綾香の練習はそういう「超えるもの」で成り立っている。

 しかし、こいつ、本気で戦っているの?

 綾香のパンチの連打を、セバスチャンはことごとく手で打ち落とす。もし、色気を出して蹴りを放って来たら、その脚を取ってころばせてやろうと思っているのに、そういうときに限って、出して来ない。せっかく、蹴りが出しやすい位置にいるというのに、まるで誘っているのに気付いているようだった。いや、実際気付いているのだろう。

 綾香のラビットパンチを封じるのに、一番効率が良いのは、リヴァイアサンのように近付くことではなく、セバスチャンのように、ある程度距離を取って、綾香の拳をことごとく打ち落とすことだ。

 結局、綾香の拳が肩の横以上後ろにいかない限り、ラビットパンチは完成しない。ただでさえ高い位置にあるセバスチャンの後頭部を取るのは難しいというのに、拳をことごとく打ち落とされたのでは、出せる訳がない。

 しかし、綾香のスピードを上げたパンチの連打を、全て手のひらで受ける、というのは、生半可な実力では不可能なのだ。それを出来ることこそ、セバスチャンが怖い理由だった。

 綾香の意識が、数瞬それる、そのときを狙っていたかのように、セバスチャンの拳が固められたのを感じた。

 やばっ

 と思った瞬間には、上からセバスチャンの岩のような拳が振り下ろされていた。

 一直線に打ち出される寺町の打ち下ろしとは違う、腰を軸に、回転するようにして振り下ろされるフックを、綾香は避けることもできずに、十字受けの上から、直撃される。

 ズンッ、と重いものが上に落ちてきた感触があり、綾香の身体が地面にぬいつけられる。しかし、力を抜けば、地面に叩き付けられていただろう。

 脚の止まった綾香に向かって、セバスチャンの空いた手が、真っ直ぐ突き出され、それに綾香はクロスカウンターを狙って拳を突き出す。

 お互いに、拳は空を切り、セバスチャンは巨体に似合わない動きでぶざまに、地面に転がった。

 そして、綾香と同じように器用に立ち上がる。

 両方の拳は空を切ったが、セバスチャンの後ろを取った綾香の拳は、ラビットパンチを狙おうとして、すぐに回避行動を取っていたセバスチャンを取り逃がしたのだ。

 やっぱり、簡単には一本取らせてくれないか。

「かわいげないわね」

「それはこちらの言葉ですぞ、綾香お嬢様」

 汗だくのくせにまだ余裕を保ったセバスチャンを見て、ふんっ、と綾香は鼻を鳴らす。

 ぺろっ、と綾香は唇についた汗をなめると、唯一本気の自分とスパーリングを行える、貴重な執事に向かって、走り込んだ。

 綾香の用意した施設よりも、ある意味貴重な人材は、それに、受けて答えるのだった。

 

続く

 

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