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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(267)

 

「あー、いい汗かいた」

 綾香は、ぴっと汗ではりついた髪をはじいた。綾香の髪は、手入れも良くされており、さらにもとからの髪質もあって綺麗だが、それでも汗を吸って顔にはりつくのは避けられない。

 長い髪は、邪魔になりこそすれ、格闘技の役にはたたないのだから、実際実用性だけ考えるのなら切った方がいいのだろうが、もちろん、綾香はそんな理由で切る気はなかった。

 もともと、髪の差など綾香にとってはないようなものだし、テレビに出るのなら、華があった方がいい。綾香の髪は、華の一つとしては十分な魅力を持っている自覚があった。

 まあ、浩之がショートの方が好きだとか言えば、考えないでもないけど。

 そんなことを考えながら、綾香はタオルで汗を拭く。もうクールダウンをした後はシャワーを浴びるのだから、必要ないと言う話もあるが、汗をかくのは気持ちいいとしても、そのまま放っておくのは気持ち悪い。それに、かかったことはないが、これで身体を冷やして風邪でもひいたらバカになってしまう。

 しかし、汗が冷えるとかそういう部分とはまったく関係ない、というかそれよりも先に何か考えることがあるだろうという初老の男が、タキシードのまま立っている。

「……セバスチャン、もういいから。あんたも着替えて来たら?」

 筋肉ムキムキの身体にタキシードという格好だけでもかなり暑そうなのに、さっきまでの綾香とのスパーリングという名の激しい戦いの後で、セバスチャンは汗をかきまくっている。

 すでに空調も元に戻して、スポットライトも消した後とは言え、いや、それで室温が下がったからこそ、セバスチャンの服は凄いことになっているはずだった。

 タキシードの上着で見えないが、ワイシャツは汗を吸ってそれは凄いことになっているだろう。見たくもないが。

「確かに、こう汗くさい姿でいるのも問題ですな」

「あー、それ以前に、気持ち悪いとかないの?」

「心頭滅却すれば火もまた涼し、ですからの」

 確かに、汗くさいのだろうが、今の綾香は同じようなものだし、何より、臭いはともかく、汗くさいというか暑苦しい姿はいつもなので、そちらは問題ないのか、いや、その前に、気持ち悪いのは精神修行でどうにかなるのか、などと色々疑問は感じたが。

「あー、まあいいや。どうせあとはクールダウンだけだし」

 綾香は置いてあったスポーツドリンクをちゅー、と軽く飲んで喉をうるおすと、そなえつけのランニングマシンに乗って、ボタンを操作する。

 綾香は、軽く走り出す。スタミナの鍛錬ではない、クールダウンのランニングだ。

 綾香のトップスピードの状態は、はっきり言って一般人とは違う。人間の部類に入れてもいいのかすら迷うぐらいの高スペックだ。それは、原付とF1カーとの差ぐらいある。

 だから、綾香にはクールダウンは必ず必要な行為だった。早くなりすぎた心肺機能と血流を、通常の状態にゆっくり戻してやらないと、身体に負担がかかるのだ。

 綾香の身体ならば、それにすら耐えられるだろうが、しかし、それで怪我でもしたら面白くない。それでなくとも、綾香ほどのスペックの高い身体は不具合を起こしやすいのだ。今までそれがなかったからと言って、次がないとは言い切れないのだから、注意するに越したことはない。

 その基準から言うと、さっきまであれだけ激しい動きをしていたはずのセバスチャンは、クールダウンも何もない。すでに汗もひいて、直立不動の姿勢で立っている。

「……ねえ、セバスチャンはクールダウンとかしないの?」

「いついかなるときも動けないと、護衛などという仕事は勤まりませんですからの」

 それは返答と考えていいのだろうか? つまりは、いらないと言っているのだろうが。

 年齢的に見ても、セバスチャンはいい年だ。すでに初老、老人と言える年齢なのだから、少しは身体のことを気にしてもいいものなのに。

 まあ、そういう気持ちで、ここまでその身体を維持していること自体、セバスチャンはおかしいんだけどね。

 綾香は、自分の異常さを棚にあげて、セバスチャンの異常さを考える。

 しかし、綾香がここまで強くなったのには、セバスチャンの存在は、大きい。

 綾香が空手を始めたのは、セバスチャンなどまったく関係ないところだったし、綾香も、セバスチャンがそんなに強いとは知らなかった。

 だが、綾香が強くなればなるほど、練習相手にも事欠くようになって来たのは事実で、そのときに目を付けたのが、セバスチャンだった。

 拳銃を持った相手に襲われてもそれを実際に素手で叩き伏せることの出来るセバスチャンは、綾香の知っている人間の中でも、1、2を争う強さを持っている。

 今でこそ、エクストリームのルールの中では遅れを取らないようになったが、今でも、セバスチャンが本気で戦っているのかどうかが綾香には判断つかない。

 それだけの相手が、綾香のスパーリングパートナーとしていつも使えるのだ。空手の道場に行かなくなっても、綾香は練習相手に困ることはなかった。

 たまに個人的な知り合いと練習をする以外は、綾香は人と練習する、ということをして来なかった。最近の、浩之や葵と一緒に練習していること自体が、綾香にしてみれば異常なのだ。

 ま、人と戦わないと手に入らないものもあるしね。

 そういう意味では、この頃はなかなか充実している。綾香をそれなりに満足させられる相手を、ことごとく撃破して来たのだから。

「それで、この後の予定ってどうなってたっけ?」

「パーティーが一つ残ってますな。あまりゆっくりしていられる時間ではないですの」

「移動にヘリ使っても?」

「もちろん、それも計算に入れてですじゃ」

「んー、面倒だけど、キャンセルって訳にはいかないわよねえ」

 キャンセルできる予定は、すでに削った後でくんでいるのだ。それもエクストリームの本戦の前までに時間を取る為に、かなり無理をして予定を組んである。

 それでも、毎日の練習を削る訳にもいかず、練習が終わった後にパーティーに出て、短い睡眠時間の後に学校に行く、ということも頻発している。授業中には堂々と居眠りしているので、そんなに身体には負担はかかっていないが、さすがに成績は落ちて来ている。

 いくら綾香でも、暗記教科は覚えないと点が取れない。授業中寝ていれば、点数が落ちるのも道理である。

 しかし、だからと言って学校を休む訳にもいかず、結局、削られているのは人との付き合いだ。友達にも、最近付き合いが悪いと言われている。

「はあ、学校は仕方ないけど、このパーティーとか何とかどうにかならないのかしらねえ?」

 暇な人間が多いのは分かったが、だったらわざわざ忙しい自分を巻き込むな、と綾香は思うのだ。もちろん、それをその場で口に出すようなことはないが。

「あー、浩之と遊びたいなあ」

 しかし、ここでは聞いているのはセバスチャンだけで、だから本音も出る。

「坊主も、遊ぶ暇などないと思うのですがのう」

「そりゃそうなんだけどね」

 しかし、浩之は自分が忙しいのもあるが、付き合いが少ないからと言って綾香に文句を言ったりしない。そういうところは非常におおらかで、綾香としてはむしろ腹が立つのだが、今はその性格が良い方向に働いてると言っていい。

 でなければ、そろそろ愛想をつかれても仕方ないぐらいだ。

 それでも、綾香は、全然関係のない時間を減らせない。マスカレイドでの試合など、特に減らしても問題のない時間なのだから、それを減らして、浩之と遊べばいいのに、それをしない。

 そして、その試合は近く、綾香は、それをけっこう楽しみにしているのだ。

 

続く

 

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