ヨシエさんの試合から、ほとんど時間を空けられずに、その試合は行われる。
相変わらず、こんな路地裏に、どこから人が集まったのかと言うぐらい、人が集まっている。前の試合も多かったけれど、今回は、それをさらに上回るかもしれない。
今までは、こんなに上位の選手の試合が頻繁に行われることはなかった。マスカは、普通に試合をするよりも怪我をしやすいのだ。一度戦えば、場合によっては何ヶ月も戦えない傷を負うことも少なくない。
そう、あまりにも期間が短すぎている。まるで、行き急ぐように、最近は上位の試合が目白押しだった。
その理由を作ったのは、今日二位と戦う、来栖川綾香と。
私の横にいるヨシエさんだ。
来栖川綾香は三人、ヨシエさんは二人、一桁台の選手を破っているのだ。九人しかいない一桁台の選手の、実に半分以上を打破している。
しかも、当然組まれたマスカの選手同士の試合もあり、今、マスカレイドの上位で生き残っているのは、わずか二人。
一位と二位。一度しか負けていない二位と、一度も負けていない一位。すでに、来栖川綾香とヨシエさんは、マスカの頂点に来ている。
赤目の考えることは、私にもわかる。二人とも、まったく無傷、と言う訳にはいかないのだ。試合と試合の期間を短くして、少しでもダメージを当てた状態で試合をさせたいのだろう。
しかし、それも無駄だと思う。少なくとも、ヨシエさんを見る限り、すでにカリュウの、御木本との試合のダメージを引きずっているようには見えないのだ。
あの、人間とも思えない来栖川綾香が、前の試合のダメージを残している、とはとても思えなかった。
私とて、マスカの選手の一人。二位と来栖川綾香の試合には、並々ならない興味がある。何より、二位ならば、あの来栖川綾香を倒してくれるのではないか、という淡い期待があるからだ。
しかし、私は、どこか漫然として観客席にいた。
私の横には、ヨシエさんと、浩之先輩がいる。他の知り合いはいない。ヨシエさんのときは、あれだけチケットを用意して来たというのに、今回は、ヨシエさんが二枚手に入れただけだったのだ。
チームのみんなは、私にそのチケットを優先的にくれた。マスカの選手である私になるだけ試合を見せてやりたいという気持ちは嘘ではないのだろうが、別にカリュウもいないし、そんなに興味もなかったのかもしれない。まあ、ゼロさんは非常に悔しがっていたが、私から無理矢理うばう、ということはしなかった。
だから、私は試合に集中しなければならないのだが、それが出来そうにない。ヨシエさんの試合でもそうだったのだ。しかも、今回はヨシエさんしか一緒にいない。一番危険な来栖川綾香は試合場で、こちらには手を出せない。
喜ぶべき状況なのだろう、とは思う。ヨシエさんが浩之先輩を狙っていないのは、盗み聞きというあまり良い趣味ではない方法で知ったので、今なら、私が浩之先輩を独占できるだろう。
しかし、私の気持ちは、沈んだままだった。
今日は会えた。しかし、夏休みになれば、普通に会うことも出来なくなるのだ。そう思うと、素直にこのときを喜ぶ気になれなかった。
……いや、本当は、それが一番の問題ではないことぐらい、私にだってわかっているのだけれど。
それを考えたくない私は、気を紛らわせるために、何でもいいから、話をふってみる。
「浩之先輩……」
「ん?」
思わず、私は浩之先輩の方に話をふったけれど、それが間違いだと、すぐに思った。私から会話をふって、楽しい話など、想像出来ない。そもそも、私が話せる話題など、極端に少ないのだ。
それに、もし話しかけるのなら、ヨシエさんの方にしておくべきなのだ。今浩之先輩に話しかけても、傷が大きくなるだけだというのに。
私の無意識は、私が思う以上に素直なのかもしれない。後のことを考えているとは、とても思えなかったけれど。
「……練習はいいんですか?」
何とか、私は無難な、面白みもない話をふることに成功した。
「ああ、いいってわけじゃないが、綾香の試合を見ない訳にもいかないしな」
参考には……まあならないかもしれないけどな、と浩之先輩は苦笑する。
話を聞く限りでは、浩之先輩は短時間で人の技を盗むらしい。ならば、来栖川綾香の試合を見るだけでも、私と違って、即足しになるものがあるのではないだろうか?
「綾香のは、参考にするには無茶過ぎるって」
私がその旨を聞いてみると、浩之先輩はあっさりと言い切った。
私から見ても、浩之先輩は雲の上の人なのに、その人がもっと高いと言う、あの来栖川綾香に、私は顔には出さずに嫉妬する。そう言ってもらえる、来栖川綾香に。
しかし、私の嫉妬など、おそらく来栖川綾香は気になどしないのだろう。私のことなど、一瞬で殺せる自信があるのだから。
ああ、駄目だ、と思った。どうしたところで、私の気持ちは沈む一方だった。せめて、試合でも始まれば、少しは気が紛れるかもしれないのに。
私のそんなかすかな希望をくんでくれたのか、それとも打ち砕くためなのか、照明が、いきなり落ちる。
すぐに、観客席は静寂につつまれた。それが、選手が入場してくる合図だとわかっていたから、慌てる者などいない。
その静寂を、いきなり、騒音にも似た音がかき消した。
静かな中に響いたそれは、一瞬、本当に雑音だったが、それはすぐに正しい音として、耳に入って来る。
街中を歩いたり、コンビニにでも入ればよくかかっている、今流行の女性ボーカルの、アップテンポな曲が、鳴り響いていた。
スポットライトが、高い金網でかこまれた花道に当たる。
明るい照明に照らされながら、来栖川綾香が、現れた。
一気に、観客のテンションが上がり、鳴り響く曲をかき消さんばかりに、歓声が上がる。
スポットライトに当たるのが、さも当然とばかりにさっそうと、長い黒髪をなびかせながら、どこか優雅に、金網の中を歩いて、試合場に向かう。
アップテンポの曲の中、颯爽と歩くその姿は、私ですら無意味に脈があがるのを感じた。
まさに、役者が違った。それはただ綺麗なだけの少女ではない。本当の、一握りしかなれないスターの華を持つ、本物の王女だった。
しかし、来栖川綾香のなめた格好に、私はすぐに我に返った。
あろうことか、来栖川綾香は制服を着ていた。ここらではお嬢様学校と有名な、寺女の制服だ。下にスパッツははいているだろうが、観客の、特に男達は喜ぶだろう。
そう、すでに、最初から来栖川綾香のファンだったかのように、観客達は来栖川綾香に声援を送る。外様の選手であるということなど、すでに意味をなしていないかのように。
それは、別にいい。来栖川綾香がいくらマスカの観客達に愛想を振りまこうと、私には関係ない。マスカの選手として、納得できない気持ちはあるが、我慢できない訳ではない。
しかし、来栖川綾香の、そのなめた真似だけは、許せそうになかった。
マスカの二位を相手するのに、あんな簡単につかめる服を着てくる、その神経。そう、絶対にわざとそうしている、その性格。
来栖川綾香は、マスカレイドを、なめているとしか私には思えなかったのだ。
私の怒りに、もしかしたらこんなに離れていても気付いているのでは、とすら思う来栖川綾香は、しかし、当然、私ではなく、そう、当然のように、一瞬浩之先輩に視線を送ってウインクすると、華麗に羽ばたくように、試合場に降り立つ。
もう、来栖川綾香を敵と思っているのは、ここには、私を含めても、おそらくは、二人しかいなかっただろう。
それほどに、あの人外は、すでにマスカレイドを飲み込んでいたのだ。
続く