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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(271)

 

 ガガンッ!!

 試合が始まった瞬間、マスカレッドの身体が、飛んでいた。

 綾香にではない、綾香の方向から、吹き飛ばされるように後ろに。

 オープニングヒットを奪ったのは、綾香の方だった。観客ですらいつ近付いたのか気付けなかったほどのスピードで前進して、あごと鳩尾に、左の拳が突き刺さったのだ。

 地面の上を、ごろごろと転がるマスカレッドだったが、しかし、ダメージはなかったのか、その勢いを使って、そのまま立ち上がる。

 オオオオォォォォォォォッ!!

 目にもとまらなかった綾香の一撃、いや、本当は二撃だったのだが、それに観客達はどれほどついていけたかはともかく、マスカレッドがあっさりと吹き飛ばされたことに喝采する。

 しかし、マスカレッドの急所に二発入れたはずの綾香の表情は、怪訝なものになっていた。

 地面に完全に足がついた状態の、スピードという威力を全て込めることに成功した、ジャブとは言え、必殺の威力を持つ二発だった。

 しかし、それで、相手はただ後ろに跳ね飛んだだけ。顔が完全に隠れているので、ダメージの方はうかがえないが、しかし、致命傷にはほど遠いだろう。

 硬い……それに、重い。

 綾香が拳に感じたのは、間違いなく金属を殴る感触だった。綾香の拳であれば、すぐにどうなるものではないが、それでも何発も打ち込めば、綾香の拳の方がどうにかなってしまうだろう。

 何を思って、あそこまで無防備に急所をさらけ出したかと思ったら。

 マスカレッドは、防具に絶対の自信があるということだ。人が着られるレベルであるから、衝撃自体は多少なりとも生身の方にも届いているだろうが、綾香をもってしても、それで相手を倒すよりも、綾香の拳がいってしまう方が早いだろう。

 それに、重さはこの際かなり邪魔になる。二発で相手を吹き飛ばしたとは言え、あそこまでクリーンヒットなら、普通は金網に叩き付けるほどは相手を吹き飛ばせているはずだった。

 あごを打ってのけぞったところを押したので、後ろに倒れるようになったが、そうでなければ、マスカレッドの身体はあそこまで動くまい。

 質量のあるものは衝撃を吸収し、殺す。衝撃がおそらく唯一ダメージを当てる方法なので、その方法すら防がれる、というのは、綾香としても酷くまずい。

 ……なるほど、だからの土の地面、か。

 硬めの地面は、綾香のスピードを殺すことはないが、それでも、コンクリートと比べれば、はるかに衝撃を殺す。

 あれだけの重さだ。動くだけでも身体に、特に膝や足首に負担をかけるだろう。

 土の地面は、それを緩和するし、硬い地面は、重い身体を動かすときに、足を取ったりしない。まさに、マスカレッドに合った試合場、ということだ。

 それに、それだけ重いのに、動きが緩慢なところは、まったくない。おそらくは、よほどその重さに合わせて練習したのだろうが、普通なら、それでもスピードが落ちるのは仕方のないはずだ。

 もっとも、まだマスカレッドは素早い動きを見せていない。スピードが殺されていないと判断したのは、あくまで、試合開始前の前転とさっきの立ち上がるスピードを見ていて判断したものだ。

 まあ、馬鹿正直に真正面から殴っても効果が薄いのは仕方ないか。

 クリーンヒットを奪ったはずなのに、それが効かなかった、となれば、精神的にダメージを受けても不思議ではない。

 おそらくは、それでマスカレッドは何度も試合を有利に運んでいるはずだ。まさに、打たれるための動きを、マスカレッドは熟知していた。

 しかし、綾香はその程度で精神的にダメージを受けたりしない。

 これぐらいのこと、相手の防具を考えれば不思議でも何でもない。今まで、防具の厚い相手と戦っていないとは言え、そんなこと、綾香にとってはハンデですらない。

 防具は、そもそも、使い場所にあった防具を使うはずだ。ならば、正面からの点の動きの多い打撃を守るためには、そこが狙ってくる急所を厚くしておけばいい。あごも、鳩尾も、その理論から言って、一番防御が厚い場所のはずなのだ。

 さらに言えば、相手が素手の可能性があることを考えるのなら、防具を金属にしておくだけで、相手が自滅する可能性すらある。

 守りを捨てて来る可能性は高いし、それはつまり攻撃に集中して動けるということで、そんな相手の攻撃を捌ききるのは、かなり難しい話なのだが。

 綾香にとっては、その程度の話、不利とすら思わなかった。

「マスカレッド、参る!!」

 わざわざそんなことを叫びながら、マスカレッドが綾香との距離をつめる。案の定、そのスピードは速い。

 速い、しかし、それはトップクラスでは、ない。

 ゴウッ!!

 質量とスピードが混ざり、威力から言えば、綾香にも匹敵するのでは、と思えるほどの右フックが風を切った。

 綾香は、それを流水に浮かぶ木の葉のように柔らかく避けると、がらあきの脇腹に拳を叩き込みながら、横をすり抜ける。

 横をすり抜けようとする綾香の頭を狙った回転式の肘を、綾香はやはりあっさりとかがんでよけながら、つま先をマスカレッドの足の甲に突き刺す。普通の試合では当然反則だが、入れば弱い足の甲の骨など簡単に折る威力がある。

 ぎんっ、と綾香のつま先は、あっさりと跳ね返されるのを感じながら、綾香は攻撃を続けることなく、マスカレッドから素早く離れる。

 マスカレッドは、右フックを避けられそれを追撃した左ひじをさらによけられた。綾香にはかすりさえしなかった。

 反対に、綾香のボディーブローはマスカレッドの脇腹に入り、さらに、逃げながら器用につま先を足の甲と言う急所に入れられた。

 だが、それでも、マスカレッドにはほとんどダメージがなさそうだった。

 綾香の方も、本気で必殺を狙った技ではないのは、確かだ。多少危険でも、それで倒す気ならば、足の甲にかかとかひじか膝を落としているはずなのだ。

 マスカレッドのスピードは、速い。しかし、それは綾香の見て来た最速のスピードではなかった。速い者は、まだまだ沢山いる。

 スピードだけ、そして打撃の威力だけの、どちらも単体で見るのならば、綾香が前回倒したリヴァイアサンの方が上だろう。

 質量はあろうとも、技はそれで完成するほど甘いものではない。とくに、リヴァイアサンなどは、単体を見れば、あの年で言えばほとんど極まった形だった。いや、それどころか、バリスタにもマスカレッドの動きは劣る。

 しかし、脇腹を突いても、他よりも比べれば薄い防具だが、そのかわり鍛えられた腹筋が、ダメージを殺したし、普通は狙われないはずの急所である足の甲は、かなり硬い防具で覆われていた。あれでは、ダメージはまったくなかったろう。

 防具が、実力を凌駕する、か。

 今まで、一度しか負けなかった、というのも頷ける。こと打撃において、マスカレッドを凌駕するのは、実力によっては可能だが、現実的に勝つのはほぼ不可能だろう。

 それを卑怯と言うかどうかは、この際関係ない。皆同じルールでやっているのだ。マスカレッドは、その点でズルはしていない。ルールを決めるときに発言権があったとしても、その後何年もあれば、それに対抗する方法など考えてついているはずだ。

 ただ、有利なルールだからマスカレッドが一度しか負けていない、などとは、綾香は考えていないのだ。

 目の前にいるバカな格好の男の実力は、今見たものが全てではない、と綾香は、理由がなくとも、確信しているのだ。

 でなければ、綾香にとって、楽しくないではないか。

 

続く

 

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