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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(272)

 

 綾香の必殺であるはずの攻撃が、ことごとくはじかれるのを見て、浩之は口惜しさを隠さなかった。

 鳩尾とあごへの二連打に、脇腹、そして素人なら気付けないであろう足の甲へのつま先を落とすという普通の試合なら反則技まで使用しているのに、マスカレッドに大したダメージは当たっていないように見える。

 例え、綾香が怪物じみていても、金属の防具を素手で叩き割るのは無理がある。いかに鋭かろうが、それはあくまで素手であり、防具を貫く、ということはないのだ。

「くそっ、防具ってのは卑怯だよな」

 珍しく、浩之が悪態をつく。

「卑怯じゃないよ、藤田。ルールには反してないんだ。嫌なら、綾香も同じ格好をして……ぷっ、ごめん、想像したら面白かった」

 綾香が戦隊ヒーローの格好をした想像をしたのだろう、坂下は吹き出してしまったが、浩之には、むしろ今そうやって呑気に笑っていられる坂下の方が不思議だった。

 しかし、言っていることは正しい。綾香も、防具を固めれば、条件は同じになる。理論上は、だ。

 実際のところ、防具に身を固めても、綾香の不利はむしろ大きくなる一方だろう。あの武具は、明らかに人間が着るものの重量ではない。あれで、あれだけ動けているマスカレッドがおかしいのだ。

 綾香なら、もしかしたらそれでも素早い動きが出来るかもしれないが、それでも、スピードはある程度は奪われる。それは綾香の持ち味を殺してしまう。

「嫌なら、武器を持てばいいんですよ」

 そう言ったのは、ランだった。坂下はそれを肩をすくめて聞き流す。別に、ランが本当に武器を持てばいいと思っている訳ではないのを知っていたのだろう。

 むしろ、ランは見下すように武器を持てばいい、と言ったのだ。色々と、複雑な思いがあるようだが、最低、武器を持つことを良しとはしていないのは確かだった。

 だが、ランはマイナスの気持ちで言ったが、それもありなのだ。

 綾香が武器を使い慣れていると、浩之は聞いたことがなかったが、その可能性もあるのだ。少なくとも、素人よりは確実にうまく使いこなすだろう。

 綾香の拳は金属の防具を壊せないが、綾香の持つ金属の武器ならば、金属の防具をへこませることは不可能ではない。

 防具はともかく、そう重くない武器を振り回す程度ならば、綾香のスピードは衰えないだろう。それどころか、リーチが伸びる分スピードが相対的に上がったようにすら見えるかもしれない。

 もし、マスカレッドの防具を正面から撃破するのを目指すのならば、武器の存在は必要不可欠だ。

 しかし、今は後の祭り。綾香は武器を用意すらしなかったし、すでに武器を持たないまま、試合は始まってしまった。

 下手に攻撃すれば、それこそ拳を壊して自滅しかねないのだ。綾香の状況は、芳しくないと言える。

 唯一、防具の弱そうな脇腹がねらい目だろうが、一発目は許したようだが、さて、二発目、三発目を許してくれるかどうかは怪しかった。

 浩之の目には、どうしてもマスカレッドがわざわざ綾香の攻撃を誘っているようにしか見えなかったのだ。

 その結果、綾香は、マスカレッドの防具の厚い場所と薄い場所を判別するだろうが、しかし、そんなこと、すでにマスカレッド自身は知っている。

 ボディーブローは、懐に飛び込まないと打てないのだ。もし、防具が薄いからと言ってボディーブローのみを狙うとすれば、何度もマスカレッドの懐に飛び込まなければならなくなる。

 それこそ、マスカレッドの狙いなのでは、と浩之は思うのだ。それは、防具が薄いとすれば、何発もボディーを入れられるのはまずいだろうが、しかし、腹筋でかなりのところカバーできるし、懐に綾香が入るということは、その間マスカレッドの攻撃に身をさらすということなのだ。

 綾香の背中に翼があるとしても、至近距離で撃ち合いをすれば、さすがに動きに限界がある。そして、一度当たれば、防具のない綾香は深刻なダメージを負うだろう。

 誘いとしては、上々だ。リスクとリターンを考えると、遥かにリターンの多い作戦である。何より、薄いとは言え、マスカレッドには脇腹にも防具がある。それは大きくリスクを削る。

 ガンッ!!

 また、金属を蹴るような音がして、綾香の攻撃が入る。

 脇腹に防具の薄い場所を見つけたというのに、綾香は簡単には懐に入らなかった。それどころか、一番遠くから、マスカレッドの太ももにローキックを入れたのだ。

 綾香の単体のローキックのスピードは、群を抜いている。当たった、と思うのと、出した、と思うのと、前者が先に来るようなスピードなのだ。コンビネーションで次の動きを入れない限り、ほとんどバランスが崩れないのも大きい。

 過去、何度も組み技系の選手が、そのローキックを捉えようとして失敗している。人間の反射を凌駕していると言っていい。

 数発も当たれば、それだけで試合を決める、綾香の様子見のローキックを受けても、しかし、マスカレッドは案の定、ゆらぎすらしなかった。

 これも、綾香には予測済みの話だろう。

 これも、綾香にとっては単なるさぐりだ。お互いが左半身に構えていれば、放った右のローキックは左ももの外側に入る。一番蹴られ易い場所だからこそ、そこは防具を硬くしている可能性は高く、綾香のその読み通り防具は硬く、素直にローキックを放ったのでは、何度打とうが倒すことは出来ないだろう。

 不意に、綾香がすいっ、と体を変える。

 ただ見ているだけの観客には分からなかったろう。綾香は、左半身の構えから、右半身の構えにチェンジしたのだ。

 すると、それを見て取ったマスカレッドも、同じように右半身の構えを取った。

 それを確認するかしないかで、綾香はまた左半身に構えを戻す、と同時に、マスカレッドの構えも左半身に戻っていた。

 フットワークを使った中の、ほんの数瞬の出来事だったので、それに気付いた観客はほとんどいなかったろう。しかし、それもれっきとした攻防だった。

 少なくとも、ランぐらいの実力があれば、それに気付けたようだ。何をしたのだろう、と怪訝な顔をしている。

 相手が左半身で、自分が右半身を取れば、相手の左ももの内側に左ローを入れられるのだ。

 前にある脚では、ローキックを出すのは難しい。腰の回転が必要だからだ。だから、攻撃したい脚を、自分から後ろに下げた結果が、右半身の構えだったのだ。

 そして、マスカレッドが同じく右半身を取ったのは、それを嫌ってのこと。つまり、脚の防具は、外側ほど内側は硬くないと言っているようなものだった。

 もちろん、それがマスカレッドのフェイクである可能性はあるのだが、それを確かめる術はない。いかに綾香が素早く体を入れ替えたところで、マスカレッドの方はそれに対処出来るぐらいの目は持っているようなのだ。

 まあ、何度もせわしなく入れ替えればそれも可能かもしれないが、そんなダンスを踊るような動きの中から、腰の入ったローキックを放てるかどうかは怪しい。綾香のことだから、それぐらい問題なくこなす気もするのだが。

 マスカレッドを攻略する方法を、まだ綾香は頭の中に確立していないのだろう。ゆっくりと探りを入れている。

 しかし、マスカレッドの方も積極的に攻撃をしない所為か、綾香にあせりのようなものはまったく見て取れなかった。むしろ、淡々とこなしている、とすら見える。

 浩之には、喜々としてやったり、嫌々している綾香の方がよほど自然で、今のように淡々と作業をこなすように動く綾香の方が、よほど不気味だった。

 マスカレッドの方も、悠長に構えてないで、さっさと押し切ってしまわなければ、勝機などないと浩之は思うのだが、やはり悠長に、軽く手を出す程度で、本格的な攻めを見せない。

 一般の観客から見ればいざ知らず、浩之から見れば、お互いに、手の内をまだ見せていないまま、時間だけが、着々と進んでいた。

 

続く

 

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