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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(274)

 

 体を入れ替えたのだろう、頭からではなく、背中からマスカレッドは金網に突き刺さるようにぶつかっていた。

 やはり、と思うと同時に、綾香は言い表せない違和感を感じていた。

 ググッ、とマスカレッドの身体が金網に沈むのを見て、その違和感はさらに大きくなり、マスカレッドの身体がはじけるように金網から離れたのを見て、その違和感は、確信に変化した。

 マスカレッドは、先ほど綾香に向かって飛び込んできたときよりもさらに速いスピードで、綾香に向かって走り込んできたのだ。

「っ!!」

 それは、高速で金網にぶつかった後の人間の動きではなかった。いかに防具があろうとも、衝撃はそれなりにうけているはずなのに、その様子すらない。

 違う……金網じゃない!

 綾香は、その確信を得ながらも、それについて深く考える暇もなく、回避に全能力をつぎ込む。そうしなければ、回避できないと判断したのだ。

 スピードに乗ったマスカレッドは、今度は拳を突き出してくるなどという、範囲の小さい攻撃を選ばなかった。

 腕を横に突き出した、プロレスのラリアートに近い動きで、綾香の首を刈ろうとして来たのだ。普通なら、そんな力まかせの打撃は、腰の入ったパンチなどとは比べることすら必要ないのだが、今回は違う。マスカレッドの突進の重さとスピードは、腰など入れなくとも、ただ当たるだけで十分な威力を生む。

 そして何より怖いのは、ただ単純に、面積が大きくなることによって、避け難い攻撃になっているという点だ。

 マスカレッドの腕は、防具が硬く、どこが当たったとしても、この突進の威力が入ればダメージを受けるだろう。

 腕まるごど、ヒットポイントとなるのだ。腕が伸びきる前に受けてヒットポイントをずらすなどという防御方法も使用出来ない。

 だから、綾香は身をかがめて回避するしか防御方法がなかった。片手でガードして反撃のカウンターなどという余裕は、ない。

 それでも、綾香が回避に専念した以上、スピードはあっても、みえみえの突進によるラリアットなど、問題にならない、綾香はあっさりとそれをかいくぐる。マスカレッドの身体が、綾香の横を、風を切って通り過ぎ。

 ガリッ!

 その、綾香が起こしたのではない音を綾香は聞き取った瞬間に、反射的に振り返りながら、身体を後ろにそらす。

 ゴッ!!

 あてずっぽうで固められたガードの上から、マスカレッドの振り向きざまの、裏拳というよりは、手刀の拳を固めたような形の、ナックルハンマーが、綾香のガード上を強烈に叩いていた。

 綾香の身体が、おもちゃのように吹き飛び、金網に叩き付けられ、金網に綾香の身体が沈む。

 浩之には、少し心配させたかな。

 そう思いながら、綾香は金網からはじかれ、すとっ、と土の上に着地した。

 同時に、土の上に手をついて倒れていたマスカレッドがその重い身体を感じさせない素早い動きで立ち上がる。

 観客の歓声が、煩いほどヒートアップするが、綾香の耳には、その事実はとどいていても、歓声自体は何の感情の変化も生まなかった。

 綾香が、回避のためにわざと後ろに飛んだのは、おそらく見ていた浩之も気付いただろうが、そのまま金網に叩き付けられる姿は、心配させてしまっているだろう。綾香は、試合中に、それを悠長に心配していた。

 もちろん、綾香だって金網にまで突っ込む気はなかった。それを許さなかったのは、マスカレッドの一撃が強烈だったからだ。

 綾香がマスカレッドのラリアートをかいくぐった瞬間に聞こえて来た音は、マスカレッドの足が、地面に突き刺さるようにマスカレッドの直進を止めた音だったのだ。

 おそらくは、足にも何かをしこんであるのだろう。普通なら、足首がどうにかなってしまうか、勢いを殺しきれなくてすべってしまうはずだ。

 とにかく、マスカレッドは綾香の横をすり抜けた瞬間に急停止して、振り向きざまにハンマーナックルを放って来たのだ。

 綾香は、それを一瞬で察知してガードし、威力を殺す為にわざと後ろに飛んだのだが、思った以上に威力があり、金網まではじき飛ばされた。

 マスカレッドは、その後バランスを崩して倒れていたので、おそらく、反撃を封じるためにも綾香をはじき飛ばす必要があったのだろうが、まさに全力の一撃だったのだろう。

 ガードしたとはいえ、ちゃんと後ろに飛んだのに、まだ綾香の腕はしびれるような感覚が残っている。

 だが、金網にぶつかったダメージは、ほとんどなかった。

 マスカレッドと距離を取りながら、綾香は器用に視線をマスカレッドからそらすことなく、目の端で、綾香がぶつかった金網に、つまりマスカレッドが突っ込んだ金網を捉える。

 ギリッ、と綾香は歯ぎしりをしていた。

 何で、今まで気付けなかったのか。十分、気付いても良さそうなものなのに。

 自分が緊張していた、などとは綾香は思っていない。油断したとも思ってはいない。おそらく問題があるとするならば、綾香自身、まさかこんなものがあるとは、想像だにしなかった、ということだけだろう。

 試合場に、張り巡らされた金網と観客の間はいくらか空いている。それにはもちろん最初から気付いていた。というよりも、観客と金網の間に何もない方が危険なので、金網に囲まれた試合場は、必ず金網と観客の間には空間が取られている。

 しかし、それがいつもよりも広いことを、綾香は今の今まで気付けなかった。それに気付いていれば、これにも気付けていたかもしれないのに。

 いや、そうでなくとも、最初から金網を少しでもさわって確かめていれば、気付けたかもしれないのに。

 それをしなかったのは、まさに綾香の経験不足だった。おそらく、セバスチャンならば、それを行っていただろう。

 試合場とは言え、そして、すでに観客の大部分は、綾香のファンであったとしても、ここは敵地なのだ。どんな罠が仕掛けてあるか分からない。

 罠がなくとも、自分の戦う場所を調べておくことが、不利になることはない。綾香が試合場に入って、マスカレッドが来るまでのわずかな時間でも、やっておく意味はあったはずだ。

 そんな用意周到を超えて臆病とも取れる行動は、綾香らしくないと言われるし、綾香もそう思うが、そんな行為をしたくないのなら、気付くべきだったのだ。気付けないほどの実力ならば、臆病とも取れる行動を、しておくべきなのだ。

 試合場を囲む金網は、もちろん、鉄で出来ている。金網と金網の間にある柱も、鋼鉄製だ。もう何度目かなので、見慣れたものだ。

 しかし、よく見ると、いつもと少しだけ違っているのだ。

 柱と金網の接合部が、単純な金網ではなく、スプリングになっているのだ。

 気にして見れば、一発で分かる違いなのに、綾香はそれまで気付けなかった。だが、もし、これが初めて使われたものならば、観客すら気付いていない可能性は高かった。

 スポットライトが当たっている場所以外は薄暗く、今見れば、試合場の中心部だけ照らされており、端は少し薄暗い。位置的としか思えなかった。

 このスプリングが、金網に体当たりした衝撃を殺していたのだ。いや、それどころか、マスカレッドはそのスプリングで突進の勢いを殺した上に、その反動を利用して、さらに綾香にスピードの乗った突進をしてきた。

 綾香も金網にぶつかったが、衝撃自体は、スプリングがかなり消してたのだ。もちろん、わかっていて飛んだのだ。でなければ、ダメージを殺すとしても、金網に自分からぶつかったりはしない。

 しかし、マスカレッドに、また場は有利になった。

 高速で突進して来れる上に、止まる心配もする必要がないのだ。スプリングの反動は、綾香も使用できるとは言え、技のレパートリーから言えば、マスカレッドに有利に働くだろう。

 本当、この男は、何から何まで、用意周到だ。

 臆病とも言える、準備の良さだが、綾香は、それ自体には怒りは感じない。さきほどの歯ぎしりも、気付けなかった自分に対する怒りだ。

 ここまで用意周到に準備したのも、全ては綾香を倒したいが為、と思えば、怒りもわいてこない。

 自分を楽しませてくれようと、心から努力してくれているようにしか、綾香には思えないのだ。だから、マスカレッドには、少しだけ、まだ期待をかけることにした。

 先ほどから、いや、始まってから、綾香は有効打を放っていない。

 それでも、綾香は、自分の優位を、少しも疑っていなかった。

 

続く

 

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