綾香は、マスカレッドを試すように、身体を左右にゆらす。
すいっっすいっ、とよどみなく動く様は、綾香の容姿と相まって、まるでリズムを取っているアイドルのようにも見えるが、その実、重心がほとんど上下していないそれは、達人に近い動きでもあった。
マスカレッドは、しかしそれでは動かない。
一応、フェイントのつもりの動きだったのだが、マスカレッドにはまったく反応がないのを見て、綾香はやはりと思っていた。
何と言ったところで、やはりその防具をつけて動き回るのは体力的に辛いのだ。いや、かなり鍛えてはあるだろうから、そう簡単にへたばることはないだろうが、それでも、無駄な動きをしていれば、いつかそれはマスカレッドの首を絞めるのだ。
どうせ、ほとんどの攻撃は、マスカレッドには通用しないのだ。相手が本格的な攻撃をしてきた後に対処しても間に合うと思っているのだろう。
でも、効かないと思ってるのは、さて、どこまで通用するかな?
綾香は、今度はフェイントではなく、やはりその重心がほとんど上下しない動きで、マスカレッドとの距離を、適度なスピードでつめる。
それは、早過ぎず、遅すぎず、相手が対処しようと思う、ベストのタイミングだった。わざわざ、少しは読めたマスカレッドのタイミングにまで合わせているのだ。
誘われている、と、マスカレッドほどの実力があればすぐに気付いただろう。しかし、それを撃破する自信があるのか、それとも攻撃など防具で効かないと油断しているのか、はたまた、誘いでも良いと思ったのか。
ゴウッ、と綾香の頬の横を、マスカレッドの左ジャブが通過する。しかし、それは頬の横を通ったことでも分かるように、綾香に簡単に回避されていた。
しかし、マスカレッドの腕は、まだもう一本残っていた。
内に回避した綾香目がけて、マスカレッドの、返しの右ストレートが放たれた。
スピードもタイミングも完璧であるはずのそれを、綾香は、ギリギリのラインでさらに左、つまりマスカレッドの身体の外に回避する。
が、いかにマスカレッドの打撃がレベルの高いものとは言え、待ちかまえていたそのままの動きをしている以上、綾香を捉えることなど出来ない。
そこに気付け、などという方が無理なのだろう。いや、坂下は、見ているだけでもちゃんと気付いていた。
綾香なら、もっと余裕を持って、マスカレッドの右ストレートを回避できたことに。
ギンッ!!
金属が締め上げられるような音をたてて、お互いがはじかれるように、マスカレッドと綾香は二人して後ろに飛びずさる。
二人が攻撃出来ないほどの距離を取ると、マスカレッドは構えを解いて、演劇じみた口調で綾香を指さした。
「なかなか面白いことを!! しかし、このマスカレッドには、その攻撃は効かないぞ!!」
何が起こったのか、観客にはよく分からなかった。とりあえず、綾香はマスカレッドのワンツーを回避しただけのはずだが、そこで何か仕掛けたらしい。
マスカレッドも、何をされたかまで言えばいいものを、おかげで観客達は困惑しているようだった。
「ふふん」
綾香は、鼻で笑って、やはり観客達には説明しなかった。というよりも、綾香はそもそも観客に語りかけるようなパフォーマンスはしない。まあ、そうであっても、いちいち何をやったのか説明してやるほど、親切でもなかった。
浩之は、見えたかな?
観客達の中で気にするのは、その程度だ。それも、見えていないようならば、後から折檻という物騒な思いがあるので、気にされない方が幸せに違いなかった。
ちらり、と目をむけると、浩之が驚きの表情で固まっている。一応、何をしたかは見えたのだろう。
あの程度で驚くというのは、まだ精進が足りないと思うが、浩之の度肝を抜いたと思うと、綾香は少し楽しくなって来た。
一方、驚きに固まっている浩之達の方はと言うと。
坂下は、当然のように見えていたようだった。そして、ランには見えておらず、驚いている浩之を、説明を求めるような目で見ている。
見えていなかったことは、ランにとっても不本意なのだろう。不機嫌ながら、しかし、そのふくれた表情でねだるように浩之を見る姿は、けっこう来るものがあると思うのだが、今の浩之は、残念ながらランを見ていなかった。
「綾香、あんなことも出来るのか?」
浩之のつぶやきに、さも当然のように、坂下が返事する。
「まったく、綾香のやつ。素の攻撃が単調だからって、危険なことするもんだね。私相手なら、死んでるところだよ」
「……あの、説明お願いできますか?」
とうとう、こらえきれなくなったのか、それとも会話に入れなかったのが嫌だったのか、ランは説明を求める。ただし、浩之に向かって言うのは、多少間違いかもしれない。
坂下は、そんなランに小さくため息をついて、もちろん見れなかったのを責めている訳ではなく、もっとやっかいな問題を思ってのため息だ、説明してやる。
「マスカレッドの右ストレートが伸びきったところで、右ひじに左掌打、右手首あたりに右掌打を打ったんだよ」
「?」
それがどうしたのか、という顔をランはした。スピードというよりも、回避と同時に打たれたので見えなかったのだが、その攻撃自体は、別段普通で、しかも、その打撃がマスカレッドの装甲に効くとはとても思えない。
「綾香は、立ったままで、相手をつかみもせずに関節技を決めたんだよ」
結局、驚きから戻った、というか戻らざるを得なかった浩之が、ランに説明してやる。ランも格闘家であり、それだけの補助の説明で、何をしたのかようやく分かった。
分かって、驚きで固まるのは、今度はランの番だった。
「それは……かなり、凄くないですか?」
ストレートを放った腕は、完全に伸びきる。そして、関節技は、相手の関節を完全に伸びきらせる。
普通なら、ストレートは腕の可動域で放たれるので、それで腕を痛める、ということは起こらない。
しかし、それを、綾香は無理矢理起こさせようとしたのだ。
伸びきった腕を、手首を固定してから、ひじを可動域ではない方向まで押す。
それを、一瞬でやっただけなのだ。例え一瞬であろうとも、可動域外に入った関節は、簡単に破壊される。
打撃関節、とでも言おうか。普通は手加減できる関節技だが、これにはそれがない。完全に、相手を破壊するつもりでしか放てない、危険極まりない技だった。
しかし、一瞬、と言ったところで、その一瞬でそれを行うことの、どれほど難しいことか。
相手のストレートに合わせるなど、普通のカウンターを放つよりも難しいのに、さらにそれを両手を使って、タイミングを合わせて打つなど、出来るものではない。
しかし、浩之は、それを一言で切って捨てた。
「ああ、凄いな」
今更だけどな、と浩之は、つけくわえるのだった。
続く