効かない、と言うわりには、来ないのよね。
距離を取ったマスカレッドを横目に、綾香はマスカレッドのまわりをゆっくりとまわっている。それに合わせてマスカレッドもまわるので、示し合わせた訳ではないが、二人で円を描いていた。
綾香の打撃のタイミングで出す関節技は、マスカレッドには効かなかった。綾香も、技を避けられたり外されたりした経験はあるが、効かなかったのは、初めてと言ってもいい。
まして、決まったはずの関節技が効かないなど、普通はありえないのだ。
打撃ならば、当たっても傷みに耐えることも出来よう。しかし、関節技はそんなことは出来ない。それをした瞬間に、身体が壊れるからだ。
それでギブアップをしない人間はいても、壊れない人間はいないのだ。
だが、そもそも、マスカレッドの身体は、壊れるようには出来ていなかった。まさか、関節技よりも硬い身体など、普通はありえないのだ。
しかも、打撃関節のことで言えば、タイミングはシビアだし、わざわざ危険な位置まで飛び込まなければならないことを考えると、割のいい技ではない。
綾香が仮にも、危険を冒して行った技が、まったく効かなかった。
おそらくは、と綾香は思う。
全部の関節技に対応している訳ではないのだろう、と綾香はあたりをつけていた。
先ほどの、綾香が膝を割ろうとした攻撃からは避けている。もし、効かないのならば、あのタイミングならば受けて、その後反撃すべきだった。
もっとも、それでも綾香はマスカレッドの攻撃を避ける自信があったが、マスカレッドにとってチャンスであったのは間違いないのだ。
それを捨てても避けるということは、膝には関節技を封じる仕掛けをしていないか、または、仕掛けがそう頑丈ではないということだ。
それだけではない、綾香は、思いつく限りでも、後数個は、マスカレッドに効く関節技を出すことが出来る。
マスカレッドの防具は、ある一定以上は曲がらないように出来ているのだろうが、しかし、それでマスカレッドの動きを阻害しては意味がない。
そこから導き出せる答えは、マスカレッドの身体の可動域に合わせて防具が作られているということだ。
そんなもの、綾香にとってみれば穴だらけなのだ。
元来、関節技は、関節の曲がらない無理な方向に無理矢理曲げるのではない。相手の可動域を狭めて、そこから無理矢理曲げるのだ。
一箇所を限界まで締め上げることにより、他の箇所の可動域も狭まる。人には、動き易い体勢があるのと同じで、動きにくい体勢というものがあるのだ。その動きにくい体勢に持っていって、そこから曲げれば、可動域であったはずの場所は、非可動域にあっさりと変わるのだ。
それぐらいの技のレパートリーはある。
しかし、マスカレッドが、それを簡単にかけさせてくれないのも事実。組み付いても、まず、マスカレッドは首と、後数カ所の関節を守る必要がないのだ。
おそらくは、組み付けば重さとパワーとその鉄で固められた拳によって、綾香でも負けてしまうだろう。あまりにも、不利すぎる。
負ける？
そんな訳、ない。もし、そんな状況になっても、私が負けることなんて、ありえない。
綾香は、自分で冷静に考えたことに対して、冷笑を持って、否定した。
まあ、それでも、わざわざ不利な戦いを仕掛ける意味もない。綾香は、さてどうしたものか、とぐるぐると円を描くのだった。
「どうした、怖じ気づいたか！！」
マスカレッドが、通る声で、綾香を挑発する。
そう、そんなことを言う割に、マスカレッドは攻めて来ない。技も効かないと言った割には、無理に攻めて来たりしないのは、まさに有言不実行だ。
まあ、綾香もその気持ちは分かる。重い防具をつけて、わざわざ真正面から向かう必要などないのだから、待てばいいだけのことなのだ。
動けば、重い防具はそれだけ体力をうばう。どうせ打撃が当たっても、ほとんどダメージがないのならば、相手に先手を取らせて、打撃を受けた後に反撃しても、何も問題はないのだ。
もっとも、綾香の全力の打撃となれば、安全とはとても言えないのだが。
しかし、綾香としても、そう全力で攻撃したりは出来ない。防具に阻まれようが、それを打ち抜く自信はあるが、そのときに綾香の身体が、攻撃の衝撃に耐えられるかという問題があるのだ。
化け物じみた綾香でも、身体の硬度はあっさりと限界に到達する。単純な「硬さ」で言うのなら、マスカレッドは綾香の上をいっているし、そもそも、「硬さ」などという無茶な項目、綾香は坂下にすら負けるのだ。
まあ、手がない訳でもないけど。
ふらり、と綾香は身体を揺らせると、風の間を縫うような動きで、一瞬の内にマスカレッドとの距離をつめる。
距離があったとは言え、マスカレッドの反応は速かった。迫り来る綾香に対して、防具の薄いところをさらさないように動いたのだ。
反応しているのに、攻撃を優先しないあたり、徹底してるわよね。
そんなことを思いながら、綾香は素早く腕を突き出す。
シュッ！！
綾香の左の掌打が、空を切った。マスカレッドは、その重い防具をひきずりながらも、素早い動きで綾香の掌打を避けたのだ。
わざわざ避ける必要もない打撃のはず。しかし、マスカレッドはそれを避ける。
やはり、と綾香は思ったが、その思考も一瞬、綾香は回避行動に入っていた。
避けながら、クロスカウンターぎみに、マスカレッドは拳を繰り出す。それだけで、普通の選手なら終わるだろうスピードとタイミングを持ったマスカレッドの拳を、綾香はあわやというところで避ける。
そして、そこはマスカレッドの懐の中だった。
懐に入られても、マスカレッドには綾香を掴むとか、その鉄の拳で後頭部を殴るとか、色々選択肢はあるだろうに、それでも、マスカレッドは、後退を選んでいた。
遅いっ！！
ドンッ！！
まず、綾香の足が地面を蹴る。その勢いを全てその手のひらに込めて、綾香の突き上げるような掌打が、マスカレッドの腹部に叩き込まれた。
唯一、薄いと思われる防具を抜け、鍛え抜かれた腹筋の鎧をも突き抜け、綾香のアッパーの掌打が、その重い身体を、くの字にして上にはね飛ばす。
綾香の全運動神経を集中させた、突き上げるアッパーの掌打。葵の崩拳を、綾香なりに解析して、結局完全に離れた方向性を持ちながら、作り出した威力で言えば必殺を持つ技。
今までは、一瞬のタメを必要としたそれを、綾香はほとんど隙なしで打てるほどにレベルアップさせていた。
修練ではなく、レベルアップ、と言った方が正しいのだ。それは、どこまで行っても同じ技である修練とは、まったく異なるもの。
そう、例えどんなに防具が硬かろうが、中に入っているのが人である限り、衝撃は伝わる。防具や筋肉で威力が殺されたところで、それをさらに越える威力を出せば、それだけで済む話だ。
もちろん、そんな簡単な話などではない。綾香にとって、威力を出すだけならば、そう難しいことではないのだ。
綾香の作戦は、もっと別のところにあるのだ。打撃の威力ではない、その綾香の作戦が、マスカレッドの身体を、あっさりとくの字に曲げたのだ。
続く