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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(280)

 

「え?」

 私は、その光景を見て、我が目を疑った。

 格闘技の結果は、いついかなるときでも不条理なものではあるが、しかし、それでも、私も自分の身を持って戦う人間だ、それを受け入れる覚悟はある。

 だから、目を疑ったのは、覚悟が足りなかったというよりも、それを想定していなかった、という方が正しい。

 目にも止まらぬスピードで来栖川綾香が、マスカレッドの懐に飛び込んだと思った瞬間。

 マスカレッドの身体が、易々と宙に浮いたのだ。

 まるで、マスカレイドでたまに見る、実力が違い過ぎる者同士の戦いで、格下相手に、大技を決めたときのように。

 無敵と思われていたマスカレッドの身体が、武器も持たない少女の手によって、腹からくの字に曲げられて、宙を浮いたのだ。

 それでも、すぐにマスカレッドが反撃に転じたのを見て、やっと私の頭は、マスカレッドが来栖川綾香に一発で吹き飛ばされたことを理解した。

「よしっ!!」

 ぱんっ、と浩之先輩が、私の横で来栖川綾香のことを自分のことのように、無邪気に喜んでいる。もちろん、私はそれにはいい気はしないが、それよりも、浩之先輩はわかっていないことが気になった。

「……そんな、あっさりと」

 マスカレイド二位、という位置が、一体どれほど上のものなのか、浩之先輩はわかっていないのだろうか?

 それは、私だけではない。マスカレイドに関わった人間は、すべからく分かっているはずだ。

 三位を倒された以上、マスカレイドは負けた。何故なら、二位以上は、すでに別次元の選手であり、すでに、消化試合でしかないのだ。

 もちろん、マスカレイド側の勝利で終わるに決まっていた。例え、ヨシエさんを持って来ても、マスカレッドとチェーンソーには勝てるかどうか分からない。いや、私の目から見れば、ヨシエさんでも勝てないのでは、とすら思うのだ。

 その桁違いであるはずのマスカレッドが、こうも簡単に、一発で宙に浮かされる。

 致命傷でなかったのは、反撃しているのを見ても分かるが、それにしたって、ありえない話なのだ。

 膝をつくことすら、マスカレッドにはなかったのに。苦戦したのも数えるほど。負けに至っては、ただ一度、チェーンソーに負けただけ。

 そのマスカレッドが、膝をつく姿を、他の観客達は歓声と怒号を持って、しかし、皆楽しんで見ているようだが。

 選手達は、どういう思いなのだろう?

 今まで、手が届かない、影も踏めない、と思っていた相手が、あっさりと膝をつく姿を見せられるのは。

 そう感じるのは、私が来栖川綾香を嫌いだからなのだろうか?

 いや、嫌いということで言えば、前のカリュウもそうだったし、マスカレッド、赤目だって嫌いだ。

 しかし、私は、マスカレイドの選手。ヨシエさんならともかく、来栖川綾香の応援をする霧など、まったくないのだ。

 膝をつくマスカレッドを見下すように、来栖川綾香は、手招きでマスカレッドを挑発する。マスカレッドが膝をついている以上、かなりのチャンスであるはずなのに、それを生かそうともしない。

 あまりに、余裕が有りすぎる。

 化け物だと、いつもいつも思っていた。今まで、マスカレイドの上位の選手を倒していくのを見るにつけ、そしてたまに見せる人外の雰囲気、そんなもので、私は来栖川綾香を、違う生物だと思っていた。

 しかし、ここまでとは。そう、何よりも、私が怖いと思うのは。

 来栖川綾香が倒される姿を、私が想像できない、ということだ。

 マスカレッドでも想像出来ないが、マスカレッドは一度、負けた姿を面前にさらけ出している上に、今、膝をつく姿を見せた。

 それでも、私の脳はそれを理解しきれずに、自分の目を疑ったというのに。

 来栖川綾香は、それ以上だと、私は感じているのだ。

 そんな絶望的な状況にも関わらず、マスカレッドは、慌てる様子もなく、ゆっくりと立ち上がる。

 いや、それとも、ダメージでゆっくりとしか立ち上がれないのか?

 想像を絶するような突き上げる掌打を受けて、例え防具があっても、膝をつくほどのダメージを受けているのだ。ダメージで動きが鈍っている可能性は否定できない。

 そう、今まで、マスカレッドは、その防具に守られていたのだ。突き抜けた強さも、その武装あってのこと、とも言える。

 しかし、だからこそ、防具を貫通したダメージには、弱いのではないだろうか?

 あながち、突拍子もない考えだとは思わなかった。私が、キックの威力を、ブーツの硬さに頼っていたことがあるので、身にしみて分かる。

 ヨシエさんにそれを一刀のもとに切り捨てられ、取り払ったときに、いかに自分がそれに頼っていたのか思い知らされたのだ。

 マスカレッドも、今、あのときの私と同じなのではないだろうか?

 防具をあっさりと抜けられ、ボディーで膝をつくほどのダメージを受けた今、マスカレッドは混乱しているのでは?

 無敵であったはずの防具が、役にたたないと分かったとき、マスカレッドにどれほどのダメージを受けるのだろうか?

 マスカレイド二位、負けたのは、ただ一度きり。

 その不倒の城が、単なる砂上の楼閣だと感じたときに、マスカレッドは、まだ戦えるというのだろうか?

 どんなに身体を鍛えても、武器を持ったとしても、それでも、人である限り、精神的なものからは逃げられない。

 自分には、ヨシエさんという前に立ってくれる人がいた。プレッシャーを感じて、崩れかけていたときに、助けてくれた浩之先輩がいた。

 だが、今まで最強を誇って来たマスカレッドの前に立ちはだかるのは、常識も非常識も通用しない、化け物。

 マスカレッドが折れない、と私は楽観的に考えることは出来なかった。

 もし、このままマスカレッドが崩れてしまったら。

 そんな精神的に死んだヤツなど、来栖川綾香の敵ではない。ほめる訳ではないが、来栖川綾香に、そんな使えない状態で勝てる訳がない。

 マスカレッドが倒れれば、後に残るのは、ただ一人だけ。この化け物を退治できる可能性を持つ者は、もう一人しかいない。

 目の前にしただけで、恐怖が身体を支配する、やはり化け物。

 マスカレッドのことは、もちろん私は好きにはなれない。しかし、今だけは、応援してもいいと思った。声援だって送ってもいい。

 例え、それが浩之先輩に睨まれる結果になったとしても、それでも、いいとすら思った。結果、それが浩之先輩の為になることを、私は疑っていない。

 だから、私に代わって、倒して欲しい。

 私ではどうあがいても倒せない、あの怪物を。

 

続く

 

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