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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(282)

 

 はたから見ていた浩之にも、それは明らかだった。

 マスカレッドの動きが、変わった。

 今までは、一流ではあれど、どこか鈍い動きを見せていたのだ。重い防具を背負って動いているのだから当たり前だ、と思っていたのだが、マスカレッドは、その浩之の想像の上を行っていた、ということなのか。

 綾香相手に、手を抜いていたとでも言うつもりか?

 どの攻撃を取っても、マスカレイドの他の選手の方が一歩上を行く。もちろん、レベルが低い訳ではないし、防具という飛び抜けたものがある以上、弱いとは思わなかった。

 それでも、綾香を相手に戦うには、いささか物足りない相手だ、とすら思っていたのだ。

 それが、一発受けた後の動きは、まるで見違えていた。どの動き一つ取っても、マスカレイドの他の上位の選手に見劣りしない。それどころか、上に行こうかという状態だった。

 今まで、それだけの動きが出るにも関わらず、綾香相手に、全力でない状態で戦っていたのだ。

 手を抜いていた、というよりも、戦い方の違いなのだろう。しかし、綾香相手に出し惜しみしていたのは間違いなかった。

 綾香が、待ってましたとばかりに目を光らせている。物足りない、と思っていたのは、浩之だけではなさそうだった。

 そう、今までのマスカレイドの上位の選手は、何かしらの手で綾香に一発入れているのだ。ダメージを殺されたとしても、なかなか出来ることではない。

 それを、今までマスカレッドは出来ていない。綾香にとっては、うっかりのミスさえ起きないような、レベルの低い相手なのか、とすら浩之は思っていたのだ。

 防具以外に、突き抜けたものがない。そんな相手、綾香と対等に戦える訳がない。

 いや、今も、まだ突き抜けている訳ではない。

 どのレベルを取ってしても、最高レベルである、というだけだ。もう、突き抜ける必要すらない。

 先ほどの連続の動きを見ただけで、浩之はそこまで判断がつくようになっていた。浩之もまた、知らない間に、そして知っている間に、レベルを上げているのだ。

 しかし、今、浩之はマスカレッドと戦って勝てる自信はなかった。

 北條桃矢を目にしたときよりも、寺町と戦わなくてはならなくなったときよりも、さらに勝ち目、というものを想像出来ない。

 それは、まだ浩之には、遠い世界。

 綾香は、綾香なりに楽しそうだった。それはそうだ。修治以来の、そのレベルの相手を目の前にして、綾香の血が沸き立たない訳がない。

 綾香は、攻撃するには遠い距離で、ステップを踏みながら、くいくいっ、と肩をゆらせる。

 それに反応するように、マスカレッドの身体が、素早く、しかしわずかに動く。一般人には分からないフェイントが繰り出されているのだ。少なくとも、浩之には、綾香が放った技の影が見えた。

 と思った瞬間、その影をまったく同じようにトレースして、綾香のワンツーが繰り出される。

 パパンッ!!

 フェイントと思った瞬間に来る、同じ軌跡を描く攻撃。まなじ、見えていたからこそ、その幻惑に惑わされる。

 しかし、距離が遠い。左は顔面に入ったが、右は腕でガードされる。どちらも拳ではない、掌打だ。すでに、拳では綾香の方が先に壊れることが決まっている以上、綾香には拳という選択肢はない。

 そして、拳分、リーチが短くなるのだ。

 無理に飛び込んできた綾香を狙って、マスカレッドの拳が、綾香のボディーに向かって打ち出される。

 ドゴッ!!

 かなり鈍い音をたてて、綾香の脇腹、いや、とっさにガードした腕の上から、マスカレッドの拳が入る。

 その勢いを殺すというよりは、勢いに押されて、綾香ははじき飛ばされるように距離を取った。いや、実際、飛んだのではなく、飛ばされたのだ。

 不用意に入り込んできた綾香に、マスカレッドは冷静に反撃を入れていた。この試合の中で、今の攻撃が一番綾香にダメージを当てたのではないだろうか。

 しかし、それも不用意に飛び込んだ綾香が招いたものであり、マスカレッドの強さが綾香を単純に上回ったものではなかった。

 しかし、攻防の差は明らかだった。

 絶妙のフェイントをかけて飛び込んで、左の掌打を入れたにも関わらず、ダメージが大きかったのは綾香の方だろう。腹部への攻撃では、後ろに飛んで完全にダメージを殺す、というのは難しいのだ。

 ガードした腕も、しびれているだろう。ただでさえ硬い拳に、完璧な腰の入ったボディーブローだ。効かない訳がない。

 ようは、マスカレッドは致命傷さえ受けなければいいのだ。掌打で多少ダメージを受けたところで、相手に当てれば、挽回どころか、おつりが来るのだ。

 綾香だって、その程度のことは分かっていただろうに、今の攻撃は、不用意過ぎた。

 ……まさかとは思うが、焦っているのか?

 浩之は、その疑問を頭に浮かべて、しかし、すぐに否定した。

 先ほど、目を輝かせていたのは綾香の方だ。これから楽しい戦いになるというのに、どこに焦る必要があろうか?

 しかし、浩之の、そのすぐに否定した答えこそ、綾香の今の状態だった。

 顔でこそ、余裕を保っているが、綾香だって自分の不利を自覚していた。必殺である掌打のアッパーを流されたことが、かなり痛かったのだ。

 決まらなかったどうこう、というよりも、綾香にとって、マスカレッドに一番通用するであろう技がそれであり、それがなくなったというのは、戦略に大きく問題が起きる、ということなのだ。

 マスカレッドは全開で来ているが、一番の問題は、ダメージを受けてもいいから綾香に攻撃を当てようとしているところだ。

 ようは、あの突き上げるアッパーさえ喰らわなければ、マスカレッドは負けることがない、と判断しているのだ。それは、確かに正しい。

 このままでは、防具分、綾香の方が先に削れる。

 かと言って、逃げ回っていたのでは、どうしようもない。

 どうしたものか、と綾香が顔に出さずに思案しているときだった。それを感じているのか、それとも、ただ自分の有利を計算したのか、マスカレッドが、前に出てくる。

 前に出て来ても、カウンターも決められないんじゃあ、ね!

 始めはゆっくり動いた、と思ったときには、風の塊となって、マスカレッドは綾香に肉迫しようとしていた。

 綾香は、素早いステップワークで、マスカレッドの横に回り込む。

 と同時に、綾香の頭のあった場所を、マスカレッドのストレートが突き抜ける。一歩間違えば、直撃のコースだ。

 が、右ストレートを外側に避けた所為で、マスカレッドの右脇が空いた状態になっていた。突き上げる掌打を打つ余裕こそないが、防具の薄い脇腹なら、拳でも蹴りでもダメージが当てられる。

 これは、入る!!

 マスカレッドは避けられない。それを確信して、綾香はそこに向かって膝を打ち出していた。

 ズバシィッ!!

 綾香の右の膝蹴りが、マスカレッドの薄い防具の上に入った。間違いなく、クリーンヒットだった。

 と、綾香はぞくり、と背筋に冷たいものを感じた。

 思考ではなく、反射と直感で、綾香は自分の顔の前に腕をクロスさせて守りを固めていた。

 バシッ

 そのガードの上に入った衝撃は、衝撃、などとは言えないほど軽いもので。

 しまった、と、綾香は遅ればせながら、自分の失敗を自覚した。

 

続く

 

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