はたから見ていた浩之にも、それは明らかだった。
マスカレッドの動きが、変わった。
今までは、一流ではあれど、どこか鈍い動きを見せていたのだ。重い防具を背負って動いているのだから当たり前だ、と思っていたのだが、マスカレッドは、その浩之の想像の上を行っていた、ということなのか。
綾香相手に、手を抜いていたとでも言うつもりか?
どの攻撃を取っても、マスカレイドの他の選手の方が一歩上を行く。もちろん、レベルが低い訳ではないし、防具という飛び抜けたものがある以上、弱いとは思わなかった。
それでも、綾香を相手に戦うには、いささか物足りない相手だ、とすら思っていたのだ。
それが、一発受けた後の動きは、まるで見違えていた。どの動き一つ取っても、マスカレイドの他の上位の選手に見劣りしない。それどころか、上に行こうかという状態だった。
今まで、それだけの動きが出るにも関わらず、綾香相手に、全力でない状態で戦っていたのだ。
手を抜いていた、というよりも、戦い方の違いなのだろう。しかし、綾香相手に出し惜しみしていたのは間違いなかった。
綾香が、待ってましたとばかりに目を光らせている。物足りない、と思っていたのは、浩之だけではなさそうだった。
そう、今までのマスカレイドの上位の選手は、何かしらの手で綾香に一発入れているのだ。ダメージを殺されたとしても、なかなか出来ることではない。
それを、今までマスカレッドは出来ていない。綾香にとっては、うっかりのミスさえ起きないような、レベルの低い相手なのか、とすら浩之は思っていたのだ。
防具以外に、突き抜けたものがない。そんな相手、綾香と対等に戦える訳がない。
いや、今も、まだ突き抜けている訳ではない。
どのレベルを取ってしても、最高レベルである、というだけだ。もう、突き抜ける必要すらない。
先ほどの連続の動きを見ただけで、浩之はそこまで判断がつくようになっていた。浩之もまた、知らない間に、そして知っている間に、レベルを上げているのだ。
しかし、今、浩之はマスカレッドと戦って勝てる自信はなかった。
北條桃矢を目にしたときよりも、寺町と戦わなくてはならなくなったときよりも、さらに勝ち目、というものを想像出来ない。
それは、まだ浩之には、遠い世界。
綾香は、綾香なりに楽しそうだった。それはそうだ。修治以来の、そのレベルの相手を目の前にして、綾香の血が沸き立たない訳がない。
綾香は、攻撃するには遠い距離で、ステップを踏みながら、くいくいっ、と肩をゆらせる。
それに反応するように、マスカレッドの身体が、素早く、しかしわずかに動く。一般人には分からないフェイントが繰り出されているのだ。少なくとも、浩之には、綾香が放った技の影が見えた。
と思った瞬間、その影をまったく同じようにトレースして、綾香のワンツーが繰り出される。
パパンッ!!
フェイントと思った瞬間に来る、同じ軌跡を描く攻撃。まなじ、見えていたからこそ、その幻惑に惑わされる。
しかし、距離が遠い。左は顔面に入ったが、右は腕でガードされる。どちらも拳ではない、掌打だ。すでに、拳では綾香の方が先に壊れることが決まっている以上、綾香には拳という選択肢はない。
そして、拳分、リーチが短くなるのだ。
無理に飛び込んできた綾香を狙って、マスカレッドの拳が、綾香のボディーに向かって打ち出される。
ドゴッ!!
かなり鈍い音をたてて、綾香の脇腹、いや、とっさにガードした腕の上から、マスカレッドの拳が入る。
その勢いを殺すというよりは、勢いに押されて、綾香ははじき飛ばされるように距離を取った。いや、実際、飛んだのではなく、飛ばされたのだ。
不用意に入り込んできた綾香に、マスカレッドは冷静に反撃を入れていた。この試合の中で、今の攻撃が一番綾香にダメージを当てたのではないだろうか。
しかし、それも不用意に飛び込んだ綾香が招いたものであり、マスカレッドの強さが綾香を単純に上回ったものではなかった。
しかし、攻防の差は明らかだった。
絶妙のフェイントをかけて飛び込んで、左の掌打を入れたにも関わらず、ダメージが大きかったのは綾香の方だろう。腹部への攻撃では、後ろに飛んで完全にダメージを殺す、というのは難しいのだ。
ガードした腕も、しびれているだろう。ただでさえ硬い拳に、完璧な腰の入ったボディーブローだ。効かない訳がない。
ようは、マスカレッドは致命傷さえ受けなければいいのだ。掌打で多少ダメージを受けたところで、相手に当てれば、挽回どころか、おつりが来るのだ。
綾香だって、その程度のことは分かっていただろうに、今の攻撃は、不用意過ぎた。
……まさかとは思うが、焦っているのか?
浩之は、その疑問を頭に浮かべて、しかし、すぐに否定した。
先ほど、目を輝かせていたのは綾香の方だ。これから楽しい戦いになるというのに、どこに焦る必要があろうか?
しかし、浩之の、そのすぐに否定した答えこそ、綾香の今の状態だった。
顔でこそ、余裕を保っているが、綾香だって自分の不利を自覚していた。必殺である掌打のアッパーを流されたことが、かなり痛かったのだ。
決まらなかったどうこう、というよりも、綾香にとって、マスカレッドに一番通用するであろう技がそれであり、それがなくなったというのは、戦略に大きく問題が起きる、ということなのだ。
マスカレッドは全開で来ているが、一番の問題は、ダメージを受けてもいいから綾香に攻撃を当てようとしているところだ。
ようは、あの突き上げるアッパーさえ喰らわなければ、マスカレッドは負けることがない、と判断しているのだ。それは、確かに正しい。
このままでは、防具分、綾香の方が先に削れる。
かと言って、逃げ回っていたのでは、どうしようもない。
どうしたものか、と綾香が顔に出さずに思案しているときだった。それを感じているのか、それとも、ただ自分の有利を計算したのか、マスカレッドが、前に出てくる。
前に出て来ても、カウンターも決められないんじゃあ、ね!
始めはゆっくり動いた、と思ったときには、風の塊となって、マスカレッドは綾香に肉迫しようとしていた。
綾香は、素早いステップワークで、マスカレッドの横に回り込む。
と同時に、綾香の頭のあった場所を、マスカレッドのストレートが突き抜ける。一歩間違えば、直撃のコースだ。
が、右ストレートを外側に避けた所為で、マスカレッドの右脇が空いた状態になっていた。突き上げる掌打を打つ余裕こそないが、防具の薄い脇腹なら、拳でも蹴りでもダメージが当てられる。
これは、入る!!
マスカレッドは避けられない。それを確信して、綾香はそこに向かって膝を打ち出していた。
ズバシィッ!!
綾香の右の膝蹴りが、マスカレッドの薄い防具の上に入った。間違いなく、クリーンヒットだった。
と、綾香はぞくり、と背筋に冷たいものを感じた。
思考ではなく、反射と直感で、綾香は自分の顔の前に腕をクロスさせて守りを固めていた。
バシッ
そのガードの上に入った衝撃は、衝撃、などとは言えないほど軽いもので。
しまった、と、綾香は遅ればせながら、自分の失敗を自覚した。
続く