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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(284)

 

 ぱしっ、とマスカレッドのふるった腕を、綾香は簡単に腕の付け根あたりを押さえて受ける。

 それが、マスカレッドの、この状態での最初の攻撃だった。

 腰も何も入れない、単なる手打ちの攻撃など、綾香に通用する訳がないのだ。受けられて当然である。

 しかし、綾香は余裕があるにも関わらず、反撃しない。

 綾香の受けた腕から逃れるように身体を後ろにそらして、またマスカレッドは軽いとも言える腕、というよりも手刀を落とす。

 それを、綾香は懐に入って受け止める。

 やはり、綾香にしてみれば、かなり余裕のあるはずの受けだった。そこから攻撃に転じることなど、簡単だろうに、綾香はそうしない。

 お互いに、様子を見ている?

 観客の中に、そう思う者が出て来るのも当然だったが、先ほどの綾香の啖呵の後では、いかにも地味な攻防だった。

 もっと、火の出るような攻防を期待していた観客達は、拍子抜けしていた。

 しかし、浩之はすぐに考えをめぐらせていた。あの状態の綾香が、遊ぶ訳がない、と信じているからだ。浩之ですら、綾香をあそこまで怒らせたことなどないのだ。様子を見るなどというぬるい戦いをするはずがない。

 すぐに、答えは知れた。

 マスカレッドは、あの状態でも、硬い拳で、それなりのダメージを綾香に当てることが出来る。マスカレッドの攻撃には、腰は入っていないので、内臓にダメージがない。しかし、中になくとも、表面にはダメージは累積するだろう。

 反対に、綾香は、全力の攻撃でなければマスカレッドには有効な打撃にならない。小手調べなど、綾香がする訳がないと思う要因の一つはそれだ。

 マスカレッド相手に、小手調べなど意味をなさない。そんな弱い攻撃は、全て防具ではじいてしまうのだ。

 だから、綾香は全力で打って出なくてはいけない。

 しかし、この至近距離だ。確かに、助走の距離がなくとも、綾香ならそれなりのダメージは出せるのだろうが、マスカレッド相手には、さて、通じるのだろうか?

 何より、腕をつかまれている。これが痛い。

 大技を狙えば、腕を引かれてバランスを崩されるのは分かり切っていた。マスカレッドが攻撃に腰をまったくいれていないのは、その辺りも関係しているのだ。綾香だって腕を引くことは可能なのだ。体重に差があろうとも、タイミングさえ合えばあっさりとバランスを崩すことが出来るだろう。

 ゆえに、綾香は自分から攻撃出来ない。マスカレッドの攻撃をガードするだけではなく、マスカレッドがこちらの体勢を崩せないほどに、バランスを崩したときでしか攻撃できないのだ。

 突き上げる掌打など、もっての他だ。ためは最小限で済むとしても、マスカレッドは、その体勢を許す訳がない。

 そして、綾香は攻撃を避けることも出来ない。掴まっている以上、引きつけられれば終わりだ。それで相手のバランスを崩す、という手もあるが、そんな簡単な手に、マスカレッドがかかってくれるとは、思えない、とは浩之は思っていないのだが。

 その方法を、綾香が選んでいない以上、そこには何らかの、ばからしくても、真面目でも、ちゃんとした理由があるのだろう、とは予測出来る。

 事実、綾香は、その手を考え、即座に却下していた。綾香のセンスがあれば、それも可能なのだろうが、マスカレッドは、この状況を、すでに想定して試合に臨んでいるのだ。引き合いでバランスを崩す、などという手は通じない。

 ならば、と浩之は思う。

 もう一つ、起死回生、とまでは言わないが、この状況を打破する手がある。

 簡単な話だった。腕を振り払えばいいのだ。

 どんなに握力があろうとも、腕を外すなど、普通は簡単な話なのだ。服をつかまれている、となると難しくなってくるが、マスカレッドは綾香の素肌を掴んでいるので、問題ないはずだ。

 前からつかまれているような体勢なので、脇を引きつけて、手刀を落とすようにするだけでいい。テコの原理で、あっさりと相手の手は外れるだろう。

 腕を外せない、などという非常識を行ったのは、今まで修治だけだった。北條桃矢という、もちろん桁外れの強さを持った相手だったが、修治と北條桃矢の実力差を考えれば、それも無理からぬこと、と思えるのだが。

 さて、いくらマスカレッドが、重い防具をつけて素早く動けるほどの腕力を持っているとしても、綾香のレベル相手に、普通なら外れるはずの腕を外させない、などというさらなる非常識が可能なのだろうか?

 否、だ。どんなに考えても、否。不可能だ。ありえない。

 北條桃矢の腕力を1として、というか、北條桃矢の腕力を1と考えるあたりですでにおかしいのだが、修治の腕力は、10は行くのだろう。それは技術的なことも含めてなのだろうが、まさに服を着て歩く非常識。

 マスカレッドが、仮に、ありえないとは思うが、同じ10の腕力を持っていたとしよう。こなれば、可能性も出てくる。

 しかし、綾香の腕力は1ではない。

 純粋な腕力ですら、その細腕から想像どころか、科学的に検証しても出て来ないだろう力をひねり出すのだ。

 さらに、そこに技術やセンス、才能が加われば、どんなに低く見積もっても5は越える。外見だけはかわいい非常識である。

 握力20の人間が、握力40の相手を圧倒する。それが、技術というものだ。しかも、腕を外すなどという、非常に単純なものの場合、技術とも言えないほどに、分かり易く結果が出るはずだ。

 綾香が、その状況を良しとしていない以上、マスカレッドの腕は、あっさりとふりほどかれる。

 ……はずなのだ。

 しかし、綾香は、何故か我慢強く、その腕を振り払おうとしない。しかし、綾香がこの状況を望んでいないことは、いかにポーカーフェイスで表情を隠していても、浩之には分かる。

 では、何故?

 マスカレッドの腕力は、修治を越える、それも20や30のレベルであると言うつもりだろうか?

 もう、変な格好をした非常識などという言葉すらぬるい。

 もし、マスカレッドが、綾香を力のみで圧倒しているのならば、この男は、この物語には、ありえない登場人物だ。

 浩之としては、そんな卑怯なことが起きないことを切に願ったが、しかし、現実、綾香はマスカレッドの腕を振り払わない。

 浩之が、驚愕の思いでそれを思うように、綾香とマスカレッドの腕力の差は、綾香がそれをどんな手を使っても覆せないほどの差では、当然ない。

 マスカレッドは、この物語の登場人物であり、そこから外れるような、卑怯な存在ではない。例え、一部の人間が、それ以下を大きく突き放していようと、それでも、限界はあるのだ。

 しかし、その上の限界に近いはずの綾香は、マスカレッドの手から逃れられない。逃れない、のではない。出来ないのだ。

 それこそが、マスカレッドがこの状況を想定していた、と綾香が判断し、だからこそうかつな動きを見せない、真の理由。

 怒りを吹き出しながらも、綾香は我慢強く待ちに入っていた。それだけの、危機的状況であることを、綾香は、必要以上に理解しているのだ。

 その綾香をあざ笑うように、マスカレッドの手は、がっちりと綾香の腕をつかんでいた。

 

続く

 

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