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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(285)

 

 マスカレッドの手は、綾香の柔腕に、深く食い込んでいる訳ではない。

 通常、腕を力一杯掴めば、肉に食い込むものだ。そうでないと、あっさりと外れてしまうからだ。当然、マスカレッドの手も、そうでないのなら、簡単に外れそうなものだが。

 しかし、外れない。

 それは、マスカレッドの力ではなかった。

 手首までは、動くのだ。しかし、手首から先を抜くことが出来ない。普通ならば、腕を引きつけて、相手の手に関節技をかけるような体勢にして外すのだが、それが出来ない。

 一つは、マスカレッドが、関節技用の防具を装備しているからだ。マスカレッドに不利な方向には、曲がらないように出来ている。

 しかし、今回問題なのは、そんなことではない。

 がっちりと掴まれた腕。がっちりと掴んだ、手。指。

 指?

 それは、手でも、指でもなかった。形はそうかもしれないし、マスカレッドの部位で言えばそうなのだろうが。

 しかし、マスカレッドの手が、綾香を逃さないように捉まえているわけでは、ない。

 完全に、マスカレッドの手は、人差し指と中指と親指がくっついた状態で、固定されているのだ。

 力ではない、機械的な仕組みで、マスカレッドの手は、開かなくなっているのだ。

『機械仕掛けの手錠(Handcuffs of machine)』

 この状態に、本当に名前をつけるのならば、そうつけるべきであろう。

 マスカレッドと綾香の戦力を比較してみれば、ほとんどこれ以外にない、という作戦だった。この体勢に持っていくまでは難しいが、持っていけたのなら。

 マスカレッドの言ったように、ここからの綾香の逆転はない。

 関節技も打撃も効きにくい防具をつけて、至近距離で体重も優る。綾香の有利を全てつぶし、マスカレッドの有利のみを残した、おそらく綾香の為だけに作られた、この機械。

 時間をかけて、マスカレッドの握力が落ちるのを待つ、という消極的な戦法さえ、これは許してくれない。マスカレッドは、手に力など入れていないのだ。

 お互い、手錠でつながれたような体勢だが、不利は一方的に綾香にあった。

 マスカレッドは、慎重に、しかし、今の状況が、どれほど有利なのか知っているのだろう、気兼ねなく、拳を振るう。

「ちっ」

 綾香は舌打ちしながら、懐に飛び込んで、マスカレッドの拳をストッピングする。マスカレッドの拳が、ほとんど動く前に、綾香はその拳を止めた。

 しかし、そこでは距離が近すぎる。

 来ることをわかっていたのだろう、マスカレッドの頭突きが、綾香の頭に入る。

 ゴッ!!

 至近距離過ぎたのだろう、避けることすら出来ずに、綾香に頭突きがモロに入った。不用意どころか、今の綾香は隙だらけと言って良かった。

 こんな簡単に、綾香に打撃が入ったことに、観客達が驚きの歓声をあげた。

 バシッ!!

 さらに、マスカレッドの拳が、軽く、綾香のつかまれた左腕に当たる。それ自体は、何でもないというか、まったく有効とは言えない打撃だった。

 しかし、綾香は、もう一度振るわれようとしていたマスカレッドの拳を、また踏み込んで止める。

 また狙っていた頭突きを、今度は至近距離にも関わらず避けた綾香は、マスカレッドの腹に足をつっかえるようにして、素早く距離を取っていた。

 とは言っても、取れる距離は決まっている。超至近距離が、至近距離になった程度だった。

 綾香の身体が、マスカレッドを支点にして、腕でつながれているので逃げることも出来ずに、少し回転して、すぐに着地する。

 逃げた綾香を追撃するように、またマスカレッドの腰も力も入っていない拳が、綾香の左腕に当たる。

 さらにマスカレッドが腕を振り上げたのを、今度は綾香は蹴り脚を打ち込んで止める。引きが素晴らしく早いその前蹴りは、マスカレッドが片脚になった綾香を引いてバランスを崩す暇もなかった。それどころか、その威力で、のけぞるように身体が後ろに動く。

 たった二回の攻防で、綾香はある程度しのぐ方法を編み出したようだった。もちろん、同じ動きをすればすぐに見破られるので、さらに変化しながらでないといけないが、それでも、綾香ならばまだしばらくの間もつだろう。

 それよりも浩之が気になったのは、綾香が、マスカレッドの力のない拳に、過剰に反応していることだ。

 頭突きを喰らったのは、それを無理してストッピングしようと懐に入った所為であるし、その何でもない拳を止めるためだけに、綾香はせわしなく動いている。

 あんな、手打ちの、力の入っていない拳なら、ある程度無視して、もっと危険な技にそなえるべきだろうに。

 しかし、あの手打ちの、力の入っていない拳が、綾香が一番恐れる攻撃であることを、浩之はすぐには気付けなかった。

 さらに、二度、マスカレッドの拳が綾香の腕に入る、その間に、綾香はぐるぐると位置を入れ替えながら、激しく動いて、十回以上マスカレッドの拳を止めていた、のを見て、浩之はやっと気付いた。

 綾香ならば、例え至近距離であろうとも、打撃を避けることが出来るのだ。簡単とまでは言わずとも、それが証拠に、拳を止めようとして入って来たところを狙ったマスカレッドの攻撃は、最初の頭突き以外、どれも当たっていない。

 しかし、つかまれ、動けない左腕は、避けることも、衝撃を逃がすことも出来ない。たった三度、マスカレッドの拳が入っただけなのに、すでに綾香の左腕は、痣で黒ずんでいた。

 観客も、綾香の腕が、痛々しく黒ずんでいくのを見て、マスカレッドが、何故あんな手打ちの拳を振るうのか、やっと分かっていた。

 綾香が強いのは、あくまで、身体能力であって、身体の頑丈さではない。ダメージを受けても反撃できるのは、とっさにダメージを殺したり、柔らかい身体が衝撃を逃がしたりするからなのだ。

 しかし、掴まれている腕だけは、それが出来ない。だから、綾香は、素肌のまま、何の抵抗も出来ず、拳を受けるしかないのだ。

 例え力が入っていなくとも、マスカレッドの拳はハンマーのようなものだ。無抵抗で叩かれれば、内出血ぐらい当然起こる。

 そうやって、まず左腕を殺す。

 そして、マスカレッドは、それを徐々に綾香の身体に伸ばしていけばいいだけなのだ。

 えぐい攻撃だ。身体を完全に破壊して、先に進もうとしているのだ。でなければ、左腕を攻撃する意味などないとは言え、これを続けられれば、綾香の左腕は無事では済むまい。下手をすれば、後遺症が残るだろう。

 だから、綾香は、勢いのつく前、言ってしまえば、動く前の拳を止めることで、それを回避していたのだ。

 しかし、それでも、限界はある。そうやって、たった三回拳を受けただけで。

 バシッ!!

「くぅっ!!」

 四回目に、綾香はたまらず声をあげていた。むしろ、今までポーカーフェイズを保っていたことが正直驚きなぐらいなのだ。

 綾香の為に用意された、罠。それは、確かに、綾香をがっちりと捉まえて放さない。

 時間が経てば経つほど、綾香は逆転の手を失っていく。それどころか、左腕が無事に済むかどうかさえ、怪しい。

 派手さはない。しかし、綾香は、少しずつ、少しずつ、追いつめられていくのだ。

 その静かな魔の手に、浩之は、声をあげることも出来ずに、ただ試合場を見ているだけだった。

 

続く

 

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