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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(287)

 

 それは、幻想的、と言うにはいささか不格好ではあった。が、現実感の消失、という意味においては、これほどぴったりと当てはまるものはなかろう。

 その身体は、空中に高く浮いていた。まるで、重さが無くなったかのように、ふわっ、と足が浮き、そのまま、相手の背よりも高くに飛ぶ。

 いや、正確には、引っこ抜かれた、と言った方がいいのだろう。

 マスカレッドの巨体、とまでは言わないものの、防具の所為で、かなりの重量になっているはずの身体が、あっさりと、綾香の腕を支点に、宙に飛んでいた。

 マスカレッドの意志なのか、綾香の技なのか、普通では一瞬で判断できないものだが、浩之は、綾香の笑みを見ていたから、疑わなかった。

 綾香が、マスカレッドを紙でも投げるかのように、宙に浮かせたのだ。

 普通なら、何が起きたかすら、分からなかっただろう。ましてや、マスカレッドは、自重を考えるに、その状況は普通あり得ない。

 しかし、マスカレッドは、すぐに自分が空中にあることを理解して、すぐに攻撃に移っていた。

 綾香の腕を支点にして、宙で器用に身体をまわして、上から綾香の頭にキックを放ったのだ。例えそこに自分の意志がなくとも、落ちる威力を乗せれば、ガードごとはね飛ばす一撃になるだろう。

 ましてや、綾香とマスカレッドはつながれた状態だ。綾香には、避ける、という選択肢を有効に使うのはかなり厳しい。

 ガッ!!

 不利を悟っているのか、それとも、それが出来ると思っていたのか、綾香は、あっさりとマスカレッドの上からのキックを、残った腕で受け止めた。

 そして、そのまま、後ろに倒れながら、身体をひねり、マスカレッドの身体を、地面に、叩き付ける。

 ズドンッ!!

 片手と片脚を封じられた体勢で、裏投げのように、しかし完全にマスカレッドの身体が宙にあった高さから、土の上に、マスカレッドは背中から叩き付けられていた。

 オオオオオォォォォォォォォォォォォォッ!!!!

 マスカレッドの投げられる姿など、初めて見るのだろう。観客達は、興奮して歓声をあげる。いや、マスカレッドだけではない。マスカレイドの試合で、ここまで完璧に大技の投げが決まったことがあるだろうか?

 綾香は、部屋に動いていた訳ではないのだ。あがくようにせわしなく動きながらも、マスカレッドのバランスが崩れるのを今か今かと待っていたのだ。

 打撃を入れるだけの隙はいらなかった。もとより、綾香が望んだことではないが、二人はつながっている。綾香にとってみれば、決定的な瞬間を待つのは、そう不利な話ではなかったのだ。

 それにしても、まるでマスカレッドの重さを無視したかのような投げだった。地面に叩き付ける部分はかなり力まかせではあったが、マスカレッドの重い身体を宙に飛ばすのは、ほとんど力を入れたようには見えなかった。

 しかし、本当のところ、投げに多くの力はいらないのだ。それはあれば有利だろうが、完成した「投げ」は、相手の力を利用する。

 いや、そもそも、どんなに力があっても、相手の力を利用しないまま投げる、というのは至難の技なのだ。

 力さえ借りれば、マスカレッドの馬力はかなりのものだ。そこに綾香の力と技が加われば、マスカレッド本人を宙に浮かせるなど、造作もないことだろう。

 そして、相手の反撃を狙っていたかのようにキックを受け止め、そのままホールド、受け身を取らせないように固定して、地面に叩き付ける。

 これが、もしストリートファイトだったり、他の試合場であれば、この一撃で決まっていただろう。

 しかし、残念なことに、これでは、決まり切らない。

 投げられ、それを受け身なしで受けたはずのマスカレッドは、それでもすぐに防御の体勢になろうと、身体を入れ替えようとしていた。

 マスカレッドの防具は、おそらく衝撃もかなりのところ逃がすのだろう。いくら身体が重くとも、それ以上にマスカレッドの防具には投げに対する防御能力がありそうだった。

 そして、地面が土であること。これも痛い。もし、コンクリートの上であれば、防具でも関係なかっただろう。

 いや、だからこそ、マスカレッドは、この試合場を選んだのかもしれない。例え、自分が投げられる可能性が低くとも、確かに、マスカレッドにダメージを効率的に与える方法は、投げなのだ。

 しかし、下が土であれば、受け身さえうまければ、ダメージなどないも同然だった。生身であれば、受け身のうまい人間ならば、アスファルトの上で投げられても衝撃を殺しきることも出来るのだ。土であれば、なおのこと問題ない。

 唯一、綾香に脚を取られて、受け身を取り損なったのだけが、マスカレッドの不利だろう。しかし、二度目はない、とも言える。攻撃さえやめれば、受け身を取ることぐらい、マスカレッドには簡単な話だろう。それぐらい、カバーしていないとはとても思えない。

 この投げで仕留められなかった以上、綾香に勝機は生まれない。

 例え、相手が倒れていても、うかつに組み技に行く訳にはいかないし、綾香の打撃は、あくまで立った体勢だからこそ威力を発揮するものだ。相手が寝ていたのでは、威力は半減。

 もし防具がなければ、倒れたところをローキックで倒せただろう。しかし、脚にも防具はついているし、そんな威力を殺せない打撃を放てば、綾香の脚の方が先に壊れるだろう。

 万策、尽きた。綾香の立場ならば、そう言わざるを得ないだろう。

 しかし、ここで一つ。普通とは、違う状況があった。

 すいっ、とマスカレッドの身体が、ダメージもないのか、軽やかに立ち上がった。いや、立ち上がったように、見えた。

 今まで、綾香を苦しめて来た、その手錠で、綾香とマスカレッドはつながれているのだ。

 たった一瞬、そう、一瞬であったが、浩之は気付いていた。おそらく、坂下ほどになれば、やはり気付いていただろう。

 軽やかに立ち上がったはずのマスカレッドの反応が、一瞬遅かったことに。

 ゴウッ!!

 風を切って、マスカレッドの身体が、その場で回転していた。それも、胸を中心に、上下を入れ替えるように。

 何が、と思う暇もなかった。マスカレッドは、逆立ちの状態になった瞬間に、素早く地面に手をつこうとしたが、片手は自分の手錠で封じられており。

 スパンッ

 もう片手は、あっさりと綾香に蹴り飛ばされていた。

 ドンッ!!

 と同時に、綾香はマスカレッドに脚をあびせかけるようにして、頭からマスカレッドを地面に叩き付けていた。蹴り脚に近いスピードで地面に叩き付ける、受け身さえ取らせない普通なら必殺の投げ。

 しかし、頭から落としても、マスカレッドの防具と、マスカレッド自身の受け身によって、ダメージは軽減される。

 また、マスカレッドはあっさりと立ち上がっていた。しかし、めざとい観客達の中には、すでに違和感を感じている者もいた。

 あっさりと、立ちすぎるのだ。どんなに筋力や瞬発力が上がろうとも、人は物理法則を消せる訳ではない。ましてや、重い防具をつけたマスカレッド。そんなに軽やかに立ち上がれる訳がないのだ。

 まるで、重さがないかのように。

 まるで、マスカレッドの重さを無視しているかのように。

 事実、マスカレッドの意志を無視して。

 だから、マスカレッドの反応が遅れる。いかに立ち上がろうとも、そこに、マスカレッドの意志がない以上、それは綾香の支配する世界だった。

 綾香が、マスカレッドを、マスカレッドの意志を無視してひっぱり上げているたのだ。

 そして、綾香はその意志のまま、マスカレッドを宙に飛ばしていた。

 

続く

 

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