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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(288)

 

 宙に飛ぶときは、まるで重量が無くなったかのようマスカレッドの身体が浮くのに、そこから地面に叩き付けられるのは、力まかせに行われる。

 受け身を取ろうにも、まるでその動きを事前に知っていたかのように、来栖川綾香に、手をはじかれ、脚をはねられ、体を入れ替えられ、マスカレッドは地面に叩き付けられる。

 すでに、五回。

 あのマスカレッドが、為す術もなく、地面に叩き付けられていた。

 ……これは、何だ?

 私は、地鳴りのような歓声の中で、固まったままそれを見ていた。

 技術、という意味で言えば、おそらく、マスカレッドよりも来栖川綾香の方が上なのだろう。今までの攻防を見ていれば、それは分かる。

 でも、だからと言って、これは何だ?

 ゴッ!!

 六度目、やはり受け身も取れないまま、マスカレッドは為す術なく、地面に叩き付けられた。

 あの防具に対して、投げ技が一番有効なのは、私にも分かる。おそらく、来栖川綾香は虎視眈々と、腕をつながれた状態で、投げを狙っていたのだろう。

 狙いが決まっている。それはまあ当然の話なのだろうが、だが、それだけでは言い表せない。うまく言えないが、もう戦略とか、技とかは、さして重要ではない。

 顔に笑みを浮かべたまま、来栖川綾香は、またマスカレッドを空中に引き上げる。

 マスカレッドの重い身体を一気に宙に引き抜いて、そのまま地面に、力まかせに、場合によっては技術で叩き付ける。

 あの重い身体を、抵抗もさせずに投げ続けるのだ。一つ一つが、驚くべき動きであるはずなのに、それを単純作業のように、淡々と、何度も繰り返す。

 しかし、私が凍り付いているのは、そういうことではなく。

 感じてしまったのだ。その化け物が、顔を出したのを。

 普通に動いたのでは、どうにもならないと感じたのか、マスカレッドはつながれた、というか、今は自分が捕まっている腕を引きつけて、右手も来栖川綾香の左腕にかける。

 が、それを待っていたかのように、来栖川綾香が腕をひねると、マスカレッドの身体が、くるり、とその場で回転して、そのまま地面にまた叩き付けられた。

 その衝撃に、マスカレッドの右手はあっさりと外れた。

 高さはないが、タイミングがまったく読めないので、受け身など取れないであろうし、重い身体は、高さを必要とせずに投げのダメージを上げる。

 マスカレッドの防具には、それは、衝撃吸収とか、そういう部類の守りはあるのだろう。一発投げられるたびに、それでも何とかして、その激流の中から逃れようとしている。

 しかし、それを、来栖川綾香がさせない。

 怪物としか、言う他ない。あの、殺気をみなぎられたときと、一緒だ。そこには、人の気配など、まったくない。あるのは、怪物の、何もかも飲み込む、人を外れた気配のみ。

 細身の少女が、片手で防具を着た大の男を地面に叩き付ける。まるで漫画の世界だ。

 しかし、それでも。

 マスカレッドは、致命的なダメージを負っていない、と私は感じていた。

 普通の人間ならば、受け身も取れずに地面に何度も叩き付けられれば、それが例え土の上であろうとも、すでに倒れているだろう。

 けれど、マスカレッドは倒れない。ただ、綾香が無理矢理持ち上げているのもあるのだろうが、それでも、何とか来栖川綾香の動きを止めようと、身体をひねったり、腕を伸ばしたり、動きを止めていない。

 こうなってしまえば、どうやっても逆転は不可能、誰もがそう思うのだろう。が、もし、この怪物の、非常識な連続投げが、効いていないとしたら?

 いや、効いていない、と言うのはさすがに無理だろうが、それでも、倒れるほどではないとすれば?

 ダメージは、少しずつは蓄積していくだろう。しかし、倒れるよりも先に、この状況を打破できるのならば、ここから逆転も、可能なのではないのか?

 来栖川綾香の、この投げが起死回生の技である限り、もし、これを封じることに成功すれば、来栖川綾香に、次の手は、ない。ないはずだ。

 そうすれば……来栖川綾香が、負ける?

 どうしようもないと思ったことが、ここで実現されるのを、私は望んだ。

 私の希望は、浩之先輩にとっては、悪夢みたいなものだろう。今、来栖川綾香がどう見ても有利な状況なのにも関わらず、浩之先輩は心配そうな顔で試合場を見ているぐらいなのだから。

 いや、その浩之先輩の不安は、浩之先輩の目が、私よりも先に状況を把握していたからだった。私には、来栖川綾香が有利に見えていたが、浩之先輩には、違う見え方をしていたのだ。

 すぐに、私もそれに気付いた。

 試合場で、来栖川綾香がマスカレッドを軽々と持ち上げ、投げ落とす動きの中、来栖川綾香の左腕から、何かが跳ね飛んでいた。

 それは、来栖川綾香の腕から流れる血だった。

 人の手ではない。マスカレッドの機械仕掛けの手錠につながれ、さらにマスカレッドの重い身体を、何度も持ち上げ、何度も叩き付けたのだ。

 来栖川綾香が、化け物であろうが何であろうが、所詮は人間という殻を被った生物である以上、鉄で激しくこすられれば、血が出るのも当然。

 来栖川綾香にも、限界が来ているのだ。

 いける、と私は思った。このままならば、すぐに来栖川綾香にも、限界が来る。自分で、自分の腕を壊しているようなものだ。どんなに非常識でも、あの細腕では、そうは持つまい。

 浩之先輩には悪いが……いや、結果的には、浩之先輩が、あの怪物から開放される、唯一のチャンスなのだ。悪いなど、思っていられない。

 だというのに、浩之先輩を見るときにちらりと見えたヨシエさんは、まったく焦る様子も、嬉しがる様子もなかった。

 それが、私を無性に不安にさせた。

 ヨシエさんだって、来栖川綾香には、色々な意味で一筋縄ではいかないものを胸の奥にかかえているはずなのだ。今までヨシエさんが勝ったことがない、という相手。その相手が、目の前で負けるかもしれないのに、そんなに泰然と構えていられるものなのだろうか?。

 ヨシエさんの表情には、まったく崩れがない。

 それはまるで、完全に来栖川綾香のことを、信頼しているみたいではないか。

 ピピッ

 また、来栖川綾香の血が、飛ぶ。余計に、観客達が興奮する中、それでも、ヨシエさんと同じように、来栖川綾香の表情にも、変化がなかった。

 余計に、私の不安は募る。

「ラン」

 私が横目で見たのに気付いたのか、それとも、その不安を感じ取ったのか、私のヨシエさんは、私に話しかけてきた。びくっ、と何故か、私の身体は震えた。

「ランには残念だろうけど」

 その言葉に、私は意表を突かれて、思わずヨシエさんを見てしまった。私の気持ちに気付かれているとか、そういうことも思ったが、何より、私が後悔したのは。

 ドンッ!!!!

 来栖川綾香が、血を振りまきながらも、マスカレッドを、再度地面に叩き付けていた。

「先に限界に来るのは、マスカレッドの方だよ」

 ヨシエさんの顔が、確信に満ちていて、それを見てしまったことを。

 その言葉が、まるで予言であったかのように。

 次の瞬間、綾香の身体が、マスカレッドから大きく離れていた。

 腕の拘束が、離れたのだ。だから、来栖川綾香は、マスカレッドを持ち上げ、叩き付けることを続けられなくなったのだ。

 状況は、そんなに悪くなっていない。少なくとも、つながっている状態からは脱したのだ。このまま、投げられ続ける、などという危険はなくなった。

 ただし、その所為で、来栖川綾香は、とうとう、自由を手にしたのだった。

 

続く

 

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