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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(289)

 

 この状況を、人はどう見るだろうか?

 絶対的な防御、というよりも防具を持って、ダメージをほとんど喰らわない人間が、連続で投げを喰らって、自分に一方的に有利であった状況を解除したこと。

 驚異的な速度と技を持って、一度は窮地に立たされたものの、それをさらに打破し、しかし、腕には、傷だけではない、かなりのダメージを負ってしまった人間。

 この場合、どちらが有利なのだろうか?

 お互いに、膝をついた状態で、息を整えている。今狙われれば、かなり不利だろうに、お互いに申し合わせたかのように、休憩しているのだ。

 いや、違う。おそらくは、どちらも手が出せないほど疲弊しているのと、お互いがお互いを警戒して、手を出せないからなのだろう。

 『機械仕掛けの手錠(Handcuffs of machine)』(浩之命名)を、綾香は、連続の投げで破った。これ以上、マスカレッドがダメージを受けるのを嫌ってその手錠を外すまで、綾香は粘ったのだ。

 一度で放さないのならば、放すまで何度でも。

 そんな綾香の声が聞こえそうなほどの投げの連打だ。綾香は、自分の腕から血が出るのも無視して、マスカレッドを投げ続けた。

 あの左腕は、後どれほど動かせるだろう?

 それが浩之の一番心配することだった。何度もマスカレッドの硬い拳を受けて、今度はマスカレッドの体重を、その片手で制御したのだ。ダメージがないどころが、まともに動かせる方がおかしい。

 しかし、その成果はあった、とも言える。

 『機械仕掛けの手錠(Handcuffs of machine)』を外しただけではない。そのまま、マスカレッドが手錠を外さなかったとしても、このまま、綾香の左腕が壊れても、綾香ならばきっちりとマスカレッドを投げ倒していただろう。

 むしろ重要なのは、二つ。

 『機械仕掛けの手錠(Handcuffs of machine)』が、マスカレッドに一方的に有利な状況ではなくなったことと。

 それをマスカレッドが理解するまでに、マスカレッドが少なくないダメージを受けた、ということだ。

 特に、二番目は大きい。綾香の左腕が、打撃として使われたとして、壊れるまでに当てられたダメージよりも、より高いダメージを与えれたとすれば、差し引きは、綾香の有利なのだ。

 ただですら防具をかため、しかも回避能力もあるマスカレッドに、まとめてダメージを与えるのは至難。それを、綾香は自分が封じられるのを利用して、マスカレッドの動きを封じて、叩き込んだ。

 マスカレッドも、判断ミスをしている。投げから逃れられない、と判断した時点で、さっさと手錠を外してしまえば良かったのだ。

 マスカレッドは、手錠を外さなかった。ダメージを受けにくい、という利点を使って、何とか逃れようと努力した。

 だが、それが裏目だったのだ。これ以上は無理、と判断して、結局外すことになるのならば、もっと早く、二回ほど投げられたときに、判断すべきだったのだ。

 しかし、マスカレッドはしぶった。何を?

 綾香から、手を放すことを、だ。

 いや、しぶった、などではない。怖がった、と言う方が正しいのだ。

 綾香の、その驚異的な速度、怖ろしいまでの技のキレ、そして、例え防具で全身をかこっていても、それを突き抜けてくる、強さ。

 それを封じたままで戦いたい、と思ったのを、悪いことだとは浩之も思わない。浩之だって、自分がマスカレッドであの状況なら迷う。

 しかし、それならそれで、最後までかければ良かったのだ。先に、綾香の左腕が壊れることを。

 もっとも、綾香の左腕と、自分の命、と浩之なら判断できたので、浩之ならば一度目に投げられた時点で、すぐに手錠を放しているだろう。

 放してしまえば、一方的に有利、という状況は消えてなくなるが、しかし、傷は浅い。綾香の左腕にたまったダメージとか、今まで押していたことも考えれば、決して悪い選択肢ではないはずだ。

 いや、マスカレッドだって、冷静にそうは考えたはずなのだ。だが、それを、綾香の実力が、許さなかった。それがマスカレッドの躊躇の理由なのだろう。

 決定的な状況は露と消え、気付いてみれば、ダメージを負った状態で、まだ動くことの出来る強敵を目の前にしている。

 まさに、マスカレッドにしてみれば、悪夢だ。

 応援している浩之ですらそう思うのだ。その悪夢を目の前にしているマスカレッドの心境は、いかばかりのものか。

 ふらり、とまだダメージや疲労が抜けきっていないのだろう、力なく、綾香が立ち上がる。それを感じて、顔を下げていたマスカレッドの身体がびくり、と振るえた。

 ふう、ふう、と綾香は、息を整える。が、マスカレッドに向かっていく様子はなかった。緊張していいのか、気を抜いていいのか、観客達も分からず、中途半端な緊張感が漂う。

 それもそのはず。今の綾香は、マスカレッドに拳を当てようとなど、少しも考えていないのだから。

 もっと強力な攻撃を、綾香は考えていたのだ。

「何かぴーちく言ってたけど……」

 息を整えていたのは、しゃべる為だった。疲労は感じられたが、赤目にも劣らない、通る声で、それを狙っていたのだ。

「逆転、出来たみたいだけど?」

 一瞬、しんと静まる試合場。

 ワアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!!

 そして、一気に吹き上がった。

 マスカフィールドなどというふざけた名前をつけられて、逆転がないとまで言われた状態から、綾香はきっちりかっちり、逆転までして見せたのだ。

 言われたままで終わるなど、綾香には考えられない。壊して覆して仕返して、それでやっと三分の一、ということろだ。

 例え役どころの所為、とは言っても、綾香相手にすべきではなかった。であれば、せめて、もう少し優しいやり方で綾香もやっていた。

 ……とは、浩之はとても言えないのだが。

 奥の手を破られた以上、精神的にも戦略的にも、マスカレッドは追いつめられた状態、と言っていいだろう。

 ましてや、相手は綾香。例え左腕にダメージがあろうとも、それで攻撃の手が緩むものではない。

 勝敗は、決した。

 ……と言うのは、まだ早いのかもしれない。

 ずるり、と身体を引きずるように、マスカレッドは、観念したのか、それとも、まだ手を持っているのか、立ち上がってきた。

 それを、綾香は極上の凶悪な笑みで、迎えるのだった。

 

続く

 

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