作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(292)

 

 マスカレッドの常識から外れる裏拳を、顔面に受けて、綾香の身体が後ろに飛びながら浮く。それを、マスカレッドが見逃す訳がなかった。

 素早く身体をその場で回転させると、その勢いを乗せたまま、綾香の頭目がけて、まったく手加減なしに特殊警棒を叩き付けようとして。

 ばしっ!!

 それを、綾香に阻まれた。

 マスカレッドの腕を蹴って、マスカレッドの攻撃を止めると同時に、綾香はマスカレッドから距離を取って、地面に着地した。

 足取りは、しっかりしている。直撃に見えた裏拳だったが、それでも綾香は何とかダメージを逃がして、致命傷は避けたようだった。

 しかし、綾香はある意味致命的なものを受けていた。

「あ」

 綾香が顔をあげたとき、浩之は思わず声を出してしまった。

「……もうっ!!」

 綾香はどこか怒ったように、鼻面をごしごしとダメージを受けているはずの左腕でぬぐう。

 それで、綾香の顔が赤くそまった。それは、左手首からの出血の所為ではなかった。

 その可憐な、まあ外見は可憐なので間違ってはいないだろう、綾香の鼻から、血がたれていたのだ。

 つまり、鼻血である。

 しかも、それを腕で適当にぬぐったものだから、顔が血でそまるというよりは、鼻から血が伸びて、ちょっと笑える姿になっていたりする。

「あ〜〜〜っ、もう!!」

 綾香は、ダメージとか感触とかで鼻血に気付いているのだろう、腹を立ててはいるが、どこかコミカルな口調で声をあげながら、短い夏服のそでで顔を拭く。

 当然、そんなものでは完全に拭き取れる訳ではなかったが、とりあえず鼻から血が伸びるという、ちょっと笑える格好はどうにかなったようだった。この際、顔にいくらか血が残っているのは、気にしないようである。

「ほんとに、鼻血なんて、何年ぶりか覚えてないわよ」

 怒り心頭しているかと思いきや、綾香は、不満ではあるものの、どこか軽く、たまに浩之にじと目で文句を言うぐらいは軽めに、浩之にとってはあまり軽くないような気もするが、とにもかくにも、さっきまでの綾香らしからぬ軽いものに戻っていた。

「乙女と鼻血って、一緒にしちゃいけないと思うんだけど、そこらへんどう?」

 むしろ親しげ、とすら思える口調で、攻撃の手を弛めて、綾香の挙動を伺っていたマスカレッドに、綾香は話しかける。

 そう言っていると、つつー、と綾香の鼻からまだ残っていたのだろう血がたれてきた、

 ぷっ、と観客の誰かが吹き出したのを、綾香は一瞥して黙らせて、まだ汚れていなかった右腕のそでで鼻血を拭く。すでに、制服が汚れることは気にしていないようだった。

 しかし、吹き出した者の気持ちも分かる。今の状況がシリアスであればあるほど、そして綾香の外形が綺麗であればあるほど、鼻血というインパクトは何倍も大きくなる。ケンカでは、鼻血の一つや二つぐらい日常茶飯事なのだろうが、それが来栖川綾香となると、話が違ってくる。

 熱心な綾香ファンですら、綾香が鼻から血をたらした姿など見たことがないだろう。ある意味貴重な体験である。

 しかし、と浩之は思う。

 先ほど、浩之は思わず声を出してしまった。例え歓声につつまれていたとしても、綾香はきっちりと浩之の声を聞いただろう。

 ……後怖いよなあ。

 人一倍、見てくれを気にする綾香だ。もちろん、いついかなるときでも、見てくれを気に出来るだけの実力があるからこそ、気に出来るのだが、その綾香が、よりにもよって鼻血だ。

 試合が終わった後、どれぐらい浩之がとばっちりを喰らうか、分かったものではない。

 そういう意味では、どこか力の抜けた綾香を見ていると、寒気すら浩之は感じた。

 そう、鼻血のことで気を取られているが、綾香は、マスカレッドの、おそらく、本当に最後の奥の手、いや、マスカレッドのことだから、もっと他の奥の手を持っていても不思議ではないが、これよりも有効な奥の手はないだろうという手を、綾香が鼻血一つで終わらせたのだ。

 綾香に鼻血を吹かせた最後のマスカレッドの裏拳は、明かにおかしかった。それは、例え修治でも、あの北條鬼一でも、三眼となった綾香にすら、不可能なのでは、と思う一撃だった。

 横に振られた右の特殊警棒を、綾香はやり過ごしていたのだ。当たれば骨は確実に折れるだろう威力を込めて放たれていた一撃であり、決して手打ちの攻撃ではなかった。

 しかし、そのはずなのに、腕が振り切られるよりも早く、右の裏拳が放たれている。それこそ、人の筋力を無視していたし、慣性の法則すらも無視したような動きだった。

 腕を振って、それとは反対方向に同じ腕をふり直すという動きは、案外筋力を必要とする。しかも、それが全力の攻撃となればなおさらだ。

 振ろうと思う方向とは反対側に勢いがついているのだ。しかも、身体の筋肉は、内に振ろうとしているのに、それをいきなり外に振るように変えるというのは、いささかどころか、人体の構造から言っても無理だ。

 しかし、マスカレッドは、それを行った。しかも、その裏拳のスピードは、今までのマスカレッドの攻撃の中で、最速と言ってよかった。あんな打撃、綾香ですらそう簡単には出せないし、振り切った攻撃の後、同じ腕で、など、綾香にすら不可能だ。

 それを、マスカレッドは可能にした。

 そして、綾香を、この一撃で倒すつもりだったのだろう。まったくの思惑外から放たれる必殺の裏拳。これで決まらないと思う方が無理だ。

 しかし、綾香は、それを鼻血は出すという失態はしたものの、ダメージ自体はほとんど殺すことに成功していた。

 マスカレッドの動きがありえないとするのならば、綾香のその回避、正確には避けられた訳ではないので、受けと言った方が正しいだろう、は何だったのか?

 こちらは、簡単な話だった。

 マスカレッドの、振ったはずの腕が戻ってくる裏拳が、綾香にとっては、思惑内だった、ということに他ならない。

 少なくとも、綾香の身体はそれに反応した。綾香に自覚があろうがなかろうが、綾香という一個人の想定される世界から、マスカレッドの裏拳は、はみ出さなかったのだ。

 いや、多少なりとは、はみ出したのだろう。それが、鼻血という結果におさまったのは、不幸としか言い様のないことだった。マスカレッドと浩之両方にとって。

「ふふん」

 地獄の鬼もかくや、などという厳しい表情は出ず、綾香は、いつもの、洗練されているのに、どこか子供みたいな笑い方で、マスカレッドの攻撃を、こう表した。

「機械仕掛けの攻撃、私が予測出来ないと思った?」

 マスカレッドは、声も出さない。憎まれ口も、ずっと続けていたキャラによる口上もない。

 だから、綾香は言葉を続け、珍しく種明かしをする。

「バネなのか、電動なのか知らないけど、さっきの裏拳、あんたの技じゃなくて、その防具に仕掛けられた仕掛けで打ったでしょ?」

 数瞬のマスカレッドの沈黙。しかし、マスカレッドは、すぐにそれに答えた。

「……その通りだ!! よくぞ見破った!!」

 ごまかすでもなく、マスカレッドは、綾香の言葉を肯定した。それの意味は、すぐには観客達には分からなかったが、その意味を理解するに従って、ざわめきが試合場を支配していく。

 マスカレッドが、いかに手練れであろうとも、振った腕を、それよりも素早く戻しながら裏拳を放つなど、出来ない以上に、ありえない。

 しかし、マスカレッドの力が必要ないとすれば、どうだろう?

 右腕全体に、ワイヤーでも仕込んであって、それをボタン一つで制御することによって、急激に巻き上げることにより、どんな体勢からでも、必殺に近い裏拳を放つ。

 普通はありえない動きを、マスカレッドの力以外から得た力で行う。

 ためも必要としないし、普通はありえない動きでも、それならば可能だ。

 そして、マスカレッドは、やはり不可能なことは不可能で、可能である方法しか取れない。しかし、マスカレッドは、可能であれば、その手を取る。

 防具だけではない、その他色々なものを、準備して戦ったマスカレッドの、その中でも、一番普通はありえない仕掛けは、綾香によって、一瞬で丸裸にされていた。

 『機械仕掛けの裏拳(back hand blow of machine)』。名前をつけるならそのままである。

 その名の通り、機械仕掛けの、裏拳。マスカレッドの常識外れた、裏拳の正体だった。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む