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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(303)

 

「勝てないんです」

 結局、問題はそこに行き着く。私がどんなに考えても、どれほど悩んでも、解にたどり着けない、というのは、つまるところ、それが不可能だからだ。

 いや、そんな訳はないのだ。例え、来栖川綾香が化け物であろうとも、しかし、絶対ではない。必ず、解はあるはずなのだ。

「どうしても、私は来栖川……来栖川綾香を、倒さなければならないんです」

 初鹿さん相手に、来栖川綾香をフルネームで呼び捨てるのを聞かせるのを、私は一瞬迷ったが、しかし、すぐに思い直して、続けた。

 この話をする以上、私の来栖川綾香に対する心情を隠しておく意味を見いだせなかったからだ。であるならば、齟齬は少ない方が良い。

 私は、あまり何も考えず、思うがままに口にして、それに気付く。

「そうですね……私が勝つ必要はないんです。最悪、私が負けても、来栖川綾香が負ければ、それでいいんです」

 それは、勝つのが私ではなくてもいい、ということだ。賢い初鹿さんなら気付くだろう。

 前にも、少し話した。あのときも、論理的に話を進められた記憶がないので、どれほど初鹿さんに伝わっているのかは分からなかったが。

 どこまで伝わっているのか、初鹿さんは、やんわりと私に尋ねた。

「でも、一応、来栖川さんには、浩之さんに手加減して欲しい、と言っていますから、大丈夫だと思いますよ」

 初鹿さんは、無謀というか、普通の思考展開なら、当然行き着く結論に達し、来栖川本人に、直接浩之先輩の身を案じたらしい。

 しかし、私はそれに強く反論した。

「そんな!!」

 たかがそんなことで、あの来栖川綾香が止まる訳がないではないか。

 あの、平静と好奇心の、無邪気な表情の奥に、これみよがしに見える、狂気にも凶器にも例えられるそれを、私は見てしまったのだから。

 あの怪物なら、浩之先輩に優しくキスをした後に、その笑顔のまま、首を絞めて殺すことぐらい、平気でやってのけるだろう。

「う……」

 その光景を想像して、気分が悪くなった。浩之先輩が首を絞められている、というだけでなく、来栖川綾香とキスをしている場面まで想像してしまった所為だ。

「ランちゃん、まだ気分が悪いの?」

「……そうではないです。いえ、気分は悪いですが、疲労の所為ではないです」

「……」

 さすがに、初鹿さんもかなり心配そうに私をのぞき込んでいた。しかし、良好どころか、散り散りになっている私の精神状態では、強がりすら出来ない。

「そんな、悠長なことを言っていたら、浩之先輩が……」

 私の妄想、と片付けられればそれ以上反論の出来ない内容だ。私だって、いくらケンカの中に身を置いていても、殺人となれば、まったく別世界の話だ。

 人が結果死ぬ、というのは、裏路地ではごくたまには起きることもある。私はその場に居合わせなかっただけで、噂には何度も聞いている。

 しかし、衝動ではない、事故でもない、殺意、というものを、来栖川綾香は、持っていた。

 それがそこらのバカな不良なら、一蹴にふしただろう。だが、それが人など簡単に殺せるだけのものを持った怪物となれば、一蹴されるのは、こちらになるかもしれないのだ。

 いや、本当に最悪、この身が一蹴されてでも、来栖川綾香を引きずりおろせるのなら、それでもいいのかもしれない。

 しかし、それすら不可能だ、と冷静な私も感情の私も声を大にして言う。戦うだけ、本当に無駄だと。

「もう、手段はほとんど残されていないんです。唯一の可能性も、潰えました」

 命を奪う必要はない、ただ、一度でいいから、来栖川綾香を、試合で倒せばいいのだ。それで、どういう理屈か、私にもはっきり言えないが、それで問題は一気に解決するのだ。

「来栖川さんを倒せる人間が、返り討ちにあったのね」

「はい。それでもう、手は残されていないのかもしれません」

 マスカレイド二位、マスカレッド。あのマスカレッドが、それこそなりふり構わずに、卑怯とはっきり言われる手を使っても、来栖川綾香を倒すまでには到らなかった。

 あれだけの仕掛けを駆使すれば、一位のチェーンソーにすら勝てたかもしれないのに。

 マスカレッドは、ずっと我慢して来たのだろう。マスカレイドではない、外の人間が勝ち進んできたとき、つまり二位にまで到達できる怪物であったときに、自分が確実に仕留めるために、マスカレイドの順位すら捨てて、仕掛けを用意していた。

 それを、来栖川綾香は粉砕したのだ。

 正直に言おう、私は、鳥肌が立った。マスカレッドが、あそこまで用意周到に準備をして、その仕掛けをあますところなく使って来たというのに。

 来栖川綾香は、それを、正面から粉砕したのだ。ネックロックに至っては、私は身震いさえした。

 殺意に、ではない、来栖川綾香の、強さに、だ。

 悪い傾向だ、と自分でも思っているが、どうやっても止めることが出来ない。

 あこがれ。

 私は、あろうことか、来栖川綾香に、あこがれを抱いてしまった。

 浩之先輩の身も、もちろん心配だ。しかし、それ以上に、私は自分のことが心配なのだ。

 例え、どんなに私が来栖川綾香のことを敵対視しようとも、私のケンカ屋としての感情は、来栖川綾香を認めてしまっている。それどころか、神格化さえしている。

 でも、出来ない。してはいけない。

 私にとっては、比べるまでもなく、来栖川綾香よりも、浩之先輩の方が大切で、本当に大切で、比べるなんて出来ないはずなのだ。

 しかし、このまま来栖川綾香が勝ち進めば。勝ち続ければ。

 私は、来栖川綾香を、敵として見ることが出来なくなるかもしれない。私の心が、折れてしまうかもしれない。

 その前に、何としてでも、来栖川綾香を負かさなければならないのだ。

 時間は、あまりに少ない。その自覚がある。来栖川綾香とマスカレッドの試合を思い出すたびに、私の胸は熱くなるのだ。

 でも、それでも、来栖川綾香は、危険なのだ。

 嫉妬に狂う小娘の戯言と言いたければ言えばいい。絶対に、来栖川綾香は、いつか浩之先輩を殺す。

 それと同じぐらい、理由もなく理解できる。一度来栖川綾香が負ければ、その心配は、無くなる。

「どうしても、倒さないといけないんです。どんな手を使っても……」

「そう」

 初鹿さんは、私の戯言にしか聞こえない内容を、それでも真剣に聞いてくれる。そして、たどり着くべき答えに、当然のように到達する。

「それは、坂下さんに、頼むしかないと私は思いますよ」

 そうしかないだろう、と私も思う。

 しかし、それが実現不可能なことであるぐらい、私にも分かるのだ。

 

続く

 

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