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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(304)

 

「それは、無理です」

「どうして?」

 私の否定に、初鹿さんは首をかしげる。と、少し考えてから、ふいに何か思いついたのか、少し笑って聞いてくる。

「もしかして、坂下さんも、ランちゃんのライバルなのかしら?」

 そう来たか。

 私は、一瞬頭を抱えそうになったが、しかし、それを思いとどまる。その点に関しては、頭をかかえるような問題をかかえていないからだ。

「……それはないと思います」

 ヨシエさんに、単に自覚がない、という可能性は、考えてみればゼロではないのだが、しかし、少なくとも、あのときは照れなどで嘘をつくような状況ではなかった。本気でヨシエさんは、浩之先輩のことを恋愛対象として見てはいないと言っている。

 あれを聞く前の私にとってみれば、その危険性も考慮に入れていたし、ならば、ヨシエさんに頼むなど出来なかっただろう。

 一歩間違えば、初鹿さんの言葉は私にとってのかなりの地雷になったはずだ。それがそうならなかったのは、単なるタイミングの問題なのだろう。

 いや、この人のことだから、私の様子から、そういう問題ではないことを、分かって言っている、というのは否定できないのだが。

 初鹿さんの奥は、読めない。悪い人では、いや、なかなかいい性格をしているとは思うが、悪意のある人ではないのは分かっているのだが、どうも油断出来ない。

「一応、私が面と向かって言われた訳ではないですが、ヨシエさんは浩之先輩のことを恋愛対象とは見ていないと言いました」

「じゃあ、その不安がないのなら、坂下さんに頼っていいと私は思いますよ? どれほど、この話を親身になって聞いてくれるかは、さすがに測りかねますけど」

 ヨシエさんと初鹿さんは、顔を合わせたことがないので、初鹿さんがヨシエさんの人物像を完璧に把握しているとは言えないのか、少し言葉を濁す。

「その点についても、大丈夫だと思います。ヨシエさんなら、いや、ヨシエさんだからこそ、私の話を真剣に聞いてくれると思います」

 これが、他のヨシエさんが見も知らない相手から感じた殺意、ならば、いくら面倒見の良いヨシエさんでも、すぐには信じてくれまい。

 しかし、今話題にしているのは、来栖川綾香のことだ。

 かの怪物のことだけ言えば、私よりもヨシエさんの方が何倍も理解しているだろう。それはつまり、来栖川綾香が、本気で人を殺す人間かどうか、理解しているということだ。

 いくら想像しても、そんなことはしない、とヨシエさんが言うと思えないあたり、来栖川綾香は、本当に社会生活を無事に過ごす気があるのかと聞きたくなってくる。

 ヨシエさん本人はあまり来栖川綾香に関して、何か言うことはないが、その端々に感じるのは、親愛の情とも、仇相手の憎悪とも、何とも表現し辛いものを帯びる。

 来栖川綾香が、浩之先輩を殺そうとしている、と言えば、本当に殺人の意味であったとしても、ヨシエさんは納得するような気がする。

 だから、倒してくれとは、私の口からは言い辛いが。

 あくまで、ヨシエさんは、私にとって師匠のようなもの。弟子が出来ないことを、師匠が出て来てどうにかするのは、違うのではないか、という気もするし。

 私の代理、というポジションを、ヨシエさんが良しとするとは、到底思えない。悪い意味ではなく、ヨシエさんは、ヨシエさんの為に戦うのだ。

 もっとも、頼みづらい理由は、他にあるのだ。

「あ、もしかして」

 ぽんっ、と初鹿さんは、手を叩いた。

「坂下さんでは、来栖川さんに勝てないと……」

「違います!!」

 私は、初鹿さんの言葉を、途中で強く遮った。

 自分が思う以上の声が出て、驚く初鹿さんよりも、自分が驚いているのが分かる。

 しかし、今初鹿さんが言おうとしたことは、例え相手が初鹿さんでも、許されるものではなかったのだ。

「来栖川綾香は、強いです。今まで私が見た中で、プロアマ問わず最強を出せと言われれば、私は迷うことなく、あの怪物を指名します」

 常識を軽くすっ飛ばして、今まで見た誰よりも強い、と言い切れる。それほどに、来栖川綾香は凄い。

 でなければ、何故私が手をこまねいているだろうか。相手がマスカレッドぐらいならば、私は絶対に何も考えずに突っ込んでいった。何かしらの策でも罠でもめぐらして、みっともなくも、「勝ち」を狙っていっただろう。

 しかし、来栖川綾香には、反抗の気さえ起きない。すでに、自分の心が折れているのを、私は悟っている。

 そう考えれば、マスカレッドが来栖川綾香に勝てるかも、と思うこと自体、おかしかったのだろう。少なくとも、私は無意識にそれを理解していた。

 見まごうことなき怪物。比類なき最強。

 それでも。

 私は、ヨシエさんと来栖川綾香が戦えば、ヨシエさんが勝つと、信じている。強いの弱いのなどというのは、私のような下の次元の話。

 あの二人が戦えば、そんなまわりの目など、何も関係ない。

 そして、ヨシエさんが勝つだろう。贔屓ではない、ただ肌で感じるままに、それを口にすれば、分かる話だ。

 私は、感じるままに、それを口にした。

「ヨシエさんが勝ちます」

 口にして、やっと、それを信じられた。

 それほどに、来栖川綾香は強いのだ。ヨシエさんが勝つなど、私の思いこみでは、と思うほど、桁外れのものを持っているのだ。

 しかし、私の感性も、ヨシエさんの勝ちを疑ってはいなかった。

 なら、何故頼むことができないのか?

「次に、ヨシエさんは試合が控えているんです。しかも、相手は、現一位」

 感性をそのまま口に出すのなら。

「チェーンソーに、ヨシエさんが勝てるかどうか、分かりません」

 来栖川綾香と戦っても勝てる、と思う相手が、チェーンソーと戦って、勝てるかどうか分からない。

 それほど、チェーンソーは怖い。

 この公園でチェーンソーと、浩之先輩を交えて対峙したとき、私は生きた心地がしなかった。正体に気付く前でも、それだったのだ。気付いてしまえば、もう動けなかった。

 あれは、自分とは別の生物だ。そう言われても信じる。そう思えるほど、あれは「外」の存在であり。

 ヨシエさんをも、倒してしまうかも知れないのだ。

「チェーンソーに負ければ、ヨシエさんは、弱くなるかもしれません」

 それは勝ったとしてもだ。怪我で、済めばいいのだが。それ以上のことになる可能性も、否定出来ない。

 それに、別の意味でも、私はヨシエさんに頼むことが出来ない。チェーンソーが次の相手だ、と知って、ヨシエさんと言えども、何か感じることがあるはずなのだ。

 私が、そのヨシエさんの足を引っ張る訳には、どうしてもいかない。

 だから、初鹿さんの魅力的な助言に、私は首を横に振るしか出来ない。

「なんだ」

 ふと、軽い口調でそう言った初鹿さんの声に、私は顔をあげて。

 初鹿さんの、その顔を見てしまった。

「簡単な話ですよ」

 柔らかい、いつもの笑み。しかし、それが、いつもの初鹿さんには、私には見えなかった。

 どこが、なにが、どうして、違うのか、と言われれば、言葉に窮するが。

 背筋が、凍る。

「だったら、勝った方に、頼めばいいだけですね?」

 何でもないように、初鹿さんは言う。しかし、それを何でもない、と私は、どうしてか認めたくなかった。

「そんな簡単な話じゃありません。次の試合で怪我をするかもしれませんし、勝った方、と気軽に言いますが、ヨシエさんはともかく、いえ、状況から言って、チェーンソーが勝てば、次の相手は来栖川綾香ですが……」

 そこに、ふれてはならない地雷がある、と私は気付いていた。頭の悪い私は、理論的に言われても理解出来ないが、しかし、感性に身をまかせる方法を知っている。

 しかし、感性に身をまかせるのならば、ここは沈黙を保つべきだったのだ。少なくとも、意味の分かる会話をすべきではなかったのだ。

 多くを話していない、というのに、初鹿さんがチェーンソーの名に、何もリアクションなく意味が分かっていたことを、その場で気付くべきだったのだ。

「少なくとも」

 そう、この柔らかい笑みは、偽物ではない。作り物ではない。

 偽物ではなく、作り物ではない、というだけで。

「私は、やぶさかではありませんよ?」

 

続く

 

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