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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(305)

 

 耳をかするように、ギリギリのところを、寺町の打ち下ろしの正拳が突き抜けていく。

 冷や汗をかきながらも、健介はそれを避けて、ひゅうっ、と口笛を吹く余裕を見せた。

 ややタイミングを逃した左で牽制しながら、健介は寺町との距離を取る。

「ちっ、今のタイミングなら、カウンターの入れごろだったぜ」

 寺町の必殺技、打ち下ろしの正拳を、後ろに下がるのではなく、横に避けたのだ。確かに、カウンターを打っておけば、入っていたかもしれない。

 試合中でも口数の多い寺町だが、何故かその健介の軽口には答えず、そのかわり、ニッ、と楽しそうに笑う。

 対戦している相手としては、嫌な笑みだろう。得意技を避けられたというのに、慌てるどころか、余裕がある、いや、余裕ではなく、楽しんでいるようにしか見えないというのは、なかなか相手の神経を逆撫でする。

 ああいう試合運びは、考えてやっているのか、それとも天然なのか。どちらにしろ、健介よりも寺町の方が何倍も上手だ、と坂下は思った。

 実力でも寺町の方が上で、かつ試合運びや経験でも寺町の方が上なのだ。健介が寺町に勝てる訳がない。

 それでも、健介は寺町のことを目の敵にしているようで、この合同練習の間は、だいたい寺町の相手をかって出る。

 寺町は寺町で、なかなかしつこい健介に見るべきものがあるとでも思っているのか、それとも単純に楽しめる相手なのか、健介の相手を律儀にしている。楽しんでいるとも言う。

 健介が、再度上段に構えた寺町につっかかっていく。

 一度回避が出来た以上、そのタイミングでもう一度行えば、カウンターが取れる、と健介は考えているのだろう。

 しかし、かなり甘い。

 ゴッ!!

「ぐっ!!」

 寺町の打ち下ろしの正拳が、思い切り顔面にヒットして、健介の身体が大きく後ろにたたらを踏む。

「ふむ、こうも簡単にフェイントに引っかかってしまうと、少し拍子抜けだな」

 わざわざ力を抜いたのだろう打ち下ろしの正拳を当てておいて、寺町は肩をすくめる。

 倒れなかったのは、ただ寺町が力を入れていなかっただけであり、健介も、それはよく分かっているだろう。しかし、まったくの無傷、という訳でもないだろうに、すぐに健介は寺町の方に向き直る。

 一度目、健介が打ち下ろしの正拳を避けれたのは、寺町がわざと避けるのを許したからなのだ。

 健介に、これならばカウンターを当てることが出来る、と錯覚させ、そして不用意に入り込んできたところを、用意していた、今度は当てるつもりの打ち下ろしの正拳を入れる。

 寺町が本気で打ち下ろしの正拳を打ち、それが当たれば、当然健介は、一発KOされていただろう。もちろん、KOされなかったからと言って、健介の気が晴れる訳でもないだろうが。

 むしろ、あっさりと手玉に取られたことで、余計に健介の頭には血が上っているかもしれない。

 しかし、いくら腹が立ったとしても、不用意につっかかっていい相手ではない。

 案の定、へこたれずにすぐに向かって行った健介は、単純な寺町の空手の技量の前に、すぐに防戦一方になる。

 あー、バカ。そこで攻めてどうする。坂下の声は、今の健介の耳には入らないだろうから、その言葉は後からプレゼントしてやることにした。

 そもそも、役者が違うと言えよう。

 わざと技のレベルを落として、相手を誘うなど、試合でも見れる作戦ではない。

 健介だって、マスカレイドの十何位、多彩な相手と戦って来たはずなのだが、しかし、寺町の空手のみのはずの引き出しの多さには、到底追いつけない。

 まっとうに空手をしていたのではないとは言え、そのセンスは、おそらく寺町の持って生まれたものなのだろう。それは、どこかあのバカみたいな天才、浩之のことを思い出させる。

 まあ、今のところ、坂下は浩之よりも寺町の方が上だと思っているのだが。

 まったく、そんな格闘バカ相手に、健介はよくやっていると言える。本当によくやっている。寺町相手に持ちこたえるなど、なかなか出来ることではない。

 とは言え、健介がいつも通りKOされるのに、そう時間は必要なかった。

「いや、あいつ、上達の跡が見れて、なかなか楽しめますよ」

 中央で大の字にのびている健介の方を指さしながら、寺町は嬉しそうにそう言う。ちなみに、のびている健介は、田辺に引きずられて、道場から退場していく。その姿は、アリに引きずられている昆虫の死体を思わせ、少し哀愁がただよう。またはかがんで観察したくなる。

「ま、健介の実力はともかく、うちの部でも、あんたの相手が出来るやつなんて、二人しかいないしね」

 空手部で二番目に強い池田でも、寺町の相手は辛い。この男も、めきめきと実力をあげていっているのだ。

「さらに言えば、あんたの相手したいやつなんて、健介ぐらいだしね」

 相手が出来る、という中に、健介は含まれない。ねばるだけならば、池田の方がよほどねばることが出来るだろう。未来のことは分からないが、現状、池田は健介よりも強い。

 ちなみに、坂下は寺町の実力は認めるが、相手をするのはまっぴらごめんである。やればそれなりに乗ってくるのだが、凄くしたい、と思うには、寺町の人格にいささか、いや、沢山問題がある。

「おや、二人の、もう一人は?」

 寺町は、坂下が誰のことを指しているのか、勝手に当てはめたりしなかった。文脈で言えば、坂下と健介になるのだが、相手が出来る、という点で大きく疑問を持ったのだろう。

 池田に聞かれたら、さすがに池田も顔をしかめるだろうな。

 寺町は、直に池田では相手にならない、と言っているのだ。坂下を擁する、というか坂下が従えるこの空手部は、県下でもトップクラスの実力を誇るのだが、そのナンバー2をして、相手にならないと言うのだから、大した自信と、そして実力である。

 坂下は、それを意識的に無視した。

 相手のことを考えると、言ってもいいが、やっかいごとが増えるのは、あまり感心出来ないので、ここはスルーが一番、と考えたのだ。

 その、空手部三番目、実力二番目を誇るバカと、かわいい後輩は、物凄い珍しいことに、組み手をしていた。異色の組み合わせだ。

 ちらり、と視線をやると、かったるそうな表情で相手をする御木本と、死んだ魚の目をしたランの、どうにも覇気のない組み手が繰り広げられている。

 実力では、ランでは当然御木本の足下にも及ばないが、後輩の指導も先輩の勤め、そういうことを今までやってきていない御木本と、ランは自分とは違うタイプからの技術の吸収、という意味で組み合わせて見たペアなのだが。

 最近、二人はいがみ合いながらも、御木本がもともと空手部で持っているポジションとキャラを、ただランが受け入れただけのようなので、一応うまくいくかとも思ったのだが。

 それ以前の問題だった。

 やる気のない御木本は、けつでも蹴り上げれば動くだろうが、今は、ランの目が死んでいる。半分何が原因なのか察することは出来るが、さすがに、尻を叩いたからと言って、その状態が良くなるとも思えない。

 ……たく、藤田も悪気はないんだろうけど、少しはフォローも考えておけばいいものを。

 しかし、あの鈍感そうな男に、フォローなどという高尚なものを求めるのが間違いなのかもしれない。坂下がそう思うほどには、浩之は鈍感だ。

 バカだが、敏感、という意味で言えば、寺町の方が何倍も敏感だろうな。

 しかし、それはバカだが、という枕詞がつく訳で、敏感であっても、それが良いことなのかどうか、というのは別問題なのだ。

「ほう」

 そりゃバカではあるが敏感な寺町は、坂下の視線にすぐに気付いた。

 ニッ、と晴れやかに、嬉しそうに笑う視線の先には、だるそうにちんたらとランの相手をする、御木本の姿。

「なるほど、見たときから何かあると思っていましたが、彼が二人目ですか」

 いらないところで鋭すぎ!!

 坂下の心の突っ込みは、どうせ口に出したところで、寺町を止められそうにはなかった。

 何せ相手は、超のつく格闘バカなのだから。

 

続く

 

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