どんよりと曇った目で機械的に蹴りを出すランと、それをちんたら面倒くさそうにさばいていく御木本。
スパルタ、とは言わないまでも、県下屈指、と言われるこの空手部においては、ここまでやる気と気迫の乗っていない練習は珍しい。
まあ、御木本の方はけっこういつも通りの話なので、大して問題にもされていないが、ランの方はここまで気合いが抜けていることは珍しい。
ランは、そこまでしゃべるタイプではないが、それでも暗く沈んでいれば雰囲気が違う。いつもと違う彼女に、他の部員達も声を掛け辛かった。
ただ、一番の原因は、そんなランに、坂下があまり話しかけないことだ。気を使っている、という訳でもないだろうに、何かおかしい後輩に声をかけない、という坂下の態度が、他の部員達の足も止めているのだ。
普通なら、坂下ももちろん声をかける。それどころか、怒鳴ってその御木本のやる気のなさと、ランの死んだ魚のような目をどうにしかしていただろう。
しかし、理由の半分は理解している坂下は、何も言わない。
恋愛のあれこれは、外から声をかけたところで、ろくなことがない、と坂下は考えている。もちろん、それだけでもない。
ランは自分でその問題を乗り越えるしかないのだ。タイタンと戦うときに、浩之の手を借りたことのつけを払っているとも考えられる。
坂下が口を出せば、ランにとっていい結果に落ち着くかは分からないが、話はそれなりに完結するだろう。坂下は、中途半端な場所でうろうろするような態度を許さない。厳しくても、前でも後ろにでも進ませる。
しかし、坂下は、それよりももっと厳しいのだ。
どうせ、ここで助けたところで、また後につけをまわすだけなのだ。どういう結果になるにしろ、ここから進む為には、ラン自身の努力が大切なのだ。
まあ、そんな坂下の厳しいながらも細やかな配慮も、そこのバカにとっては、何ら配慮するものではないのだが。
「ちょっといいかな?」
どこかうつろな目が、話しかけて来た寺町に向けられる。
「……はい?」
「調子が悪いようだし、俺が代わりに相手しておこうか?」
何故か目的の相手ではなく、その横の相手に話しかける寺町の動きも読めないが、言われたランは、何のことを言われたのかよく分からない顔をして、何も考えずに、頷いていた。
「そのまま気合いの抜けた練習では、怪我にもつながるしな」
「……そうですね」
ランは、寺町の言葉を聞いているのかいないのか、何も考えていないように、寺町の理由になっているようないないような言葉に頷く。
「いや、すまないね」
にこにことしながら、ランの肩をぽん、と叩くと、もっと嬉しそうに、獲物に対して向き直る。
「さ、という訳で俺が相手……おや?」
そこにはすでに寺町が標的としようとした御木本の姿はなかった。
ゴウッ!!
と、さっさと逃げようとしていた御木本の顔の前を、振り上げた寺町の蹴りが通り過ぎる。というか、もし御木本がそのまま前に足を出していれば、あごに当たっていただろう。
「って、アブねえだろうが、この格闘バカ!!」
足を止めて寺町の蹴り上げる脚を回避した御木本だが、詰め寄る訳ではなく、後ろに飛び退きながら怒鳴る。
普通なら、それぐらいの文句は言って当然だろう。いきなり不意打ちであごを蹴り上げられれば、KOだけでは済まない可能性すらあるのだ。
しかし、その点で言えば、ここの空手部は相手によっては、まあいいかと見逃されるし、御木本相手なら、当然もっとやれという雰囲気にもなる。
「はっはっは、いや何、気合いが入っていないようだから、とりあえず一発入れて気合いを入れてもらおうかと」
「黙れこの格闘バカめ。傷害未遂で訴えるぞ」
まわりから、「先に御木本先輩をセクハラで訴えた方がいいんじゃない?」「両方訴えるべきだろ?」「というか、二人とも共倒れがいいんじゃないかな?」などと暖かい、いや生暖かい声が部員から
「いやいや、練習中なら不可抗力というやつだよ」
「確信犯かよ!」
御木本はそう突っ込むと、のしのしと何の警戒もなく近付いてくる寺町の下に向かって身体を滑り込ませながら、寺町の前に出された足首に手をかけようとする。
足首さえつかんでしまえば、寺町相手だって何をするにしても難しくない。というか、さっさと転がして逃走を図ることが出来る。
が、何を思ったのか、寺町の足首に手がかかるかと思った瞬間、御木本は手を引っ込めて、転がるようにして距離を取る。
ごろごろと寺町の横を転がりながら、さらに後ろを向けて逃げようとしたのだろうが、しかし、すぐに立ち上がりながら向き直る。
「ちっ、何の躊躇もなく手を踏み抜こうとしやがるな!!」
「そうは言うが、空手の試合で何の躊躇もなく足を取ろうとしたのはそちらだが」
寺町が総合格闘であるエクストリームの本戦に出るような選手であることは知っているが、それでもいきなり足を取られれば対応はできまい、という御木本の予定だったが、寺町は、あろうことかそれにあっさりと反応した。
足を取ろうとして伸ばした手を、その足で踏み抜こうとしたのだ。
手が足首を取ろうとかなり低かったからこそ狙えた方法だが、そもそも、試合でそんなことをすれば反則を取られかねないというか取られるだろう。
そのまま横を抜けて逃げなかったのも、背中を見せて逃げれば後ろから殴られると、御木本は予測したからだ。
一応、マスカレイドで色々な相手と対戦している、ケンカもかなりやりこんでいる御木本を持ってしても、寺町の対応の鋭さはうなるものがある。
「それに、単に少し練習に付き合って欲しいだけなのだから、逃げることはないだろう」
「てめえみたいな格闘バカな男に付き合ってられるか!! せめてこれがかわいい女の子ならともかく!!」
単なる練習の為と言いながら逃がさないように攻撃を繰り出す寺町に、この場面でそれでも女の子がいいと力説する御木本も、どっちもどっちと言うか、どっちもどうにかしろという状況である。
凄いのか凄くバカなのかよく分からない泥沼な状況に、坂下は小さくため息をついてから、肩をすくめてスルーした。
二人が争っている分には、とりあえずまわりには被害はないだろう、という冷徹な判断だ。
それよりも問題は、寺町に言われて、ほとんど何も考えずに、相手を変わって、今度は二人のバカな争いを見てもいない、ランの方だ。
坂下には、うかつに手を出す気はないけれど、かと言え、本当につぶれてしまっては、それも問題だ。
しかし、その点については、坂下は、ランを信じることにした。その程度の期待が出来ないほど、弱い人間ではない、とランを評価しているのだ。
だから、一応指導する立場であるはずの坂下は、元気のないランと、後どうでもいい二人の争いに対して、何も口を出さなかった。
続く